第73話『部下と呑む』

 午後6時半過ぎ。

 警視庁を出発してから30分ほどで、私の住んでいるマンションに到着し、駐車場に車を駐める。


「羽賀さん、立派なマンションに住んでいるんですね」

「良いところだとは思っています。大学生の頃はアパートに住んでいて、社会人になって少し経ってからここに引っ越したのです。車で30分、電車を使っても1時間あれば警視庁に行けますので」

「そうなんですね。さすがにキャリア組の住むところは違うなぁ。私はワンルームマンションですよ」


 ワンルームマンションということは、氷室が住んでいるところに似ている感じか。彼の家はアパートだけれども。

 駐車場を後にし、岡村との待ち合わせ場所であるマンションのエントランスに行くと、そこには紙の手提げを持った私服姿の岡村が立っていた。


「岡村、待たせたな」

「いや、思ったよりも早かったじゃねえか。氷室が逮捕されて間もないから、もっと遅くなると思っていたぜ」


 ほう、この男もそういう考え方ができるようになっていたのか。以前だったら、遅いと一喝していたのだが。


「どうも、羽賀君の大親友である岡村大貴です。家を作る仕事をしています」


 女性相手だからか、岡村は普段とは違った声で自己紹介をしている。自分の仕事をもう少しまともに言えないものか。家を作っているのは的確だが。例えば、住居の建設関係とか。あと、大親友については……大を取れ。


「初めまして、浅野千尋です。羽賀さんの部下ですが、羽賀さんよりも2歳年上です。お家を作っているということは、そこには男性が多いということですよね!」

「……まあ、そうっすね。浅野さんみたいな女性が全然いないので、そういう意味ではつまんないっすよ。家を作るのは楽しいですけど」


 浅野さんみたいな女性が職場にいたら、むしろ大変なことになりそうだが。1週間くらい一緒に働いてみるといいだろう。


「羽賀よりも2歳年上なのに部下だなんてやりにくいんじゃないんすか?」

「いえ、羽賀さんは色々な意味で素晴らしい方なので、羽賀さんの部下になって良かったと思っています」


 色々な意味、という部分で浅野さんは本心で語っているのだと分かった。あと、この2人を意気投合させたら、私と氷室が後々苦労する羽目になりそうだ。


「さあ、いつまでもここで話していないで、私の家に行きますよ」


 私は岡村と浅野さんを私の家に連れて行く。

 そういえば、岡村はここに連れてきたことが何度かあったが、氷室はまだ一度もなかったな。彼の無実が証明されて自由の身になったら、岡村と3人で私の家でゆっくりと酒を呑むことにするか。

 リビングにあるソファーは大きなものが1つしかないのだが、浅野さんの希望で私と岡村がソファーに隣同士で座り、浅野さんは椅子に座ることになった。

 岡村が3人それぞれのコップにビールを注いで、


「それじゃ、まずはビールで! 乾杯!」

「乾杯」

「乾杯です!」


 岡村のそんな音頭の後、3人で乾杯をする。といっても、氷室が逮捕されてしまったばかりなので、お酒を呑むのは気が引ける。今も氷室は留置所で1人きりなのだ。彼は私が岡村と呑むことを知っているが。


「羽賀さんは呑まないんですか?」

「何だよ、羽賀も呑めよ!」

「……分かった」


 浅野さんと岡村に勧められたので、私もコップに注がれたビールを一気に呑む。その後すぐに、岡村が買ってきてくれた日本酒を呑むことに。浅野さんは白ワインを呑み始めている。


「しかし、氷室が逮捕されちまうとはなぁ。これはあいつの陰謀だと思うぜ」

「……あいつ?」

「おっ、俺様の華麗なる推理を聞きたいんだな? 俺はずっと氷室が逮捕された事件について考えていたんだ。羽賀がどうしても聞きたいって言うんだったら、俺の推理を聞かせてやってもいいぜ」


 酒が入ってしまったせいか、いつも以上に大きな態度になっているのだが。岡村の考えた推理なので大したものではないと思うが、聞かないよりはいいだろう。


「今は色々な人の意見を聞きたい。岡村、是非、私に聞かせてくれ」

「そんな上から目線の態度なら話さねぇ」

「……貴様の方がよっぽど上から目線だろう」


 やはり、彼の推理は聞かなくてもいいか。時間のムダになるだけなのが目に見えている。


「まあまあ2人とも。岡村さんの推理、私も聞きたいなぁ」

「……それではお話ししましょう」


 さっきとは打って変わって、彼に似合わない紳士的な対応をしやがって。この男は本当に女性には弱い人間だ。いつか、犯罪に巻き込まれてしまわないかどうか心配である。


「この事件の真犯人。それは諸澄司という朝比奈ちゃんのストーカー野郎に間違いないっ!」


 岡村はそう豪語した。相変わらず馬鹿デカい声だ。諸澄司が犯人だと考えているのか。詳しく彼の推理を聞いてみるとしよう。


「諸澄司が真犯人か。なぜ、岡村はそう考えるのだ?」

「彼が朝比奈ちゃんのストーカーだからだよ! 諸澄は自分を好きになってもらうために朝比奈ちゃんのいじめを解決しようと思っていたけど、それを氷室が見事に解決へと導いたことで計画が丸つぶれ。さらには学校にストーカー行為をバラされちまったから氷室を嵌めたんだ。しかも、朝比奈ちゃんが10年間も氷室にゾッコン! 傷心の朝比奈ちゃんを支えて、ストーカーはしていたけど本当は優しいことを知ってほしい……とか考えているんじゃねえかな!」

「……な、なるほど」


 おそらく、美来さんの自宅の最寄り駅で、私と一緒に諸澄司と会ったから、彼が犯人だと考えているのだろう。動機としては筋が通っている。


「被害者が朝比奈ちゃんで、氷室の容疑を未成年への強制わいせつにしたのは、氷室により大きな精神的なダメージを与えるためにやったことなんだ。それがマスコミを通じて日本全国に! そして、ネットを通じて世界中に『氷室智也が犯罪者だ!』ってことを広めたかったんじゃねえか? 以上、俺の華麗なる推理でした!」


 岡村がそう言うと、浅野さんは笑顔で拍手を贈る。


「さすがは羽賀さんの大親友だけあって、岡村さん名推理です! さあ、ビールをお注ぎしますよ!」

「ありがとうございまーす!」


 浅野さんにビールを注いでもらって嬉しいのか、岡村は満面の笑みを浮かべる。

 仮に諸澄司が真犯人だとしたら、動機については岡村の言ったような感じだろう。諸澄司は美来さんに好意を抱いており、それが原因でストーカー行為をしていた。しかし、美来さんには氷室という10年来の片想いの相手がいて、氷室に美来さんの受けたいじめを解決され、自身のストーカー行為を学校にバラされてしまったのだから、氷室に復讐したい気持ちは生まれるか。


「おっ、俺様の華麗なる推理が凄すぎて羽賀が黙っちまったぞ」

「私は岡村さんの推理、なかなかの内容だと思いますよ。同じようなことを羽賀さんは思いつくかもしれませんが、私にはおそらくできないでしょうね。岡村さんも警察官になればいいんじゃないですか? 絶対に素質あると思いますよ?」

「ええっ、そうですか? これから警察官目指しちゃおっかなぁ?」


 浅野さん、岡村を持ち上げるのが上手だな。

 正直、華麗なる推理という名のトンチンカンな迷推理を披露すると思っていたので、まさかここまでまともで、しかも筋が通っている考えを言ってくるとは思わなかった。


「……岡村。これから考え事をするときには酒を呑んだ方がいいのではないか?」

「馬鹿にしやがって! 素面のときに考えたんだよ!」

「そうか。しかし、岡村にしてはかなりいい推理だったぞ。浅野さんや私も、真犯人候補の1人に諸澄司を考えているのだ」

「候補の1人ってことは、他にも氷室を嵌めそうな人間がいるってことなのか?」

「ああ。私達は美来さんが受けたいじめを氷室が解決の方向に導いたことが、真犯人が氷室を嵌めたきっかけだと考えている。それに、学校側は美来さんがクラスで受けたいじめを隠蔽しようとしていたからな」

「……隠して何の意味があんの?」


 岡村はきょとんとした様子だ。


「氷室の話や報道で知ったことだが、担任教師は自身の査定に響くから、面倒な事態になりたくなく、いじめを隠蔽したかったそうだ。また、校長と教頭は今回の件で来年度以降の入学者が減ることを危惧していたらしい」

「そうなのかぁ。でも、隠蔽していたっていう方が、よっぽど学校に大きなダメージがあると思うけどな。それこそ、信用がなくなって、その高校に入学したいと思う中学生が減っていくんじゃねえかな」

「……今日の岡村は、いつになくいいことを言うではないか」


 今までは、岡村には酒を呑ませない方がいいと思うことが多かったが、それは間違いだったのかもしれない。これからは何か意見を聞きたいときは酒を呑ませるか。酒を呑んだときの方がいいことを言う可能性が高そうだ。


「なあ、羽賀」

「なんだ?」

「……氷室のこと、ちゃんと無実だって証明してやれよ。あいつにとっての頼みの綱はお前しかいないんだからさ。俺はこうして氷室が無実だと信じることしかできねぇ。氷室が罪を犯したなんて信じられねぇよ」


 真剣な表情をして岡村はそう言うと、コップに並々と注がれていたビールを一気に飲み干した。やはり、氷室のことを信じているのだな。


「分かっている。私に任せてくれ。ただ、お前に力を貸してもらうことがあるかもしれない。そのときには頼むぞ」

「遠慮なく言ってくれ! 体力だけには自信があるんだ!」

「……ふっ、昔と変わらないな、お前は」


 昔から、体育だけは岡村に敵わなかったな。体力に自信があるのは本当だろう。あとは暑苦しいくらいの信頼も敵わないか。


「うおおっ! まったく、この3人は最高だぜ!」


 浅野さんは白ワインが入ったワイングラスを片手にそう叫んだ。突然の彼女の叫びに、さすがに岡村も驚いた様子を見せる。


「浅野さん、いったいどうしちゃったんだ? いきなり叫んで」

「……どうやら、私達のやり取りを見て、何か思うところがあったのだろう」


 おそらく、私と岡村の話す光景が浅野さんにとって好物だったのだろう。白ワインのいいつまみになったと思っているのかもしれない。

 ――プルルッ。

 私のスマートフォンが鳴っているな。

 確認してみると発信者が『鷺沼亮』となっている。鷺沼亮さぎぬまりょうというのは、私の大学時代の友人であり、同じ法学部法律学科出身。最近は氷室の自宅に遊びに行った後に彼と食事をした。


「すまない。大学時代の友人から電話が来たから、ちょっとの間、席を外す」


 リビングを出て、玄関の近くまで言ったところで通話に出る。


「羽賀だ。どうしたんだ、こんな時間に」

『いや、ちょっとお前に訊きたいことがあって。今、大丈夫か?』

「ああ、かまわない。ただ、今は友人や部下と自宅で呑んでいて、軽く酔っているから正確に返答できるかどうかは保証しない。それでも良ければ」

『ああ、それでいい』


 鷺沼は大手の民間放送局に勤めている。ただ、彼はアナウンサーではなく事件などの取材を行なう部署に所属している。これまでも鷺沼は大きな事件が起きると私に電話をしてきているので、もしかしたら彼の訊きたいことは――。


『なあ、今日逮捕された氷室智也っていう男。お前の親友なんじゃないのか?』

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