第57話『全然先生-中編-』

 5月26日、木曜日。

 午後4時。僕は雅治さんと一緒に私立月が丘高等学校へと出向いている。

 昨日、学校側から放課後に話したいと連絡が来たので、授業が終わって少し時間が経った午後4時に会うことになった。

 誰が学校に行くことにするか美来の御両親と話し合った結果、僕と雅治さんが学校へ行くことに。美来は果歩さんと結菜ちゃん、詩織ちゃんと一緒に家にいる。


「娘とは学校説明会のときに一緒に来たけど、まさか息子と一緒にここへ来ることになるとは思わなかったな」

「……僕、まだ息子じゃないですよ」

「……すまない。ただ、このくらいの冗談を言わないと気持ちが落ち着かない。今日は全然仕事にならなかった」

「そうですか」


 今日、雅治さんは昼過ぎまで仕事をして、職場から直接ここに来ている。夕方から娘の受けたいじめについて学校で話すとなったら、仕事にあまり集中できなくなるのも分かる。

 詩織ちゃんが撮影したアンケートの写真や、アンケート実施時の録音データは僕のスマートフォンに送ってもらった。写真については現像もした。


「去年、ここに来たときはいい学校だと思ったんだが、今は何とも言えねえな」

「まあそうですよね」


 この学校の中で娘はいじめを受け、しかもクラスでのいじめは学校ぐるみで隠蔽していた可能性もあるんだ。親としてはそういう学校に複雑な想いを抱いても仕方ないか。

 校舎の入り口のすぐ側にある事務に、僕と雅治さんが来たことを話すと、事務の方に話が伝わっていたのか、すぐに会議室へと案内された。


「なんつうか、就職活動の面接みたいだな」

「そうですね」


 雅治さん、採用試験の面接官をやっていそう。

 事務の方が会議室を後にしてから、まだ誰も来ていない。こうしていると、就活でグループ面接をしたときのことを思い出すな。採用担当の方が来るまでの時間が一番緊張する。


「それにしても、氷室君。よくスーツなんて持ってきていたね」

「ええ、まあ……いじめの問題に決着をつけるために、お宅に向かったわけですからね。場合によっては、こうして学校に出向くかもしれないと思いまして」

「なるほどな。もし、君が学生だったら、迷わず採用しているところだよ。今の氷室君のように、誰かのためにここまで献身的になれる人はそうそういないからね」

「でも、今回の場合は特別じゃないですか。大切な人がいじめられているって」

「……今の一言を聞いて、ますます息子にしたくなった。あと、女性に迷えるというのは男として幸せなのかもしれないな。じっくり考えればいい。まあ、俺も昔は果歩を含めて5人の女性の誰と付き合うか迷っていた時期があったからな……」

「……そうだったんですか」


 さりげなく自慢されてしまったぞ。ただ、雅治さんはイケメンだし、若い頃はさぞかしモテていたことだろう。


「こういう話をしていないと、気持ちがコントロールできないんだ」

「そうですか」


 敵のお社に入って、もうすぐ敵と対峙するわけだからな。

 ただ、俺は隣に雅治さんがいるおかげで落ち着くことができている。こういう場面で大人の男性が一緒にいてくれるのはとても心強い。

 ――コンコン。

 というノック音が聞こえた後、会議室の扉が開いて、3人の男性と1人の女性が入ってきた。2人の男性は雅治さんよりも年上のように見え、残りの1人の男性と女性は20代後半くらい。若い男性が美来の担任の後藤さんだろうか。

 4人は机を介して向き合うようにして立つ。


「初めまして。声楽部顧問の片倉綾音かたくらあやねです」

「朝比奈美来さんの担任の後藤隆と申します」

「教頭の阿久津茂あくつしげるです」

「校長の松坂明義まつざかあきよしと申します」


 向かって左から、松坂さん、阿久津さん、後藤さん、片倉さんか。ちなみに、僕のほぼ正面に後藤さんと片倉さんが座る形になる。

 なるほど、美来のいじめに関わる話をするので、クラスの担任だけでなく声楽部の顧問まで同席するのか。


「娘がいつもお世話になっております。私、朝比奈美来の父の朝比奈雅治と申します。そして、隣にいるのが、美来と長いこと親しくしてもらっている氷室智也さんです。何度か電話でお話しした後藤さんは存じているとは思いますが」

「氷室智也です。本日はこのような場を設けていただきありがとうございます」


 今すぐにでも怒りをぶつけたい気持ちだけど、気持ちを落ち着かせ、まずは詩織ちゃんが頑張って手に入れてくれた証拠を提示するとしよう。


「氷室さんから話は伝わっている思いますが、娘の受けたいじめについて、学校側が隠蔽・ねつ造、アンケート実施に関しての圧力などを行なっているのではないかという証拠が揃いました。本日はそれらについて説明させていただきたいと思います。氷室君、説明をお願いするよ」

「分かりました」


 僕は持参したアンケート用紙を撮影した写真をテーブルに並べる。


「これらの写真は、一昨日、1年1組で実施された朝比奈美来さんのいじめについてのアンケート用紙です。写真を提供してくれた1年1組のある生徒は、写真から見て分かるように朝比奈美来さんがいじめを受けていた場面を見ており、いじめた生徒の名前も記載しています。その生徒は、写真に写った記載のまま提出したと言っています」

「しかし、昨日、後藤さんからアンケートの結果について電話で報告を受けたとき、妻と氷室さんはあなたからいじめはないという集計結果になったと言われました。それらしき回答はあったという一言はあったみたいですが」

「仮に美来のいじめについて詳細な回答が、この写真を撮影した生徒だけであっても、これだけ詳細な内容が書いてあったのです。それらしき回答があったと濁すのはどうかしていると思います」

「そ、そんなこと言いましたっけね……」


 後藤さんは眼を泳がせながらもそんなことを言ってくる。


「今のようにはぐらかされるかもしれないと思い、一昨日から、学校と朝比奈家の通話については全て録音してありますよ。聞かせてあげましょうか」

「何だって……」


 僕はスマートフォンで昨日の電話の録音データを再生する。


『そして、そのアンケートには全ての生徒からの全ての回答が、いじめはなかったという答えになっていたということですか』

『……一部、それらしき行為を見たことがあるという回答もありましたが、それはきっと朝比奈さんとは関係ないでしょう』


 録音データを再生すると、後藤さんは目を見開き、校長と教頭については目を鋭くさせ不満そうな表情を浮かべていた。なるほど、この2人はいじめを隠蔽したい考えの持ち主か。


「クラス担任である後藤さんは、アンケートの結果を朝比奈さん側に隠蔽していました。そして、そのアンケートの実施の際に、後藤さんは後に面倒な事態になることを避けるために、1年1組の生徒にいじめはなかったと記載するように促しています。生徒が録音した音声をまずは聞いていただきましょう」


 僕は詩織ちゃんが録音してくれた、アンケートを実施する際の音声を再生する。何度聞いても腹立たしいな。

 再生が終わったときには、後藤さんの額が汗ばんでいるように見えた。


「後藤さん。あなたがアンケート実施の際に、いじめはないと生徒に書かせるように圧力を掛けた証拠です。退学処分までを匂わせることまで言って……教師としてどうかと思いますね。なぜ、生徒にそのようなことを言ったのですか? 後藤さんの独断でしょうか。それとも、上の立場にいる人間からそうしろと命令されたのでしょうか……?」


 校長や教頭にも視線を向けても、2人は僕に視線を合わせようとしない。仮に上層部からの命令があったとしたら、校長や教頭という立場の人間が知らないはずがない。


「……昨晩、私も今と同じことを妻と氷室さんから説明を受けました。録音データや写真がある以上、今、氷室さんが説明してくれたことと同じ考えになります。あと、それに付け加えて、なぜ、声楽部の方はあっさりといじめの事実を認め、クラスでのいじめは事実を頑なに認めようとしないのでしょうか。その理由を教えていただきたいです。後藤さん」


 そう、雅治さんの言うとおり、どうして声楽部のいじめの事実はすぐに認め、クラスでのいじめはここまでなかったことにしたがるのか。現状、2つのいじめの明確な差は、いじめた事実を認めた生徒がいるかどうかだけど。


「……なかなか言わないのであれば、別の人に聞くしかありませんね。片倉さん、なぜ声楽部のいじめはあったと認められたのでしょうか」

「とある2年生の部員が、朝比奈さんにいじめをしたと自ら言ってきたからです。それに、今の話に違和感があって……」

「違和感?」

「ええ。声楽部は活動停止になり、部活の方でもアンケート調査をしました。そうしたら、朝比奈さんのクラスでもいじめがあると聞いているという回答がありまして。朝比奈さんと同じクラスの部員がいますので、その部員が書いたのかなとは思うんですけど……」


 それは初めて聞いた話だな。声楽部でもアンケートを実施されているとは思っていたけれど、まさかそのアンケートでも1年1組でのいじめがあったと回答があったなんて。


「その結果はもちろん、後藤先生や校長や教頭にも伝えました。だから、どうしてクラスでのいじめはなかったと言われているのか……」

「……なるほど。非常に重要なことを話していただきありがとうございます」


 片倉さんの今の話を聞く限りでは、どうやら、一部の関係者の間で1年1組でのいじめがなかった結果にしようと動いていたんだな。


「どうやら、また一つ、生徒の声を隠していたようですね。何を理由にクラスでのいじめを隠していたのですか。我々が納得できるように説明してください!」


 思わず声を荒げてしまった。ただ、学校側がやったことに対する怒りをどうしても示しておきたかったのだ。許せないと。許されないことなのだと。


「……はあっ」


 聞こえたのは後藤さんのため息だった。そんな彼は気怠そうな様子を見せている。


「こうなることが面倒だと思ったからですよ。氷室さん、あなたさえいなければ、朝比奈さんを転校させて終わりだったのに……」


 僕らが受けた言葉は、血も通ってなければ、全く心がこもっていない冷め切ったものなのであった。

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