第29話『タイミング』

 日が傾き始め、部屋の中に夕陽が差し込んできた頃、美来は目を覚ました。


「智也さんに……どちら様ですか?」

「有紗だよ!」

「……月村さんでしたか。ごめんなさい。スーツ姿とメイド服姿しか見たことがなかったので、一瞬、誰なのかが分からなかったです」

「髪型も同じだし、化粧だってさっきとあまり変わりないのに……」


 有紗さん、美来に分かってもらえなかったのがショックなようだ。

 僕の会社の先輩だから、美来には有紗さんはスーツ姿のイメージが強いのかも。初対面のときも有紗さんはスーツ姿だったし。


「もう夕方ですか。私、気付かない間に眠ってしまったんですね」

「ああ。ベッドに動かしたときもぐっすり眠っていたよ」

「……それだけ泣いてしまったということでしょうね。あっ、えっと……泣いていたというのは智也さんのせいではなくて……」

「分かってる。美来ちゃんが眠っている間に、智也君から学校での話は聞いたよ」

「……そうですか」


 美来は微笑むけど、それは一瞬のこと。悲しげな表情に変わって、涙をボロボロと零し始める。どうやら、学校で受けたいじめが相当辛かったようだ。


「美来ちゃん、大丈夫だよ。智也君やあたしが一緒にいるから」


 優しい声でそう言うと、有紗さんは美来の頭を撫でる。


「美来ちゃん、このことが解決するまで、高校には行かない方がいいよ。もちろん、寮にも帰っちゃダメだよ」

「えっ……」


 すると、美来は何かに怯えた様子に変わり、体が震え始めている。


「学校に行かなくなったら、私、みんなにどう思われるんだろう。逃げたって責められて、もっともっと怖い目に遭う……」


 これまでに受けたいじめよりも、もっとひどい目に遭うんじゃないかと恐れているのか。学校に行かなくなるのはいけないことで、自分の更なる落ち度として責められるんじゃないかと考えているのかもしれない。


「美来。怖くなっちゃう気持ちはよく分かるよ。でも、今の美来の状況を考えたら、学校に行かなかったり、寮に戻らなかったりすることは全く悪くないんだよ。辛い場所や辛い人から、自ら離れることの何がおかしいのかな」

「でも、学校に行かなくなったら、私が弱い人間として責められてしまうんです! お前は逃げた人間だって!」

「それはいじめる人間の考えた口実にしか過ぎない! いじめる人間っていうのは、例え普通のことでも弱みだと都合良く解釈をして、それを口実にしていじめないと気が済まないような人なんだと僕は思うよ。美来は弱いかもしれない。でも、いじめる人達よりは、美来の方がよっぽど強い。有紗さんと僕がそれを保証する」


 どんなに辛い目に遭っても、美来は自分の意志を決して曲げなかった。僕のことが好きな気持ちを持ち続けている。そんな中、たくさんの人からの告白に対して、断る形を取っても想いには真剣に向き合った。それのどこが悪いというんだ。


「美来、学校に行かないもjs、いじめる人達に対する嫌だっていうちゃんとした意思表示にもなると思うんだ」

「智也君の言うとおりだね。自分はあなた達にされていることに耐えられないっていうメッセージを伝えること。それは美来ちゃんの持っている権利なの。だから、学校に行かないことは何にも悪くないよ」

「智也さん、月村さん……」

「……よく、智也君に言えたね」


 有紗さんは美来のことを抱きしめる。

 まずは、学校に行かないことと、寮には戻らないことは確実にやった方がいい。ただ、僕や有紗さんは仕事があるから御両親に連絡をして、実家に戻った方がいいだろう。明日が日曜日だから、遅くても明日中には。

 高校の方には御両親から連絡した方がいいだろう。ただし、学校側の対応によっては……警察にも連絡するか。いや、その前に羽賀に相談すべきかな。


「智也君、何か考えているようだけど……」

「これから何をすべきか考えていました。まずは美来の御両親に連絡することですね」

「そうね。美来ちゃん、これから御両親に連絡を取りたいけど、いいかな? 美来ちゃんが言えないなら、智也君かあたしが説明するよ」

「僕が言いますよ。美来から直接聞いてますし」

「じゃあ、そのときはお願いするよ。美来ちゃんそれでどうかな?」


 美来の御両親にはできるだけ早めに伝えた方がいい。美来さえ良ければ、今すぐにでも連絡するつもりでいる。

 少しの間、美来は真剣な表情をして無言だったけど、


「……このことは私の口から家族に伝えたいです。ただ、智也さんや月村さんにお手伝いしてもらうことがあるかもしれないです」

「そのときはちゃんと有紗さんと僕がフォローするよ」

「でも、今すぐに話せる勇気がありません。明日になったら、言えるかもしれません。ですから、今すぐでなくてもいいですか? 早く伝えた方がいいのは分かっているんですけど、私のわがままを聞いてくれますか」


 僕や有紗さんにやっとのことで、美来は自分の受けているいじめについて話してくれたんだ。今はもう、特に精神的に疲れてしまっているのかもしれない。一度、リラックスをし、気持ちの整理をして明日、彼女のご家族にいじめのことを話した方がいいだろう。


「僕は美来の言うことに賛成する。今日はもうあまり考えないようにして、明日言う方がいいと思う。有紗さんはどう思います?」

「あたしも同感。今日はゆっくり休んで明日話す方がいいと思う」

「分かりました。じゃあ、美来。明日、電話でも、ここに来てもらうでもいいから、ご家族に話そうか」

「……はい。ありがとうございます」


 美来は僕と有紗さんに深々と頭を下げた。

 彼女をここまで追い詰めた人間は誰なのだろうか。クラスメイトで知っているのは諸澄君だけだけど、美来のことが好きな彼がじめるようなことはしないだろう、おそらく。


「じゃあ、ちょっと早いけれど、これから夕ご飯を作るよ。何がいい?」

「私が作りますよ。いえ、作らせてください」

「今日は疲れただろう?」

「確かに疲れはあります。でも、好きな人にご飯を作ると元気が出てくるんです。それに、助けが必要になったら、もう1人のメイドさんに頼めばいいじゃないですか」

「えっ、もしかして、またあのメイド服に着替えるの?」

「そうですよ。だって、月村さんと私は智也さんのメイドさんですもん」


 えっ、そういう設定だったの? てっきり、美来の趣味で着ているだけだと思っていたんだけれど。


「智也君は……あたしのメイド服姿、見たい?」


 顔を赤くして僕のことをちらちら見ながら訊くってことは、本人はあまり着たくないのかもしれない。だけど、


「ワンピース服姿もいいですけど、さっきのメイド服姿がとてもよく似合っていたのでまた見たいですね」


 ワンピースにエプロンという姿も見てみたい気持ちはあるけど、今はメイド服姿を見たい気持ちが勝るかな。


「智也君がそう言うなら、メイド服に着替えてくるよ。ご主人様からのご希望はちゃんと聞かないといけないもんね。今は智也君のメイドさんだから」


 可愛らしい笑顔を見せてくれる有紗さん。僕のメイドさんってことでいいのか。もしかしたら、メイドさんになった代償として、来週の仕事ではこき使われるかもしれない。

 その後、美来はメイド服姿になった有紗さんと一緒に夕飯作りをする。

 2人はあまり似ていないけれど、一緒に料理を楽しんでいる姿を見ると、まるで仲のいい姉妹のように見えるのであった。

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