第51話『シンギ』

 ――1年1組にはいじめは存在しない。


 美来が話してくれた事実とは異なる結果を聞かされ、いったい学校では何が起こっているのか分からなかった。ただ、心に抱くのは信じられないという気持ちだけ。


「美来はいじめてくる生徒の名前を挙げ、それを主人がきちんとそちらに伝えたはずです。それなのに、いじめはなかったという結果が出ることに納得がいきません。結論を出すのは時期尚早ではないのでしょうか」


 果歩さんの言うとおりだ。まさか、全員が1年1組にいじめは存在しなかったと応えたのだろうか。


『いじめはないという生徒からの答えが出ているんです。それなのに、いじめはあったと考えるのは生徒を信用していないことになりますよ』

「しかし、美来も月が丘高校の生徒の一員です。いじめはあったという美来の言葉は信じてはいただけないのでしょうか」

『信じましたよ。だから、アンケートを実施したのではありませんか。しかし、現実は違っていた。いじめはなかったと。そのとき、朝比奈さんならどうお考えになりますか。実際にいじめはあったかどうかについて』

「それは……」


 そういう風にして、1年1組にはいじめがなかったという結論に落ち着かせたいのか。いじめはあったと主張する生徒は美来1人に対し、いじめはなかったとアンケートに答えたのはおそらく30人以上。だから、いじめはないって?


『親御さんはもちろん、娘さんの言うことを信じるでしょうね。では、第三者の意見を聞かせていただきましょうか。きっと、氷室さんが側にいるのでしょう? 彼から第三者としての客観的な意見を聞こうではありませんか』


 まさか、向こうから俺に意見を求めるなんて。よほど、いじめはないという結論に自信があるんだろう。


「……分かりました。氷室さん、変わっていただけますか」

「もちろんです」


 僕だって、いじめはあったという美来の言葉を信じている。だから、実施されたアンケートには何かあるはずだ。それを探っていかないと。

 僕は果歩さんから受話器を受け取り、


「お電話代わりました、氷室です」

『後藤です。おそらく、今の話は聞いていたでしょう。いかがでしょうか。第三者であるあなたの客観的な意見を是非、朝比奈さんの担任として聞きたいのですが』

「分かりました。ですが、その前に確認としていくつか伺いたいことがあります。まず、いじめの実態調査として実施したのはアンケートだけでしょうか」

『そうですよ』

「そして、そのアンケートには全ての生徒からの全ての回答に、いじめはあったという旨の記述がなかったということでしょうか」

『……一部、それらしき行為を見たことがある回答もありましたが、それはきっと朝比奈さんとは関係ないでしょう』

「おっと、それは聞き逃せませんね」


 何とかして食い下がらないと、このまま「クラスでのいじめはない」と結論づけられてしまう。


「その回答、いじめはあるという可能性が残されている何よりの証拠じゃないですか。そのことについて、さらに詳しい調査もしない。そして、美来がいじめた生徒として名を挙げた佐相柚葉さん、種島奈那さんなどに対して個別の聞き取り調査も行なっていないと。冗談ではありません。親御さんの言う通り、今の段階でいじめはないと結論づけるのは早すぎます。もしかしたら、美来ではない生徒の受けているいじめがあるかもしれない。それを担任として見逃すのですか?」


 どうも、向こうは何でもいいから理由を付けていじめはないと結論づけたいようだ。それは、後藤さん個人ではなく組織的に。さっき、アンケートの集計は複数名で行なったと言っていたから。


『私は更なる調査は必要ないと考えています。だから、こうしていじめはないという連絡をしているんじゃないですか』

「なるほど。では、1年1組の生徒に向けて実施したアンケート結果を、朝比奈さんに見せていただけませんか。第三者である私は見ないと約束します」

『守秘義務がありますので、お見せすることはできませんよ』


 すると、果歩さんが僕の持っている受話器を自分の耳に当てて、


「保護者である私から見せてほしいと言ってもダメなのでしょうか? 生徒さんからいただいた回答を主人と私で見たいもです」

『……見せることはできませんね』

「そんな……」


 家族である果歩さんが言ってもアンケートを見せることができないのか。本当に守秘義務があるのか、それとも見せたくない別の理由があるのか。


「後藤さん、見せられない……いや、見せたくない理由があるんじゃないですか?」

『私達や生徒を疑っていると?』

「一個人としては、美来の言うことを第一に信じていますからね。実際に美来の傷も見せてもらいました。SNSを用いてのクラスメイトによる心ないメッセージも確認しました。それなのに、アンケート結果のみでいじめはないと結論づけるのは早いと言っているのですよ。やるべき調査はまだあなたたちは全てやっていないと思います。これが、後藤さん……あなたの求めている第三者としての意見です。更なる調査をお願いしたいです」


 ここで、クラスでのいじめの問題を終わらせるわけにはいかない。何とか食い下がって、調査を続行してもらわないと。


『氷室さん、あなたもしつこいお方ですね……』

「僕はただ、まだあなた達のやるべきことが残っていると言っているのです。あと、言っておきますが、存在しないことを証明するのはとても難しいんですよ。それにも関わらず、あなた方はいじめがないという証明できたと仰っている。それなら、こちらが納得できるように、いじめはなかったという証拠を朝比奈さんに見せてほしいと言っているんです。できますよね? 私が言った内容で何か間違っていることはありますか?」

『そ、それは……』


 多少強気で言ってみて正解だな。後藤さん、言葉を詰まらせたぞ。いじめがないという結論を覆すチャンスは今しかない!


「何度も同じことを言わせないでください。美来が挙げたいじめた生徒について個人面談をしてください。そして、いじめかもしれない場面を見たという回答がある以上、それについても更なる調査をお願いしたい。その結果が出るまで、美来に対するいじめがなかったと結論づけるべきではありません!」

『くっ……!』


 ただ、学校側の調査だけでは信用ならなくなってきたのも事実。こちらも動いていかないと、クラスのいじめの存在を再び隠蔽される可能性がある。


「後藤さん。最後に確認しますが、今、こちらに話したことは全て事実でしょうね? 私は昨日、あなたに言ったはずです。アンケートの結果を隠さず、曲げず、事実をそのままお伝え願いたいと」

『じ、事実に決まっているじゃないですか!』

「本当ですか? アンケート結果を朝比奈さんに見せることを拒否したのに。もし、記名式のアンケートであれば、名前の部分を隠していただいてもかまいませんが」

『それは……ええと』

「もし、嘘のアンケート結果を伝えていたり、そもそもアンケート実施時に何らかの圧力をかけていたりしていると分かったときは、覚悟しておいてください」


 これで、一歩でも真実に近づけるだろうか。僕がここでキツく言ったところで、学校側の見解を大きく変わっていくだろうか。

 ただ、今回の連絡を通して、僕達の方も調査をしていかないと学校側の思う壺になってしまう危険があることは分かった。


『……氷室さん。あなたがどう言ったところで、いじめはなかったという生徒からのアンケート結果は変わらないんですよ。それをただお伝えしているんです。隠蔽や圧力をかけていると言いたいのであれば、証拠を見せていただきたいですね。できないと思いますが。なぜなら、そんなことはやっていないのだから』


 後藤さん、開き直りやがったな。さっきまでとは打って変わって、はっきりとした声で言っている。今頃、僕を嘲笑っているんだろうな。


「……分かりました。しかし、あなた方もやるべき調査をしていただきましょう」

『分かりましたよ。まあ、いじめはないという結果は変わらないと思いますけどね。それでは、失礼します』


 後藤さんの方から通話を切った。僕はスマートフォンの録音を終了させる。


「何てこった……」


 一度はいじめがあるという事実に向かって、調査結果が纏まっていくかと思ったのに。実際は真逆だ。こちらが色々と指摘しているのに、クラスでのいじめはないという見解を曲げようとしない。


「氷室さん……」

「……どうやら、ここで待っているだけではクラスでのいじめがあったという事実が潰されてしまいそうですね。すみません、一度、気持ちを落ち着かせたいので、コーヒーを淹れてもらってもいいですか?」

「分かりました! 私が淹れてきますね!」


 美来はキッチンの方に向かっていった。

 まずいな。後藤さんに上手いこと言いくるめられてしまった。アンケート結果をねじ曲げて伝えた証拠。あるいは、アンケート実施の際にいじめはなかったと書くように圧力をかけた証拠を提示できない限り、学校側は1年1組でのいじめがあったと認める姿勢ではないようだ。それに、どちらも証拠を手に入れることは難しいだろう。

 気付けば、僕らは崖っぷちに立たされてしまっていたのであった。

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