第2話『10年』

「私と結婚してください」


 10年ぶり、2回目のプロポーズは前回と同じ、朝比奈美来という女の子からだった。


「え、えっと……」


 プロポーズにも戸惑っているけれど、それ以前にどうして僕がここに住んでいることを知っているのかなど、知りたいことが色々とある。


「もしかして、突然プロポーズをしたから、私のことが嫌いに……」

「いやいや、そんなことないから」


 ううっ、悲しげな表情をして目に涙を浮かべられると、迷子になって泣いていた当時の彼女のことを思い出してしまう。


「ここで話すのは何だから、とりあえず中に入って。時間は……大丈夫?」

「はい! 大丈夫です!」


 一瞬にして、眩しい笑みを浮かべる。目尻に涙が残っているけれど。

 僕はみくちゃんを自宅に通す。その際に彼女の側にあった大きなバッグを中に入れたんだけどとても重たい。いったい、何が入っているのやら。


「これが、智也さんの住んでいるお部屋……」

「本やCDとかが物が多くてごめんね。あまり人も来ないから、全然片付けてなくて」


 といっても、人が座るスペースはあるから大丈夫……なはず。


「とりあえず、そこら辺に座って。紅茶かコーヒー、緑茶なら出せるけれど何がいい?」

「いえ、お構いなく」

「分かった。ごめん、僕……喉が渇いているから、缶コーヒーを飲んでもいいかな」

「私のことは気にせずにどうぞ!」

「ありがとう」


 僕は机を挟んでみくちゃんの向かい合う形で座る。

 しかし、こう見ると……10年前に比べて成長したんだなぁ。顔立ちも大人っぽくなっていて、体つきは……有紗さんよりスタイルがいいんじゃないか?


「そんなに見つめられると恥ずかしいです。もちろん、嫌じゃないですよ! とっても嬉しいんですけど……」


 そう言いながらも笑みを絶やさないことからして、ここで僕と2人きりでいることにとても嬉しそうなのが伺える。

 買ってきたボトル缶のブラックコーヒーを一口飲み、心を落ち着かせる。


「智也さんはブラックコーヒーがお好きなんですか?」

「ああ、そうだけど」

「……大人なんですね。って、もう24歳で立派な社会人ですものね」

「立派か……」


 みくちゃんは16歳。高校1年生の女の子には、働いている人はとても立派な大人に見えるのかもしれない。ましてや、スーツを着ていると。僕はただ、なるべく周りと同じように生きるために、流れに乗って就職をしただけなんだけどな。


「出会ったときは秋だったから誕生日を迎えていたけれど、僕の誕生日は7月の終わり頃なんだ。だから、まだ23歳だよ」

「そうだったんですか。すみません……」

「ははっ、いいんだよ。でも、みくちゃ……な、何て呼べばいいのかな。10年前みたいにみくちゃんって言われるのは嫌だろう?」

「いえいえ! 私、智也さんには名前で読んでほしいです。私だって、ほら、智也さんのことを智也さんって呼んでいますし」

「そうだな。じゃあ……美来」

「……はい! 智也さん!」


 顔を真っ赤にして、大きな声で返事しちゃって。呼び捨てで下の名前を言われるの、あまり慣れてないのかな。


「美来は16歳になったんだね」

「はいっ、4月15日が私の誕生日なんです。16歳に」

「そうだったんだ。1ヶ月遅れだけれどお誕生日おめでとう。4月生まれってことは、クラスの中では結構なお姉さんなわけだ」

「……そうですね」


 美来は僕から視線を逸らしながらそう言った。久しぶりに僕と会って、緊張しているのかもしれない。


「えっと、それで結婚できる16歳になったから僕にプロポーズをしに来たと」

「はい、そうです! 16歳になってから改めてプロポーズする勇気が出るまで、1ヶ月ほどかかってしまいました!」


 そう言われて、さっきのプロポーズを思い出してみるけれど、さほど緊張したようには見えなかった。でも、10年分の想いを伝えるんだから、緊張して当たり前か。


「そっか。プロポーズってことは、結婚したいってことだ。その……御両親はこのことをどう思っているのかな?」

「お母さんは10年前のあの日に結婚を許してくれました。お父さんはダメの一点張りだったんですけど、10年間説得し続けて、先月、16歳になったときにようやく承諾してくれました」

「なるほど。それは……凄いね」


 10年間も説得し続けるなんて。それだけ僕のことが相当好きで、結婚したいと思っていたんだな。きっと、美来の父親は根負けし、結婚できる年齢になったタイミングで許したんだろう。


「なるほど、美来の気持ちと御両親がそれを応援してくれていることは分かった。ただ、一番気になっているのは……どうして、僕がここに住んでいることを知っていたの?」


 玄関の前で待ち伏せていたってことは、僕がここに住んでいるのを知っていたということだ。あと、この僕が氷室智也であることも美来は知っていたことになる。僕は美来っぽい人を見かけたことは一度もなかったけれどな。


「えっと、ずっと智也さんのことは見ていましたよ?」


 笑みを浮かべる美来からの言葉に僕は耳を疑った。


「ずっと、見ていただって?」

「もちろん、四六時中ではありません。智也さんと出会った直後は智也さんの顔を忘れないように、智也さんの絵を毎日描き、小学生になってお小遣いをもらったら、自分であの遊園地に行ってみたり。あと、友達に智也さんのことを知らないか訊いてみたり」


 幼い頃からなかなかの行動派なんだな、美来は。


「遊園地に行っても智也さんを見つけることはできませんでした。ですが、2年ほど経ったとき、友達のお姉さんが通っている高校に、智也さんが通っていることを知りました。それでその友達と一緒に智也さんの通っていた高校に行って、智也さんを見つけたんです」

「じゃあ、そのときからずっと僕のことを……」

「はい。できる限り智也さんのことを陰で見守っていました。智也さんが大学に通われていたときもそうですし、もちろん去年の春から就職して、ここに住んでいることも知っていました。確か、ここに住み始めたのは去年の夏からでしたよね!」


 美来は興奮した様子で僕のことを話してくれたけれど、よく考えたらこれまで彼女がしていたことって、


「ストーカーも同然じゃないか!」

「あううっ! ご、ごめんなさい……」


 確かに、ずっと僕のことを見ていたのは間違いなさそうだ。僕の高校時代からだから……8年くらいか。僕に対する好意の深さを色々な意味で知ってしまった気がする。


「しかし、僕もよく気付かなかったな……」

「智也さんに気付かれないように気をつけていたんです。次に智也さんと会うのは結婚できる16歳になってからだと決めていましたから」

「……なるほど」


 その努力の甲斐があって、僕に一度も気付かれることなく、今日、ついに10年ぶりの「再会」を果たし、プロポーズをしたというわけか。


「でも、良かったです。智也さんが誰にも告白せず、誰からも告白されることがなくて。私の見ている範囲でですが。でも、今の智也さんの様子からして、告白をしていなければ、されてもいない。どうでしょう?」

「……ご名答」


 女性にさほど興味がないし、恋愛経験については何とも思わないんだけれど、何だろう……いざ、恋愛経験はないでしょうって得意げに言われるとちょっと悲しい。


「ほっとしました。もし、職場の方に告白していたらどうしようと思っていたんですよ」

「……そんなことは一度もございません」


 一瞬、有紗さんの顔が思い浮かんだけれど、あの人は仕事の先輩であり、異性としての興味はあまりないな。素敵な人だとは思っているけども。逆に、有紗さんが僕のことをどう思っているかどうかは分からない。

 美来は僕に恋人がいないことを知って安心したのか、胸を撫で下ろしている。


「智也さん。今日、突然プロポーズをされて戸惑っているかもしれません。いつまでも返事を待っています。なので、どうか宜しくお願いします」


 そう言うと、美来は僕に深々と頭を下げる。

 愛情の深さ故にストーカーのようなことはしていたけれど、美来が10年もの間、僕のことを好きでいてくれていることは事実。さっきのプロポーズと御両親の承諾がそれを物語っている。

 だから、僕も美来の気持ちに対して、真剣に考えていかないといけない。


「突然のことで戸惑っているし。美来は僕のことを色々と知っているみたいだけれど、僕は美来のことはまだまだ知らないことばかりだ。だから、その……まずは美来のことをたくさん知っていきたい。それが、今の僕の答えかな」


 まずはお互いのことを知っていくべきなんだと思う。僕はもちろん美来のことはあまり知らないし、美来だって僕の知らない部分があるかもしれない。色々なことを分かり合うことが大切なんじゃないかと思っている。


「そうですか。分かりました、智也さん」

「ごめんね、はっきりとしたことを言えなくて。でも、10年前と変わらずに僕を好きでいてくれることはとても嬉しいよ」


 僕は美来の頭をゆっくりと撫でた。10年前と同じように、彼女の髪は柔らかかった。


「私も智也さんが変わらず優しく接してくれて嬉しいです」

「思い出さない日はなかったって言うと嘘になるけど、美来のことは結構思い出していたよ。美来がプレゼントしてくれた音符のシールを見なくても」

「そうですか……」


 もちろん、思い出す美来の顔は10年前の顔だけれど。


「……もう時間も遅いから、そろそろ家に帰った方がいいんじゃない?」

「えっ、帰りませんよ? あと、私は今、高校の女子寮に住んでいます」

「でも、寮だったら尚更帰らないとまずいんじゃない? 門限とかあるんじゃないか? もし、帰宅の時間が過ぎていたら僕が一緒に行って事情を――」

「嫌ですっ!」


 今までの中で一番大きな声でそう言われたので、僕は言葉を失ってしまう。


「私はできるだけ、智也さんと一緒にいたいんです。迷惑をかけないように気をつけますので、私をここに泊まらせてください。お願いします」


 美来は寂しげな表情を浮かべながら、僕のことを見つめてそう言った。

 女の子と一緒に泊まったことなんて、従妹とその友達くらいしか経験がないぞ。しかも、それは僕も彼女達も互いに小学生だった時の話だ。高校生の女の子と一緒に一夜を明かしたことはない。そんな僕の家に美来を泊まらせていいのだろうか。


「美来、君は男である僕の部屋に泊まろうとしているんだ。それがどんなことなのか……分かっているのかな」

「……はい。もちろん、智也さんだからお願いしているんです」

「分かった。寮の方には言い辛いよね。とりあえず、御両親に今日は僕の家に泊まることを連絡しておきなさい。もし、連絡したときにダメだと言われたら寮に帰ること。そのときは僕が一緒に行って事情を説明するから」

「……分かりました」


 美来はスマートフォンで実家に連絡をすると、母親から僕の家に泊まることを許可されたそうだ。

 確認のために僕が出ると、美来の母親が「宜しくお願いします」と言ってきた。美来の母親曰く、父親は渋々許したとのこと。

 こうして、美来が泊まることが決まったのであった。

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