第40話 災厄の山脈

 いったい何が起きたのか。

 先発したカイナードの空戦艦隊、25隻がルナトゥーラを取り巻く高山地帯にさしかかったところで航行不能となって平均3000メルテを越える山岳地に墜落、あるいは不時着してしまった。

 高空から圧し潰すように一斉に行軍しようとしていたために、ほぼ同時に撃ち落とされてしまったのだ。

 魔導砲と呼ばれる兵器を所有する国はある。

 しかし、カイナードの飛空戦艦を撃ち貫くほどの魔導砲となると、たった一門に魔力を充填するだけでも数百人という魔術者が休み休み半年近い時間をかけなければ、十分な威力が発揮できない巨砲になる。

 おまけに、その開発費用は膨大である。

 大国ならまだしも、魔導後進国のルナトゥーラに、そんな大砲が準備できるなどカイナードの軍部の誰もが考えていない。沿海州を制圧した時点で、ルナトゥーラなど単なる通過地点としか考えていなかったのだ。

 国土は狭く、平地が少ない。

 流通上でも、空路を除けば大型の貨物を行き来させる事が難しい。

 沿海州を抑えたカイナード軍部では、大陸図の上からルナトゥーラを消去してあった。

 そんな存在しない国の、しかも国境すら跨げない高山地帯のただ中で、横一列に進んできた25隻の空中戦艦が撃墜された。

 この報告が後方へ届くまでに時間がかかった。

 地表を進んできた偵察部隊が山中で行方不明となり、探索隊までが消息を絶ってしまった。先陣の25隻が墜落した事実を確認したのは、後続していた指揮艦とその直衛艦隊50隻である。

 望遠鏡による目視だった。

 信号光でやり取りが交わされ、連絡艇が指揮艦と行き来する。

 地上で見ていても混乱ぶりが明らかだった。

 カイナードの戦史を紐解いても、これほどの数の飛空戦艦を墜とされたのは初めだった。


(・・初めてなのは、こちらも同じだけどね)


 王女グレイヌが重甲冑を纏った勇ましい姿で方形楯を地面に突き立て、雲間のカイナード艦隊を睨んでいる。


「信号弾」


 側に控えていた侍女が呟いた。


「白玉5・・追加で3」


 山脈の稜線伝いに配備された各砲の砲撃準備が整った事を報せる煙玉である。


「これで、63門ね。よし・・」


 グレイヌは侍女に頷いて見せた。

 すぐさま、侍女が小型の筒に魔力を込める。わずかな間を置いて、深紅の大玉が上空高く打ち上がった。


 ほどなく、山脈の方々から紅蓮の光弾が撃ち出された。

 雲間のカイナード艦隊が回避する間など無い。

 閃光に包まれて破砕音や炸裂音が高空に鳴り響く。


「次弾、充填量を確認っ!」


 グレイヌは眦を吊り上げるようにして雲間の惨劇を睨みつけながら侍女に命じた。


「白玉4・・8・・」


 侍女が信号弾を数えてゆく。


(これで、75隻・・・次は散開して来るか・・単艦で偵察に来るか)


「白玉72・・なおも、追加で上がります」


「よし、兵を出せ!山岳戦で墜落した敵兵を掃討する」


「はっ!赤玉3連、上げますっ!」


「王女」


 不意の声に振り向くと、軽鎧姿のサイリが立っていた。影衆を一人連れている。


「今のところ、指南役の予想範囲内に見えるけど、どうかな?」


「はい。次は空中要塞を前面に押し出し、こちらの魔導砲の使用限界を狙ってくるだろうと・・」


「・・・カイナードが来ちゃったから、その・・指南役と助役は帰っちゃうかな?」


「我らには、どうすることもできませんが・・送った兵士達が申すには、指南役と助役はカイナード本国に乗り込むおつもりだとか」


「ぅっわ・・やりそぉ~」


「・・・さすがに、完勝を許すほど甘く無いですね」


「えっ!?」


 振り仰いだ高空の果てに、赤い魔光が灯っていた。じわじわと膨らみ、しだいに巨大な魔光の塊へと変じてゆく。


「まあ・・あっちにも有るよね」


 グレイヌが苦笑気味に呟いた。


「これは、逃れようがありませんね。どこまで耐えられるか・・」


「こっちの大砲じゃ、ちょい届かない距離よねぇ・・あれが要塞かな?」


「でしょうね」


「ずいぶん、でっかい・・ここで撃っちゃうと、もう当分は撃てないかもね」


「それだけ危機感を感じたのでしょうが、さて・・我が方はどの程度が生き延びられるか」


「こっちも合わせて撃ったらどうかな?」


「そうですね。何もしないよりは・・・」


 言いかけて、サイリが慌てて背後を振り返った。即座に、片膝を地面に着いて低頭する。


「へっ?あ・・ああっ、シン・・助役!」


 慌てて、グレイヌも地面に膝を着いた。


「師匠の許可を貰って来ました」


 銀毛の狐娘がにっこりと笑みを見せた。


「ちょっと行って来ますね」


 言い置いて、シンノは空へと浮かび上がって行った。


「多重の・・多層結界」


 グレイヌが呆れた口調で呟いた。


 上空へと浮かび上がった銀狐の少女は、待機しているルナトゥーラの戦士達からも、掃討戦をやっている兵からも見えた。

 シンノは、すでに青白い雷光を総身に纏っている。

 宙空に浮かび上がったまま、シンノは右手で遙かな遠方に見える空中要塞を指さした。白銀の尻尾が大きく膨らみ、雷光を纏って左右へ振られている。その度に、地表めがけて落雷が降り注いでいた。

 紅瞳が大きく見開かれて赤々と輝いてカイナードの空中要塞を捉える。


 ヒンッ・・ヒンッ・・ヒンッ・・ヒンッ・・


 シンノの人差し指を中心にして、異様な風鳴りが始まっていた。長い銀髪が風渦に舞い踊る。


 ヒュイィィィィィィィィ・・・


 風鳴りが圧縮されて耳朶を切りそうな甲高い音に変わる。


「あなた達がケダモノ呼ばわりする狐人の魔法を味わうと良いです」


 シンノが小さく呟いた瞬間、不可視の渦が指先を離れて、空の彼方に浮かぶカイナードの空中要塞めがけて飛び去って行った。やや遅れて、空中要塞の魔導砲から魔光の奔流が発射されたようだった。

 魔光の大きさで比べれば、シンノの放った渦は指先ほどの大きさでしかない。

 対する要塞砲の魔光は山脈そのものを呑み込みそうなほどに広範囲に拡がって押し寄せて来た。


「師匠の拳骨の方が威力があります。あれって、本気で痛いんですからね?」


 シンノがくるりと舞うように身を捻って、銀毛の尻尾を一閃させた。

 それだけで要塞砲の魔光が霧散して消し去られていた。

 ほぼ時を同じくして、シンノが放った渦がカイナードの空中要塞に到着した。

 一瞬の出来事だった。

 目が良い者なら、そこが歪んだように見えただろう。

 シンノが放った渦を中心に巨大な空中要塞が捻られて、破砕機にかかったように粉々になり、微細な破片となっていった。


「隠れてる船が居ますね」


 シンノの耳がピンっと尖り、銀毛の尻尾が膨らんで銀光を纏った。


 バシィッ・・バシィッ・・


 ふりふりと動く尻尾に呼応するように周囲で小さな炸裂音が響く。

 紅瞳が爛々と輝きを増して、三角の耳が何かを追尾するようにゆっくりと向きを変える。

 渦巻く大気がシンノを中心に巨大な柱となって天地を貫き聳えた。


「逃がしません」


 シンノが宣言した。

 小さな手の平が煽ぐようにして何も見えない空の彼方めがけて打ち振られた。

 直後、尖った穂先のような形状をした飛空艦が出現した。その艦体の中ほどから真二つに切断され、さらに連続した爆発によって火だるまになって溶解し爆散して塵と化す。

 魔導によって肉眼では見えにくくしてあったようだが、シンノの耳は誤魔化せない。


(師匠には効かない追尾弾ですけど・・)


 全身を輝かせた銀狐から、無数の光弾が撃ち出されてゆく。

 それぞれが意思を持っているかのように飛び交って、それぞれの獲物に向かって追い迫る。悪夢のような光弾が、崩落しつつ落下を続ける空中要塞から脱出する降下容器を片端から粉砕していた。


 不意に、地表から一条の魔光線が奔った。

 空中で光り輝くシンノめがけて撃たれたようだったが、身に纏った光に喰われるようにして霧散する。


(遠くを狙い撃つ武器ですねぇ)


 シンノの指が地表の狙撃者を指さした。直後、小爆発が起こって狙撃者が周囲のカイナード兵を巻き込んで爆散した。


「行きますよぉ~」


 小さく宣言すると、シンノは両手を拡げて、空中でくるりと回った。


 華奢な体から、小さな光弾が四方八方へ飛び散って地表へと降り注いでゆく。

 さらに、もう1回、2回・・・と、シンノが舞う。

 その度に光る胞子のような光弾がふわふわと散って粉雪のように地上へと落ちて行った。

 横向きに、くるりくるりと舞っていた銀狐が、ぽんっと宙返りをするように舞う。

 青白い雷玉が空めがけて飛んで行った。

 降り注いだ光弾は、ルナトゥーラの戦士達に触れても淡く輝くだけで何も起こらないまま地表を雪のように覆ってゆく。

 だが、カイナード兵が触れた瞬間、爆発するのだ。

 爆発するのは触れた一粒のみ。

 他の光弾は誘爆することなく、その場所に積もったまま残る。

 これは行軍するカイナード兵にとって、とてつもなく厄介な存在だった。おまけに、風に吹かれるようにして宙に舞う光弾もあれば、地面にへばりついて動かない光弾もある。生き物のようにカイナード兵を追いかけてくる光弾もあった。

 魔装具で重武装したカイナードの魔導兵でさえ、たった一つの光弾で消滅する。

 ありえない威力に、カイナード兵達は絶望した。


 広域に展開してルナトゥーラ領内へと浸透攻撃しようとしていたカイナードの残兵は、光弾の領域によって行軍する場所を限定され、よりルナトゥーラに有利な、隘路や渓谷へと追い込まれてゆく。

 そこへ、サイリの率いる影衆が突入するのだ。

 各個が一筋の槍と化して、密集して押し合いへし合い行軍するカイナード兵の中へと突撃してゆく。墜落で傷を負って士気もあがらないまま、隘路で数の力を生かし切れず、真っ向からの突撃を浴びて崩れたつ。


「素敵過ぎるわ。シンノ様」


 グレイヌが上空の銀狐を熱っぽく見上げながら、両手を頭上へと掲げた。

 

 ・・ゴウッ・・・


 小さく大気を灼く音と共に、巨大な火球が生み出された。


「死に神様がいらっしゃる時に・・あんた達、運が無かったねぇ」


 グレイヌはサイリ達の突撃で崩れ立ったカイナード兵めがけて巨大な火球を放った。

 狭い谷底を味方を押しのけるようにして逃げ惑う兵士達が一瞬で炎に包まれた。魔法を防ぎ止めるはずの魔装具が炎上し、炎に包まれたカイナード兵が折り重なるようにして渓谷に焼死体を積み上げる。


「戦士団っ!突撃ぃっ!」


 グレイヌが声を張り上げた。合わせて、侍女が深紅の信号弾を連続して打ち上げてゆく。

 そこかしこで、猛った応答の叫びがあがり、肉弾戦最凶を誇るルナトゥーラの戦士達がわずかに残ったカイナード兵を呑み込んで粉砕して抜ける。


「東の渓谷に回ったカイナード兵は、陛下ならびに王妃の隊が殲滅いたしました」


 声と共に、サイリが軽鎧に包んだ姿を見せた。


「500ほど、南の丘陵地から迂回したようだったけど?」


「例の、トウドウが銀龍と共に迎撃したようです」


「へぇ・・あの子、やる気になったんだ。ちょっと覚悟が足りなさそうだったのに・・」


「炎息の一撃だったようですよ」


「やっぱ、龍は凄いんだねぇ」


「噂をすれば・・」


 サイリの視線が西方の上空へ向けられた。

 その巨体に陽光を滑らせるようにして、大翼を拡げた白銀の巨龍が白く雲をひいて高空から一直線に降下してきた。

 その先に、光り輝くシンノが浮遊している。

 ふわふわと銀毛の尻尾を漂わせ、風に舞う精霊のように冷え冷えと棲んだ空を舞っていた。


「シンノ様っ!」


 白銀龍の首の付け根あたりにしがみついた少女が懸命に声をかけた。


「レンカさん?」


 ちらと振り返るシンノに、白銀龍が静かに巨体を寄せて行く。


「トリアン様がお呼びです!」


「しっ・・師匠が!?」


 銀狐娘の尻尾が逆立った。

 シンノの師匠は仮眠を取っていたのだ。


「時間切れですかねぇ・・レンカさん、龍さん、ここはお任せしますね?」


「はいっ!お任せ下さい!」


 勢い込んで返事をするレンカに応えるように、白銀龍が猛々しい咆哮をあげた。

 シンノはにこりと笑顔を残して、地上で振り仰いでいるグレイヌとサイリの近くへ舞い降りた。


「シンノ様・・」


「助役」


 二人が地に膝をついて低頭する。


「師匠が起きたので、わたしは師匠の元へ行きます」


「心より感謝申し上げます!」


 グレイヌが頬を赤らめながら礼を言った。


「トウドウ殿は何と?」


 サイリが上空の白銀龍を見上げた。


「龍さんと一緒に、うえを引き受けてくれるそうです」


「そうですか」


 サイリが小さく微笑んだ。


 その時、


 ・・・ドゴォオォォォォン・・・


 恐ろしく大きな遠雷のような重音が轟いた。

 シンノとグレイヌ、サイリがそっと視線を交わした。いずれともなく、それぞれが頷く。


 ・・・ドゴォオォォォォン・・・


 ・・・ドゴォオォォォォン・・・


 ・・・ドゴォオォォォォン・・・


 ・・・ドゴォオォォォォン・・・


        ・

        ・

        ・

        ・


「あ、あのっ、わたし、行きますね。何だか荒ぶってるみたいなのでっ!」


 シンノが二人に手を振って大急ぎで駆け出した。

 その間も、轟音は規則正しく鳴り響いている。


「あれでしょうか・・」


 サイリは遙かな高空に眼を凝らした。

 

 真っ青な空を、飛翔物が恐ろしい勢いで高空を飛び去ってゆく。


 幾筋も、幾筋も・・・。


「あれって・・あれよね?」


 グレイヌが呟いた。


「あれでしょうね」


 サイリが角度と方角を目視で測りながら応じた。

 言うまでも無く、80センチ列車砲の砲弾だ。


「4万・・いえ、もう少しでしょうか」


「なにが?」


「あれの落下する辺りまでの距離です」


「・・よんまん?もしかして、メルテ?」


「ええ・・」


「えっと・・それって、沿海州どころか、海峡越えちゃうよね?」


「軽く越えて、あちら様の大陸に届きます」


「・・まあ、知ってたけども・・うん・・うちらの指南役って本物の鬼よね?」


「お口にお気を付け下さい。縫いますよ?」


「いや・・縫うって、あんた・・・」


「それにしても、いったい何発お撃ちになるのでしょうね」


 延々と砲声が鳴り続けている。言うまでも無い。80センチ列車砲による砲撃だ。例によって、"硬く""速く""重く""回転"させた巨大な砲弾を撃っているのだ。


「指南役と助役に逆らったら死罪という国法を作るべきだと思うの」


「・・珍しく、よいお考えです」


 サイリが感心したように頷いた。


「カイナードのどの辺りに落ちるんかねぇ?」


 グレイヌが、手を庇に空を見上げながら呟いた。


「指南役のなさることです。恐らく国都でしょう」


「・・なんだか、同情するわ」


「わが方の民を蹂躙するつもりで攻めてきたのです。あちらの臣民が蹂躙されることに同情の余地などございません」


「うん、いや・・そこは良いのよ。その覚悟もなく、一方的に攻め込んでましたぁとか言わせないわ。そうじゃなくって、何て言うの?・・何の予兆も無く、空から砲弾が降り注いでくるじゃない?もう、戦うとか、頑張るとか・・何にも関係無いよね?剣の達人も、魔法の上手い人も、ほぼ一瞬で粉々でしょ?」


「威力のほどは分かりませんが・・・あれほどの重そうな金属塊が高空から降り注げば、地下も無事では済まないでしょうね」


 控え目に見積もっても、地表の建物は壊滅。地下2階辺りまでは崩落するだろう。


「指南役だもの・・たぶん、カイナードのギルデン王宮を狙ってんじゃない?」


「ああ・・確かに、いえ・・きっとそうでしょう。龍をも撃退したと言われる魔導城ですもの。指南役なら・・狙いますね」


 グレイヌとサイリが顔を見合わせて頷き合った。

 魔導によって常に地表から浮かび、地上の民草とは隔絶した空中庭園に築かれた王宮は、地上からの進軍は受け付けず、浮遊魔導の使える者か、飛空艦によって侵攻するしか乗り込む手段が無い。無数の魔導砲と、多重結界に護られており、数年前には龍族による攻撃をも撃退したらしい。

 それだけに、もし破壊できればカイナード人に与える心理的ダメージは計り知れない。

 

「聞こう」


 サイリは上空を見上げたまま背後の気配に声をかけた。

 影衆の女が1人、地面に片膝をついて低頭した。


「指南役よりご下命!」


 そう聞くなり、サイリとグレイヌが影衆に向き直った。


「特務艦一隻、影衆5名、戦士20名を貸せ・・と」


「承った!」


「ウジン戦士団長を呼べっ!」


 グレイヌが侍女に命じた。


「グレイヌ王女並びに御角様にも武装して同行せよとの事です」


「よし、残る影衆の指揮はミーシアに預ける。王女?」


「・・・たぎってきたぁぁーーー!」


 グレイヌ王女が深紅の髪を振り乱すようにして拳を突き上げて叫んだ。

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