第16話 教会の地下牢

 本をひたすら読んだ。

 魔法に関する物から、毒物などの調薬に関する本が多かった。他には呪詛や反魂など禁忌に触れるもの、呪法具の製作記録や生物の解剖図などを載せた本もあった。

 内容はどうしても気味の悪い、気分が暗くなるような方面に偏っている。

 ただ、薬剤の調合に関する本は参考になった。

 毒は薬にもなる。

 調合、調薬の道具類は完璧に揃っていた。

 頭役の部屋から入れる宝物庫に陳列されていた呪法具の数々は寒気がするほどだ。

 この世にどれだけ恨みを持っていたら、こんな物を生み出し、揃えることができるのか。ここにいた連中は、呪法具を人や動物で実際に使用して、その効果を記録していた。怖いのは、使用した者に対する反呪などまで記録してあることだ。

 そういう実験を繰り返しながら、最小の対価で、最大の効果があるものを生み出そうとしている。アジトというより、生体実験室のような場所だった。

 記録書も本も、一度読んだだけでは分からなかった。

 何度も読み返す内に、そうした事が理解できた。

 本だけならトリアンには理解できなかっただろうが、ここに居た連中は本の内容を実際に実験をして記録している。その覚え書きを読んでおくと本の内容にも理解が進んだ。

 水も食料もあった。多少傷んでいたが、トリアンにとっては問題無い範囲だ。

 おかげで、体調を回復できた。


(そろそろ行くか)


 トリアンは、地下組織の隠れ家を出ると下水路を駆け抜けた。

 レベルが5に上がって、酸粘体も大蛇さえも、トリアンにとっては問題無く処理できる相手となった。

 毒や薬の準備は整った。必要な呪法具も、便利な魔道具も手に入った。スイレンの能力も増している。


(・・やってやる)


 アニサリタとロッタを殺したのは地下組織だ。

 その地下組織に殺しを依頼したのは、エフィール市議会の議員だ。

 エフィールの議員にそれをさせたのは、城塞都市クーラン・ゲイルの貴族だ。

 地下組織の頭は、慎重な性格だったのだろう。

 一つの依頼について、裏の裏まで調べ上げて記録してあった。

 トリアンを襲ったのは、クーラン・ゲイルの貴族の子飼いの騎士達だった。

 依頼したのは、その貴族の息子である。

 トリアンが書き出した名前は全部で二十六名。

 無論、地下組織の人間も含まれている。

 トリアンは、地下組織の別の隠れ家を目指していた。隠れ家は、下水路から通じる中央街区の教会地下に用意されているらしい。

 下水路を進んで、枯れた井戸の下まで行き、半分ほど登ったところにある横穴に入る。大人が四つん這いでやっと進める横穴の先に格子戸が填めてあり、3人くらいなら並んで入れそうな小部屋があった。

 手が込んだことに、一度、この部屋の足下付近にもう一つ横穴があり、這い進んで抜けた先に石造りの壁がある。はめ込んだ石を抜けば中へ入れるという仕組みだった。

 狭くて暗い場所が苦手な者には発狂しそうなくらい辛い場所だ。

 石造りの地下室に入ると、外した石を元通りに填め戻して、トリアンは空気を嗅いだ。

 薄らとだが糞尿と汗の臭いが籠もっている。

 死臭では無い。

 生きた人間か獣がそう遠くない場所に居るようだった。

 それらしい音は聞こえない。

 トリアンは、自分の左手に眼を向けた。意識をすれば、怨砂という砂の存在が感じられる。こちらも意識して操る事が出来るようになった。普段は自律魔法のように、体の表面を覆って護りとなっているが、操る事で武器にも変じる。攻撃魔法を使えない分を補う手段としてもっと工夫を重ねる必要があるだろう。

 アジトで見付けた財貨はもちろん、怪しげな武器や道具、資料の類いなど、すべてスイレンに収納させて持ち出した。毒や薬の知識は、地下組織と戦って行く上で、大きな収穫物である。


(教会の地下という事だが・・)


 円筒状の地下室を見回し、壁の上に木扉を見付けて石壁を登った。

 必要な時に木扉から縄ばしごなど下ろすのだろう。トリアンには必要無いものだ。

 短刀を口に咥え、両手の指だけで木扉まで辿り着くと、木戸の向こうの気配を探ってから、じわりと力を込めて木戸を押し開いてゆく。

 ほぼ無音で木扉を開けると、トリアンはそのまま動かずに気配を探った。

 空気は澱んでいる。


(流れてないという事は、窓・・出口が無いのか)


 わずかだが、何かがきしむ音がする。

 上の方で、小さく咳き込む音も聞こえた。

 生きている人か獣がいるようだ。

 木扉の隙間から顔を覗かせると、螺旋らせん階段が上に続いていた。下は床に鉄格子が填められて水を下へ逃がすようになっている。螺旋階段のある大きな井戸といった造りだ。

 トリアンは石段を登った。

 下の木扉と同じように、階段途中に木扉が一つあった。

 螺旋階段はまだ上に続いている。

 トリアンは木戸を開いて横道へと入ってみた。

 つんと饐えた臭いが鼻を突く。

 木扉に毒煙の罠を仕掛けて閉じると、闇に眼を凝らした。

 真っ直ぐに通路が延び、通路の左右には鉄格子で閉ざされた牢が並んでいた。


(・・う)


 それは、12歳の少年には少々厳しい光景であった。

 片手を鎖で繋がれた裸の女が粗末な寝台に転がっていた。眼を見開いているが焦点は合っていない。力なく開いた女の唇から涎が垂れている。白い体はろうのように血の気を失い、傷こそ無いが青黒い腫れはあちこちにあった。

 女達は二十歳そこそこだろう。

 反対側の牢にも、同じような状態の十代後半くらいの女が裸で繋がれていた。闇の中に、女の裸体が異様に白く浮かび上がって見える。

 眼が見え過ぎるというのも考え物だった。

 トリアンは、通路に沿って12室あった牢を見て回った。


(ふぅ・・)


 詳しく調べるまでもない。全ての牢で、薬でおかしくなった女達が裸で繋がれていた。歳は15、6歳から20歳くらいだろう。


(まいったな)


 嘆息をつきながらも、トリアンは助ける方法を考え始めた。

 見捨てるという選択肢は無い。


(でも、どうするか・・とりあえず、一つの牢に集めてから治療?)


 解毒や解呪を含めて状態異常を治す薬を作るだけの知識はある。

 妙案が無いまま、とにかく行動しようと、トリアンは一番奥の牢を開けた。ずいぶんと汗臭く、垂れ流した糞尿が寝台の上で酷いことになっている。

 トリアンは黙々と牢を開け、手首を固定している鉄枷を女の手に食い込まないよう気をつけつつ指先で引きちぎる。自由になった女を肩に担ぎ上げて運んだ。

 精神的にも重労働だった。

 力を失った体はひたすら重く、臭く、そして柔らかかった。

 裸の女達をずらりと牢の壁を背にして座らせると、生々しいマネキンが並んだような不気味さである。

 トリアンは一人の女の口を覗き込み、瞼を開かせて観察し、胸の動悸を確かめた。

 ぼんやりとした意識は残っていそうだ。

 トリアンは状態異常を治す薬の原液を取り出し、小さな椀に入れて飲ませようとした。

 しかし、唇から零れ出るだけでほとんど喉に入っていかない。


(・・あまり量が無いから無駄にしたくないんだが)


 トリアンは螺旋階段に通じる木扉を見た。ここで、ぐずぐずしていると誰か来てしまうだろう。


(あれか・・)


 トリアンは、薬を口に含むと、女の後頭部を手で支えて唇を重ねた。そのまま舌で口を開かせるようにして薬液を少しずつ移していった。ゆっくりとだが女の喉が動いて嚥下したのを確かめると、同じようにして次の女に薬を飲ませた。

 12人目に飲ませ終わった頃には、薬液で口中からの臭いが刺すように鼻孔を刺激して涙が出そうだった。

 トリアンは、水筒を取り出して口を念入りに漱いで壁際に水を吐き捨てた。

 裸の女だらけの牢内にいたらおかしくなりそうなので、トリアンは鉄格子の外に出て薬の効果を待つことにした。


(・・来たか)


 思い通りには行かないようだ。

 何者かが階段を降りて来ていた。危険感知マーカは赤みがかった黄色。


(3・・4人だな)


 衣擦れの音、革の靴底、わずかに金具の鳴る音・・。

 トリアンは黒い短剣を手に気配を断った。

 ほとんど足音を立てない奴が一人居る。

 前から2番目に居る奴だ。

 これは強敵だろう。

 残る3人は問題なさそうだ。

 

 カチン・・


 小さな金属音がしてドアノブが回された。きしむ木扉が無造作に押し開けられ小柄な男が姿を見せた。松明や蝋燭も持たないのに明かりがある。小さな光る球が男の後ろに浮かんでいた。


(・・魔法?)


 トリアンは目を眇めた。

 二人目が姿を見せた。痩せた背の高い男だった。

 男はすぐに異変を感じたらしく、羽織っていた外套の裾を跳ねて長剣に手を伸ばそうとしている。

 音も無く、トリアンが天井から降った。

 漆黒のねじ曲がった短剣が、男の鎖骨から心臓めがけて深々と突き刺さった。瞬間、トリアンの魔力量が大きく減っている。黒い短剣が呪法を発動するために吸ったのだ。

 トリアンは短剣を引き抜きながら扉の外へ出た。

 そこに、二人の男がそれぞれ裸の女の手足を掴んで立っていた。

 茶色い貫頭衣の腰を縄で絞った格好からして、教会で下男働きをしている者達のようだった。別の女を運んで来たところらしい。


(・・教会なんだよな?)


 顔をしかめつつ、駆け抜けたトリアンが二人の首をへし折り、倒れる男達の手から裸の女を受け取ると静かに足下へ寝かせた。

 急ぎ、木扉に戻る。

 短剣で刺した男はそのままの姿勢で立っていた。すでに死人化が終わっているらしい。

 壁際に身を寄せて不意を狙っていた小男を拳で粉砕する。


(危険探知マーカ・・便利すぎる)


 元より、トリアンに死んだふりは通用しない。

 トリアンは死人となった痩身の背の高い男を見回すと持ち物の確認を始めた。

 書き付けや墨壺、隠し武器らしい太い釘のようなものが15本、右手だけに着けている籠手は魔法具のようだった。


 トリアンの身体情報の最後に、<死人>として男の情報が記載されていた。



魔法適性(公開)

・none


一般技能(公開)

・恫喝   :Lv7 :柄が悪そうです

・挑発   :Lv5 :品が悪そうです

・細剣技  :Lv5 :貴族のたしなみ

・鞭技   :Lv5 :拷問上手

---------------------------------------------------

<死人>

Name :バシルート・モーラン

Level:4


 

 トリアンは26名の名前が書かれた紙を取り出した。


(たしか、リストに・・・・あった)


 バシルート・モーランの名前があった。

 アニサリタ殺害に関与した商人が雇っている護衛隊の長らしい。

 トリアンは念のために他の男達の持ち物も確認したが木扉の鍵の他は何も持っていなかった。

 トリアンは、死人となったバジルート・モーランに木扉の外で見張りを命じると、寝かせていた裸の女を担いで中へ戻った。

 新しく連れて来られた女を奥に集めてある裸の女達の牢へと運んで並べて座らせると、薬を口に含んで女に口移しで飲ませた。もはや、流れ作業である。

 12歳の少年の中で、口づけは苦い薬品の刺激臭に塗れた苦渋の記憶として、心的外傷になりそうだった。

 男達の死骸を運び出し、螺旋階段の下へ放って捨てると、トリアンは収納していた香炉を取り出して床に置いた。皿にわずかな油滴を落とし、下の台座に香木の削り片を入れて着火した。容量を誤ると大変な事になるが、微量であれば精神を落ち着かせる効果が見込める。

 こうした知識は全てアジトで手に入れた。

 薄らとした香りが立ち上る中、トリアンは冷たい壁に背を預けて眼を閉じた。

 トリアンにとっては、色々と動揺させる出来事ばかりが続く。

 正直、精神的に疲れていた。本能的に心身が少し休みたがっていた。

 油断と言えば油断だったろう。

 項垂れるように座っていたトリアンめがけ、不意の足音は斜め後方から迫った。

 それが女達を入れた牢の方だと気づいた時、激しい打撃が後頭部を襲っていた。

 ほんの寸の間、前へ身を傾けていなければ意識を刈り取られていたかもしれない、瞬発力の効いた一撃が耳上を斜めに擦過して抜ける。

 襲ってきたのは女だった。

 最期に運び入れた裸の女である。

 トリアンは床に片膝を着いたまま斜め後方へ身を捻って、続いて襲ってきた蹴り足を手の平で受けながら姿勢を低く前に踏み込んだ。

 握り固めた拳をがら空きの下腹部めがけて突き出す。

 裸の女が咄嗟に足を引いてトリアンの拳を払うように手を動かした。

 瞬間、地面すれすれを回したトリアンの蹴り足が、女の足を刈り払っていた。

 見事に払い足が決まり、裸の女が足を上に、頭を下にして石床に倒れ込んだ。

 場末の見世物でも、これほど間近に明け透けに見せないだろう。女の秘所を眼前に大開脚で見せつけられながら、トリアンは素早く距離を詰めると、受け身を取って起き上がろうとする女の腕を取って背へねじり上げた。そのまま背へ膝を落として押さえ込む。

 獣のように唸りながら四つん這いで何とか起き上がろうと足掻く女だったが、トリアンが肩を脱臼させると呻いて動かなくなった。念のため、もう片方の肩まで脱臼させて動けなくすると、トリアンは女から離れた。


「・・殺せ!」


 激痛で脂汗を浮かべた顔で、女が声を絞り出すように言った。


「こいつらの仲間か?」


 トリアンは女の頭の側に回って見下ろした。そうしないと、四つん這いになった女の尻と秘所を眺めることになってしまう。


「ふ・・ふざけるなっ!」


 気の強い女だった。両肩を外された痛みの中、噛みつくようにして罵ってくる。


「名は?」


 トリアンが問いかけると、女が唾を吐いて見せた。もっとも、俯せになっているのだ。唾は女の口元の床を汚しただけだった。


(ただの町の女じゃないのか?)


 トリアンは、牢に居る他の女達を見た。

 気づけば、何人かが自我というのか、自分の意識を取り戻しているようだった。

 思ったより薬の効きが良い。


「心配しなくて良い。おれはお前達を助けに来た」


 トリアンは牢の女達に声をかけた。


「ただ、歩いて貰わないと逃げ出せない。少しの間、ここで体の毒を抜いて貰う。そのための薬はおれが用意する」


 トリアンの声に、何人かが反応を見せた。

 悪くない兆候だ。

 トリアンは両肩を脱臼したまま立ち上がれずに床で動かなくなった女の片足を掴むと石床の上を引きずって木扉に向かった。


(こいつは捨てよう)


 螺旋階段の上から放り捨てるつもりである。


「ちょっ・・ちょっと、ばっ・・まっで・・待って!」


 女が顔や顎を石床でごつごつ擦られながら、足をバタバタと暴れさせて騒がしい。


(仕方ないか)


 トリアンは女の足を放すと黒い短剣を抜いた。これ以上、床を血で汚したく無かったが斬り捨てるしかあるまい。女の髪を掴んで頭を固定すると短剣を振り下ろした。


「待って、ちょっと・・あんた、ほら・・あれでしょ?猟兵の・・アニスと居たやつでしょ?」


「・・ん?」


 トリアンは振り下ろそうとした短剣を止めた。切っ先はうなじぎりぎりである。


「わたしよ、シーリスよ!」


「・・誰だ?」


「なっ!?・・忘れたっての!?シーリスよ、シーリス・ボーマよ!猟兵館の前で会ったじゃない!」


 女が必死に訴えた。

 トリアンは訝しげに眉根を寄せた。

 しばらく考えてから、屈んで女の顎を掴んで顔をねじ向けて覗き込む。

 打ち身や擦り傷で、額に血を滲ませ、顎や鼻が変色して痛々しい。


「顔が酷いな」


 呟いたトリアンに、女が全身を跳ねさせて抗議をしたが、トリアンが顎を掴んでいた手を放したため、派手に額から石床に衝突して動かなくなった。


(シーリス・・シーリス・・誰だ?猟兵館で会ったか?)


 トリアンは、本気で首を傾げていた。

 しかし、いきなり襲われたので敵対者と断定して動いていたが、よく考えてみれば、この女は薬を盛られて裸にされて牢へ入れられる所だったのだ。牢に囚われていた他の女達と同じ立場ということだろう。

 トリアンはちらと床上の女を見下ろした。

 すぐに、嘆息しつつ身を屈めると、女の肩を入れた。

 痛みで起きた女が騒がしく喚いた。

 続けて、もう片方の肩を入れると痛みで意識を失って温和しくなった。

 

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