第22話 鬼の師弟

 獣は、狩りのやり方を見て覚える。

 獣人のシンノはじっと年若い狩人を見つめていた。無口な少年である。滅多に話し掛けてくる事は無い。

 すべて見て覚えなければ、何も教えてくれない。

 でも、シンノを邪魔にしている感じはしない。

 必要な時には手を差し伸べ、失敗しても何度でもやらせて成功するまで待っている。

 ひもじい思いをする事は無かった。必ず獲物が獲れる。

 安心して眠れた。

 夜は、いつ見ても少年が起きていて見張りをしていた。

 そっと薄目を開けて見ていたら、狸だと言って笑われた。

 罠作りの手伝いは愉しかった。まだ、骨や棒を削ったり磨いたりするだけだったが、少年から何かを任されるというのは心が躍った。

 練習でいっぱい作った木製の罠をあちこちに仕掛けておいたら、狼人や犬人の大人がかかっていた。とてもがっかりした。

 ふくれっ面をしていたら、どん・・と頭に手を置かれた。加減はしてくれているのだろうが、とても力が強いので気絶しそうなくらいに痛い。

 木で短剣や槍を作ってくれた。

 持ち方も分からないまま、少年相手にとにかく当てろと言われて頑張った。

 かすりもしなかった。

 でも、何とかしようと頑張っていたら魔法を使えるようになった。

 風を起こして、風を羽織って動けるようになった。

 そうしないと少年に追いつけない。

 追いつくために風みたいに早く動きたいと思ったら魔法が使えるようになった。

 それでも、かすりもしなった。

 炎を舞わせ、氷を槍のように沢山作って放つ。

 そして、魔力を使い果たして気絶した。

 その行為が、どれくらい馬鹿な事なのか散々に説教された。悔しくて泣いた。泣いても説教された。泣いた事まで説教された。

 次に罠にかかった獲物は狸だった。

 とてもがっかりした。

 この世の終わりのような顔で立ち尽くしていたら、少年が軽くぽんぽんと頭を叩いた。びっくりするくらい優しい叩き方だった。

 どうやら褒められたらしかった。

 その日の食事には、大猪の肉と一緒に甘い果実の水が出た。

 いっぱい魔法を使って、休んで、いっぱい魔法を使う。

 落雷で巨樹が引き裂けたのを目の当たりにした時に雷を出せるようになった。

 小さくいっぱい出したり、大きく塊で出したりと、頑張って考えたのに、やっぱりかすりもしなかった。

 でも、少年と一緒に狩りが出来るようになった。

 罠を使わずに、少年が追い立て、シンノがトドメを刺す。その逆もやる。

 ウサギやネズミ、大猪に鹿や熊、蛇やトカゲも狩れるようになった。

 蜘蛛も斃した。

 3ヶ月ほどで湿原に連れて行って貰えるようになった。


「シンノは凄いな」


 トリアンの声に、シンノは心の底から驚いて腰が抜けそうだった。

 知り合って初めて聴いた褒め言葉だった。

 固まって動けないシンノの頭を笑いながら軽く叩いて、トリアンは握っていた短槍を投げ放った。

 今日の獲物は、湿原の大鰐である。

 槍は緩やかに弧を描いて、大鰐の集落にある警鐘めがけて落ちて行って乾いた金属音を鳴らした。

 見張りの大鰐が慌てた視線を周囲へ向ける。

 次はシンノの番だ。

 足下の水めがけて雷を打ち込む。大きな魚が腹を上に浮き上がり、巨虫がひっくり返る。

 トリアンが大鰐の集落に突っ込んで行った。

 シンノは、何を凄いと褒められたのか分からないまま、いつも通りに風の魔法を意識しながら待ち伏せる。

 見上げるような巨体をした大鰐がトリアンに殴られて地面に転がり、尾を掴んで振り回されている。小枝を振り回すように右へ左へ振り回して、他の大鰐を殴打する。

 同情しか無い。

 散々に暴れたトリアンが戻って来た。後ろを怒りで我を忘れた大鰐が連なって追いかけてくる。

 十分に引きつけたところで、シンノは風の刃を無数に生み出して放った。

 トリアンごと切り刻むはずの風の刃は、トリアンをするすると通過してしまい、刻まれて飛び散るのは大鰐ばかりである。

 ひらりと右方に姿を見せたトリアンめがけて、シンノは風を螺旋に回る槍のように尖らせて放った。


 "当てて良い" そう言われているのだが・・・。


 当然のように回避された。

 風槍は騒ぎを聞きつけて集まってきた大蜂の群れに突き刺さり、周囲の大気をねじ込むようにして蜂という蜂を吸い込み渦の中で引き裂いて水草を盛大に散らして湿地に大穴を穿った。

 今度は、左側にトリアンが現れた。

 むぅ・・と頬を膨らませたシンノが、両手を前に突き出した。

 目に見えない小さな塊が凄まじい勢いで連射される。

 固い水草の茎に拳大の穴が穿たれ、ちぎれ飛んで微塵に砕け散る。蛙が散る。気絶中の大魚が散る。


 左から右へ、右から左へ、上へ下へ。


 トリアンがひらりひらりと姿を眩ませ、姿を現す度にシンノは懸命に追い撃った。

 数えたことはないが、今のシンノは手を一つ拍つ間に、50発前後の魔法の弾を撃ち出せる。最近では、それを両手で休み無く放てるようになっていた。ただ、数は多く撃てるけど遠くまでは届かない。

「・・もうっ!」

 シンノはふくれっ面で手を下ろした。これ以上は疲れて気絶する。気絶すれば説教が待っている。

 結局、一発もかすらなかった。

 終わると、今日もまた、ぽかぽかと体が暖まる感じがしてきた。


「上出来だ」


 本日、二度目の驚きが降ってきた。

 驚いたあまり、尻尾が膨らんで跳ね上がった。

 トリアンにこれほど褒められたことは無い。心なしか、声の調子が優しい感じがする。


「今日は、これであがりにしよう」


 そう言った、トリアンがシンノを横抱きに抱え上げた。

 直後に景色が吹き飛んだ。

 もっとも、シンノは慣れたもので、左右を見ずに空を見ることにしている。どんなにトリアンが早く動いても、空の様子はゆっくりとしか動かない。

 シンノは自分の小さな手を見た。


「どうした?」


「わたし、かりゅうどになれます?」


 不安そうに見上げる。


「腕の良い狩人になるさ」


 珍しく、トリアンが笑っていた。今日は珍しいことばかり起きる。

 湿原に連れて来て貰えるようになってからの6ヶ月の間、毎日のようにぶん殴られ、死にそうになって喉を灼くような苦い薬で生き延び、確かに体は動くようになってきたが、まるで追いつけている気がしない。それどころか、少年の背中はどんどん離れてゆくような気がして焦るばかりだった。


(もっと、練習しないと・・)


 いつか、少年に愛想を尽かされてしまう。

 置き去りにされてしまう。

 単調に魔法を連射するから避けられる。


(まっすぐだけじゃなくて、曲がるようにすれば・・)


 むむ・・と唸りながら考え込んだシンノの顔を、トリアンは面白そうに眺めつつ、湿原から樹海へ、色々と有り得ない速度で駆け戻った。


(獣人というのは凄いな。おれが苦労してたのが馬鹿みたいだ。あっという間に、もう湿原じゃ物足りないくらいになっちゃった)


 これだけ強くなれるのに、どうして妖鬼や金毛猿くらいの雑魚に怯えていたのか。子供のシンノですら、これほどの強さになるのだ。五十人、百人と集まれば、多頭蛇だって斃せるようになるだろうに・・・。

 トリアンが覚えられない、風や雷といった魔法を覚えて使いこなしている。このところ、毎晩の組み手が楽しみになっていた。びっくりするような使い方をして、あの手この手で狙ってくる。体の動きも良い。敏捷で無駄が無く、勘が良いので上手く避ける。持久力もある。おかげで、トリアンの方もどんどん工夫が進む。この辺りのどんな魔物を相手にするより、シンノを相手に訓練していた方が楽しめた。

 一方で悩みもある。

 シンノを早く親元へ帰してやりたいのだが、何しろ、広大な樹海の何処に居るのか分からない。あちこち、移動しながら手掛かりを探していたが、犬人や狼人の集落は見つかるのに、狐人の集落を見かけることが無かった。犬人や狼人を捕まえて訊ねても首を振られるばかりだ。


(どうしたもんかな)


 ここ数日、トリアンはその事を考えて悩んでいた。

 あれこれ考えている内に、樹上に造った小屋が見えてきた。

 湿原で狩りをやる時に使う、狩り小屋である。他にも、樹海のあちらこちらに狩り小屋を作ってあった。

 枝から枝へ飛び移ろうとして、トリアンは身を捻るようにして真上へ跳んだ。そのまま回転して上の枝へ着地する。

 視線の先に、狼人の姿があった。

 トリアン達の狩り小屋がある巨樹の根元に、ざっと20人。見慣れない毛色だ。いずれも灰色の髪をしている。樹の幹に杭を打ち込んで足場を作ったらしく、二人が樹を登って来て小屋の前に立っていた。


「知ってる顔はあるか?」


 トリアンの問いかけに、シンノはじっと目を凝らしていたが、


「ないです」


 小さく首を振った。

 樹上の小屋前に立った一人が手紙らしい紙の束を扉の前に置いて上から重しを置いた。

 二人の狼人は、打ち込んだ杭を頼りに降りていった。樹の上り下りに慣れている気配だった。

 ややって、根元に集まっていた集団は樹海の奥へと立ち去っていった。

 動きに乱れが無い。一人一人がかなりの強さを感じさせた。

 この辺りで見かけり狼人達とはびっくりするくらいに違う。


「ふうん」


 あの連中なら、妖鬼くらい問題無く片付けられるだろう。多頭蛇ならどうだろうか。しっかり準備をしていれば、50人がかりで足留めが出来るかどうか。


(いや、シンノくらい魔法を使う奴が混ざれば・・・まあ、どうやら獣人ってのは人間とは作りが違うようだから、魔法の方も凄いのかもな)


 トリアンは枝を跳んで小屋の前に降りると、置かれた手紙を眺めた。

 刻印がされた銀の輪で束ねてある。

 トリアンは銀の輪から中の手紙を引き抜いた。拡げてみると、真白い紙面に文字が浮かび上がってきた。

 ずいぶんと手の込んだ書状である。

 書状は、森の女王から、シンノに宛てた書状だった。


「おまえ宛だった」


 トリアンはシンノに手紙を渡した。


「わたし?」


 不思議そうに小首を傾げながら受け取ったシンノが、一文字一文字をゆっくりと目で追ってゆく。

 その間に、トリアンは小屋の扉にある仕掛けを確かめた。

 留守中に侵入しようとした者はいないようだった。


「ししょう」


「ん?」


 呼ばれてトリアンは振り返った。


「なんか、わからない」


「字は読めるだろ?」


「うん、読めるけど・・わかりません」


「ふうん?」


 首を捻りつつ、トリアンは手紙を受け取って目を通してみた。


「あぁ・・これは確かに」


 持って回った言い回しが読解を困難にしている。

 内容は、森の女王という奴が、シンノと狐人の母親との間を取り持つことを提案しているのだが、シンノへの配慮なのか、かなり遠回しな表現で、無理強いはしないという事と、まだ母親側には伝えていない事などが書かれていた。


「どちらにしても、一度、会って話がしたい・・と書いてある」


 トリアンは書状をシンノの手に返した。

 シンノが手紙と銀の輪を手に持ったまま難しい顔で考え込んだ。

 そもそも、シンノは生け贄に差し出された時点で死んだ者になっているはずだ。理屈で考えれば、母親との縁もそこで絶えている。間を取り持つも何も、シンノの方には母親を恨むような心根は薄いだろう。どちらかと言えば、寂しいとか悲しいといった感情くらいしか抱いていない様子だ。


「森の・・じょうおう?」


 難しい顔で、シンノが首を捻る。


「おまえが知らないなら、おれは知らん」


「おんなのひと?」


 シンノがトリアンを見た。


「それは、そうだろう」


「会ってもいい?」


「もちろん」


「ししょうも、来てくれる?」


「今回は、シンノの騎士をやろう」


「じゃあ行く」


 シンノの顔がぱっと晴れた。


「なら後始末だ」


「うん」


 トリアンとシンノは樹上の小屋からわずかな荷物を取り出すと小屋を粉々に破壊した。荷物はトリアンの術符に収納し、二人はさらに上にある枝へと跳び上がる。


「ししょう?」


 見上げるシンノに、


「いいよ」


 トリアンは頷いて見せた。二人を見ている監視の目があった。


「のぞきは、だめ・・だめ!」


 シンノの指が、二つの地点を順番に指さすと、それぞれで重たい殴打音が鳴って巨樹の梢から人影が落ちて行った。

 ちらとシンノがトリアンを見る。

 全問正解とはいかなかった。まだまだ、気配を読む訓練が必要だ。


「まだ?」


「あと3つ」


「えぇぇぇ・・」


「1つは遠いから仕方ない。でも2つは、シンノでも届くぞ」


「うぅ・・」


 シンノが動きを止めて耳を澄ませ、神経を尖らせてゆく。三角の耳が右を向き、左を向いて音を探し、紅瞳が総てを透かし見るように広く樹海を捉える。

 微妙な気配を捉えたらしく、尻尾がふっくらと膨れて、ふさふさと揺れ始めた。

 直後に、遠く離れた巨樹の影に、不可視の魔法弾が着弾した。

 ぎりぎりで逃れ出た人影が風刃を浴びて地面に転がった。


(獣人じゃないな)


 倒れた人影を見ながらトリアンは内心で首を捻っていた。

 もう一つの気配をやっと見付けて、シンノの尻尾がふりふりと大きく振られる。

 何度か直そうとしたが、これは無意識の動きらしく、本人にもどうしようも無いらしい。

 案の定と言うべきか、攻撃を察知した相手が移動を始めた。

 シンノが魔法弾を放ったが、手応え無く回避されたようだった。続いて放とうとした風刃も、相手を見失って構えたまま放てずにいる。


「ししょう・・」


 シンノが耳と尻尾を垂らしてトリアンを振り返った。

 そこに、トリアンの姿は無かった。

 いや、半拍ほど置いて、トリアンが戻って来た。その手に、黒い外套を着た奇怪な形相の老人を捕まえている。小鬼を想わせる醜悪な顔貌で、禿頭の後頭部が後ろへ大きく伸び、細い両目に加えて、眉間にも目玉があった。枯れ木のように痩せた青黒い手に、ねじくれた樹の棒を握っている。

 すでに、トリアンの短刀が胸を貫いていたが、怪人は三つ目を妖しく光らせてトリアンを睨んでいた。


「そのくらいの呪いは効かないらしい」


 トリアンが薄く笑って告げると、怪人が動揺して目を見開いた。その眉間に開いた目に、トリアンの短刀が振り下ろされた。耳障りな絶叫があがり、ぱさぱさと音を立てて怪人の体が崩れていった。


「あと1つ?」


「これは、遠くて届かない。放っておこう」


「・・はい」


 シンノが少ししょげた顔で頷いた。


「まだまだだ」


「・・はい」


 耳も垂れ、尾も垂れ下がり、全身でしょんぼりしているのを見て、トリアンは苦笑しつつシンノの頭に乱暴に手を置いて、ぐりぐりと揺すって放す。

 シンノが両手で頭を抑えて乱れた銀髪を撫でつけながら、恨めしげに見上げた。

 さすがのトリアンでも、ごく微細にしか感じ取れない視線がある。

 距離は遠い。

 敵意は含まれていない。

 トリアンは目を開けると、向けられている視線の方角を軽く睨んでからシンノを見た。

 この頃は、先ほどの青黒い肌をした連中がちょくちょく姿を見せるようになった。この一ヶ月間だけでも9人狩っている。

 とびぬけて強いという感じでは無い。ただ、放っておくと厄介な毒を撒いてきたり、幻覚、幻聴の魔法でじわじわと感覚を狂わそうとしてきたりと油断ならない。

 正面から力比べをやれば、シンノが負けるような相手では無いが、隠行しながらからめ手の攻撃を繰り返されると、いつかシンノの精神も呪詛でむしばまれるだろう。


(森の女王・・ってことは無いか)


 青黒い連中と森の女王という奴は別口だろう。

 灰毛の狼人はどうだろうか。

 あれは、森の女王の使いという見方で良い気がする。

 もし罠なら斃せば良い。

 邪魔があれば力で排除する。

 しかし、本当に森の女王という存在が居たなら、トリアン自身が色々と訊きたいことがあった。

 まだ何も分かっていないのだ。

 トリアン自身が、ごく狭い世界しか知らない。

 知っているのは、下水路と湿原、今居る樹海だけだった。

 森の女王というのが何なのか知らないが、魔法について詳しく知っているかもしれない。


(森の・・というくらいだ。大きな樹とかに住んでるのか?)


 ぼんやりと情景を思い浮かべながら、トリアンは樹の幹に背を預けて寝息を立てているシンノの傍らに座った。

 眼を閉じると、密やかな羽虫の音が聞こえてくる。

 雨期が近いのだろうか。

 このところ、夜空によく雲がかかるようになった。

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