第33話『バトン』

 果歩さんにはコーヒー、結菜ちゃんにはココアを出し、一息ついてもらう。そのことで、ヒートアップしていた気持ちも落ち着いてきたようだ。


「何だかこういうところでコーヒーを飲むと、主人が1人暮らしをしていた部屋に初めて遊びに行ったときのことを思い出しますね」

「そうなんですか」

「そのときは……ふふっ、色々なことをして。当時の私達と同じようなことを、美来は氷室さんともうしているのかしら……」


 何を考えているのか、果歩さんはうっとりとした表情をしている。こういうところも美来にそっくりだなぁ。

 テーブルを挟んで、果歩さんと結菜ちゃんが隣同士に座っているけれど、こうして見てみると美来の小さい頃の姿と、美来の将来の姿のようだ。


「昔の話をしてしまいましたね。そろそろ本題に入りましょうか。美来、お母さんや結菜に話したいことって……どんなこと?」

「えっと……その……」


 果歩さんと結菜ちゃんの真剣な顔を前にすると、やはり美来は緊張してしまうか。最初こそは2人の顔を見ていたけれど、段々と目線は下がっていき、最終的には俯いてしまう。もちろん、この間に美来が言葉を発することはない。


「美来」


 僕が美来に手を重ねると、有紗さんも続いて美来に手を重ねる。


「……智也さん、月村さん……」


 せめて、学校でいじめられている、という一言ことだけでも。それさえも言えないような感じだったら、有紗さんと僕が言うしかない。


「あのね……」


 美来はゆっくりと顔を上げ、果歩さんと結菜ちゃんのことを見て、


「私、学校でいじめられているの……」


 ようやく、美来は2人に言いたいことを言うことができた。

 ただ、これが彼女の限界だったのか、僕に話してくれたときと同じように涙を流し始めた。


「……そうなのね。それは辛かったわね」

「……うん」

「どういう理由なのかは分からないけれど、お姉ちゃんをいじめるなんて許せない! いじめている人の頬を1人ずつ叩きたいよ!」

「気持ちは分かるけれど、結菜、それは止めておきなさい」

「ううっ……」


 結菜ちゃん、握り締めた右手がかなり震えている。有紗さんと同じように血の気の多いタイプなのかな。


「クラスでも部活でも嫌なことをされて、とても辛くて。それで……それで……」

「……美来ちゃん、よく頑張ったね。あとは智也君が説明してくれるかな。これ以上、本人の口からいじめのことを話すのは辛いだろうから」

「分かりました」


 有紗さんは涙を流している美来のことを抱きしめ、頭を撫でている。


「有紗さんと僕はこのことについて、昨日、美来から聞きました。メモを取ってあるんで、今回の件について僕から説明させてください」

「分かりました、お願いします」


 僕は美来から聞いた彼女の受けているいじめの件について、果歩さんと結菜ちゃんに説明をした。

 果歩さんは冷静に、結菜ちゃんは時々「許せない」などと口にし、常に怒った表情を見せていた。


「この話を昨日、美来から聞いて……そのことを今日、ご家族に直接話したいということで、ここに来てもらったんです」

「そうだったんですね。氷室さん、有紗さん、美来の側にいてくれてありがとうございます」

「いえいえ。……ただ、学校でいじめがある以上、寮には戻らず、ご実家に帰った方がいいかと。あと、学校には行くべきではないと僕らは考えています」

「私もそれが一番いいと思います。私は専業主婦で普段は家にいますから、美来の側についていることができますし。美来、今日からは寮じゃなくてお家で過ごそうね」

「うん……」


 実家に帰れば、あのことについてのリスクは少なくなると。ただ、みんなに伝えておかないといけないな。


「1つ、みなさんにお話ししていなかったことがあります。これは美来の受けたいじめに関係あるかどうかは分かりません。実はこれまで、僕と友人の羽賀という男だけが知っていたことがあります。美来のクラスメイトの男子が、どうやら僕らのことを見張っているようなのです」

「私のクラスメイトの男の子が……?」

「そう。諸澄君っていう子」

「諸澄君が? そういえば、仕事から帰られる途中で彼と話したと言っていましたが……」

「どうして、その諸澄君というクラスメイトは、美来や氷室さん達のことを見張っていなければならないのですか?」


 やっぱり、理由を知りたいよな。すまないな、諸澄君。しかし、僕の口から美来への好意が知られてしまうのは自業自得だと思ってくれ。


「彼はどうやら、美来のことが好きなようです。彼と会ったとき、僕にそう言ってきたんですよ。美来、彼から告白されたり、好意を抱かれている話を聞いたりしたことはある?」

「いいえ、そんなことは全く。だから、今はちょっとビックリしています。あと、諸澄君のことが好きな女の子は多いですね」


 やはり、イケメンというのは必然的に女子からモテる生き物なのだろうか。彼以上に顔立ちの整っている羽賀は、学生時代に滅茶苦茶モテていた。


「好意からの付きまといだと思います。昨日の午前中、先ほど名前に出た羽賀という僕の親友が遊びに来たときに話してくれて。彼が家に入るとき……この写真をさりげなく撮ってくれました」


 僕はスマートフォンを机の上に置いて、昨日、羽賀が撮影したアパートの方を見ている諸澄君の写真を見せる。


「一応、確認しておくけれど、彼は諸澄君だよね?」

「私服姿を見るのは初めてですが、間違いなく諸澄君です。しかし、好意からの付きまといとは……気持ちは分からなくないです」


 まあ、美来も何年もの間、僕のことを遠くから見ていたからな。彼女の場合は僕が気付くことはなかったけれど。


「それでも、智也さん一筋なのは変わりません」

「それは……嬉しいね」


 諸澄君に自分の方が相応しいとか言われたこともあってか、かなりスカッとしたぞ。


「実家の方まで付きまとう可能性は低いとは思いますが、一応、気をつけてください。美来、後で送るから、果歩さんや結菜ちゃんに送っておいてくれるかな」

「分かりました」

「女子からの人気者に好かれていることも1つの口実かも。嫉妬心が恨みに変わった可能性もあるわね」


 有紗さんの推理……当たっているだろうな。いじめている人の中には諸澄君のことが好きな人もいるんじゃないかな。彼は告白していないけれど、美来さえいなくなれば自分に……と考えていじめたのかもしれない。


「学校の方には、親御さんの方から伝えるのがいいと思うのですが」

「もちろん、私達の方から伝えます。おそらく、主人がこのことを聞いたら……徹底的に追求するでしょうね。主人、子供達のことになると我を忘れるときもありますし。最初に美来が氷室さんと結婚したいと言ったときも、泣きながらダメだと叫んでいましたから」

「……そうなんですか」


 泣きながらダメだと言っていた方が、美来の結婚願望をよく許してくれるようになったな。美来もお父さんから許しをもらうまでに10年掛かったと言っていたし。


「ただ、学校側がちゃんと調査してくれるかどうか。最近、実際にはいじめがあったのに、いじめなかったという見解を示すなんていう報道もありますし……」

「確かに、最近はそういう報道は多いですよね。学校を信頼したいところですけど、私立ですし学校としてのブランドを保つために、いじめの事実を隠蔽されてしまう可能性も否定できませんね……」


 美来はケガを負っている。なので、傷害ということで警察に被害届を提出し、警察の方から学校側にいじめの調査をするようにするよう要請を出したり、警察の捜査を行なったりすることは可能だろう。


「智也君。1つ考えがあるんだけれど」

「何ですか、有紗さん」

「生徒のいじめなんだから、そのことを調査するのも生徒にやってもらうっていうのはどうかなと思って」


 目には目を、歯には歯を、生徒には生徒を……っていう考え方か。確かに学校での人間関係や、生徒が美来をどう想っているかを聞くには、月が丘高校の生徒がいいと思うけれど、協力してくれそうな生徒を僕は知らな――。


「あっ、そういうことですか?」


 僕が知っているのは美来に付きまとう諸澄君くらい。だけど、有紗さんには月が丘高校に通っている生徒が近くに1人いるじゃないか。


「あたしの妹に調査させるのはどうかな。今からここに来させるよ」

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