第69話『シュプレヒコール』

 テレビを点け、私達の目に飛び込んできたのは、氷室が逮捕されたことにより、会社から懲戒解雇処分が下ったことだった。


「そんな、どうして……」

「おそらく、氷室の勤める会社は、彼が逮捕されたことを受けて懲戒解雇処分にしたのだろうな」

「すぐに決まってしまうものなのですか?」

「……これだけ報道されたのだ。厳しい判断だが、社会的影響を考えたら、逮捕された人間をいつまでも社員として置いておけないのだろう。一秒でも早く氷室を解雇することは、会社としての社会的な責任の取り方の1つなのだ。例え、起訴されるかどうかが決定する前の段階でもな……」


 氷室の勤める会社の立場から考えると、氷室を一刻も早く解雇をして、夕方の記者会見で謝罪を行なうことで、会社へのダメージを最小限にするつもりなのだろう。


『でも、智也君は何にも罪を犯していないんだよ! 現場の人だってようやく納得してくれて、これから抗議しようとしているのに……』

「月村さんのお気持ちも分かります。氷室のために本当にありがとうございます。実際に判断が覆される可能性は限りなく低いと思われますが、月村さんのその行動が氷室の心を支えることになるでしょう」

『……そうなるといいけど。今、うちのチームのリーダーが本社の人間に電話をかけて、解雇の決定について抗議をしているの。みんな、智也君が美来ちゃんのために真摯になっていたって分かってくれて……』

「月村さん、智也さんのためにありがとうございます」

『……あたしには、このくらいのことしかできないから』


 月村さんの弱々しい声。それは今の言葉の通り、自分にできることがほとんどないという悲しさと虚しさを表しているように思えた。


『あの、羽賀さん』

「なんですか?」

『チームリーダーから、あたしが智也君に懲戒解雇処分になってしまったことを伝えてほいって言われて。これから面会することになるけど、大丈夫かな? 逮捕されてまだそんなに時間も経っていないし、取り調べとかもあるんじゃないかと……』

「ああ、別にかまいませんよ。我々もこれから警視庁に戻ろうと思っていましたので、一緒に行くのはどうでしょうか。私も氷室に伝えたいことがありますので」

『そうしてくれるなら助かるけれど、いいの?』

「かまいませんよ。月村さんは今もSKTTの本社ビルにいるのですよね?」

『うん』

「では、今からそちらに向かいますので。入り口に到着したら再度連絡します」

『分かった。じゃあ、また後で』


 月村さんの方から通話を切った。


「……ということで、我々はそろそろ警視庁に戻ります。美来さんが氷室が無実であると証言してくれたことも彼に伝えたいので」

「そうですか。私も会いに行きたいですけど、私は被害者と言われている立場ですし。それに、智也さんもおそらく疲れていることでしょう。すぐに行っても、智也さんに迷惑がかかるだけになるかもしれません。明日や明後日に、面会をしに行ってもいいですか?」

「分かった。ただ、そのときは私に連絡をしてほしい。話を通しておく」

「ありがとうございます」


 美来さんが面会する必要がなくなればいいのだが。真犯人が誰かが分からなくとも、せめても氷室は無実だったと証明したい。


「あの、羽賀さん。私に……何かできることはありませんか?」

「……氷室のことを信じてほしい。そして、誰かから氷室のことを訊かれたら、彼からは何も嫌なことはされなかったと言い続けてほしい。たいしたことないと思うかもしれないが、それは氷室にとってとても心強いことだろう。それは君にしかできない」


 被害者と言われている美来さんだからこそできる、意味のある行動なのだと思う。

 警視庁に勾留されている氷室の心労は相当なものだろう。さっき録音した美来さんの声を聞けば、氷室の疲れも少しは軽減するだろうか。


「分かりました。智也さんが自由になるときを待っています」

「うむ。それが一番いいだろう」

「そうだ、羽賀さん。何かのときのために連絡先を交換しましょう」

「ああ、分かった。浅野さんとも交換した方がいい。女性の方が話しやすい内容もきっとあるだろう」


 私と浅野さんは美来さんとの連絡先を交換する。氷室が激しく落ち込んでいるようなら、私のスマートフォンで美来さんと会話をさせよう。


「それでは、私達はこれで失礼します」

「羽賀さん、浅野さん。智也さんのことをよろしくお願いします」

「……ああ、私達に任せてくれ」


 必ず氷室の無実を証明してみせる。そして、真犯人が誰なのかも。

 私と浅野さんは朝比奈家を後にし、月村さんを迎えに行くために私の運転する車で株式会社SKTTの本社ビルへと出発する。


「気持ちがいいほどに、氷室さんが無実であると分かりましたね」

「本人が何も嫌なことはされていないと断言しましたからね」


 性的な行為は行なっているようだが、そのことを話す美来さんの嬉しそうな表情を見れば……氷室が無理矢理したとは思えない。


「しかし、黒幕候補が5人もいて、一課の佐相警視が関わっている可能性があるなんて」

「氷室は無実の罪で逮捕されていますからね。そのことを考えれば、警察関係者が関わっていることは明らかです。しかも、かなり権力のある警察官が。佐相警視はそういう警察官の1人ですよ」


 ただ、権力を持つ警察官が関わっているのだから、下手すると、圧力が掛かってろくに捜査ができなくなる可能性がある。慎重に捜査していかなければ。

 ――プルルッ。

 私のスマートフォンが鳴っている。まさか、さっそく美来さんから連絡が来たのだろうか。それか月村さんからか。

 しかし、ホルダーに設置した私のスマートフォンの画面をチラッと見ると、発信者は『岡村大貴』となっていた。無視しても問題ないが、後で面倒になりそうだ。


「あの、出た方がいいでしょうか?」

「通話ボタンを押してください。私の親友からです」

「それは出なければいけませんね!」


 親友だと言った瞬間に、浅野さんの眼の色が変わったな。新しい妄想材料が舞い込んできたと思っているのだろうか。

 浅野さんが通話ボタンを押した瞬間に、


『おい、羽賀! 今、スマホをいじったら、氷室が逮捕されたっていうニュース記事があったんだけど、いったいどういうことなんだよ!』


 相変わらず馬鹿でかい声を出す男だ。


「岡村。今、私は運転中なのだから、もっと声を小さくしてくれ」

『そんなの関係ねえ! 氷室が逮捕されたんだからよ!』

「お前には落ち着くという考えはないのか」


 とは言うが、氷室が逮捕されたことを知って落ち着けるわけがないか。


『氷室が児童に強制わいせつってどういうことなんだよ! まさか、朝比奈ちゃんに変なことをしたっていうのか? あいつ、そんなことをする度胸ねえだろ! 絶対に何かの間違いだぜ!』


 言葉は悪いが、岡村も氷室の無実を信じているということは分かった。


「私も氷室は無実だと思っている。それに、氷室が逮捕された事件、私が担当することになったのだ。なので安心――」

『じゃあ、お前が逮捕しろって決めたのか! お前、氷室に朝比奈ちゃんと月村さんという女性がいるからって逮捕したっていうのかよ! 最低な奴だな!』

「貴様、勝手な妄想は止めてもらおうか。私がそんなことをするわけがないだろう。私がこの事件を引き継いだときには、既に氷室の逮捕は決定していたのだ」

『えっ……』

「もう一度言う。私も氷室が無実だと思っている。それでたった今、朝比奈美来さんと話をしてきて、氷室から何も嫌なことはされていない。報道で言われているような、強制わいせつの行為もないという証言を取った」

『……そっかぁ』


 はあっ、と安心したのか岡村のため息声が聞こえる。


『じゃあ、氷室はすぐに自由になれるのか?』

「それは難しい。私も今日から調査を始めたところだからな」


 かなり上の位の警察関係者が関わっている可能性はほぼ確実なので、一筋縄ではいかないだろう。


「あの……岡村さん、というのでしょうか。あなたは羽賀さんの親友とのことですが、氷室さんとも親友なのでしょうか?」

『は、はい。そうですけど……って、お前! もしかして、氷室が逮捕されたっていうのに女とランデブーしてるのか? 女には興味ないって言ってたお前が……!』

「えっ! 羽賀さんって女性には興味がないんですか?」

『……な、何でこの女の人は、羽賀が女に興味ないことに喜んでるの?』


 あ、頭が痛くなってきた。岡村は浅野さんのBL好きを知らないから彼を責めることはできないが……余計なことを言いやがって。


「ああ、妄想が爆発しそうです! 羽賀さんには岡村さんという親友の男性もいて、しかも女性に興味が無いなんて! 素敵なBLは二次元か、三次元でも脳内で創り出すしかないと思っていましたが、まさか現実にこんなにも可能性があったとは! 私、今までの中で今が一番、羽賀さんの部下で良かったと思っていますっ!」

『……羽賀、一緒にいる女の人は何を言っているんだ?』

「……今は何も訊かないでくれ。事件のことで頭がいっぱいなのだ」


 というのは嘘で、岡村に浅野さんのことを説明する気にならん。ある意味、氷室が逮捕されたこの事件よりも面倒かもしれない。


『それよりも、羽賀。氷室のことで色々と話が聞きたいんだ。酒は持っていくから、今夜、お前の家で呑まないか?』

「それはかまわないが……」

「私も同行してよろしいでしょうか!」


 やはり、浅野さんも一緒に呑みたいと言ってきたか。ここで断って後で恨まれるくらいなら、一緒に呑んで好き勝手に妄想された方がマシか。


『俺はいいっすよ! 女性がいた方が楽しいですし! 羽賀もいいよな!』

「……分かった。部下の女性も同行する。だが、仕事がいつ終わるかは分からないから、終わったときには連絡する」

『分かった! もうすぐで休憩時間が終わるから、また後でな!』


 岡村は上機嫌な声でそう言うと、向こうから切りやがった。本当にこの男は自分勝手な人間だ。たまに、氷室には岡村のような自分勝手さを持ってもいいと思っていたが、やはり氷室は今のままでいい。あんな奴は1人で十分だ。


「今日の夜が楽しみです! 岡村さんも氷室さんと同じように、小学生からの付き合いなのでしょうか?」

「ええ、そうです。高校を卒業するまでは基本3人で一緒にいました」

「……まったく、羽賀さんは最高だぜ」


 よしっ、と浅野さんはガッツポーズを見せる。今でもこんなにも興奮しているのに、私が氷室や岡村と3人でいる場面を実際に見たら、彼女はどうなってしまうのか。そんな彼女に頭を抱えてしまうのは事実だが、親友が逮捕されて気持ちが重くなっている今、こんなにもテンションが高い部下が側にいると、少し気分が軽くなるのもまた事実。


「妄想するのは自由ですが、ほどほどにしていただきたいですね」


 さっきのように鼻血を出して倒れられてしまったら困るからな。職務に支障をきたすほど妄想するのはいかがなものか。


「コントロールするつもりですが、こんなにも興奮する材料があると制御不能になってしまうかもしれません。予めご了承ください」

「……はあっ」


 返す言葉が見つからず、ため息しか出てこない。何を言ってもムダのようだ。

 月村さんのいる株式会社SKTTの本社ビルに着くまでの間、浅野さんとは会話をしなかったが、たまに彼女が独り言を発していた。はっきりとは聞こえなかったけれども、興奮している様子だったので、どういう内容なのか想像できてしまうところが何とも言えなかったのであった。

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