黒き鴉に銀貨を一つ

@Kaiwaredaikon

第1話

たくさんの人々が、彼を見ている。


ボール状の建物の真ん中に、背筋を伸ばして凛と立つ彼の軍服が輝く。心なしか、周りに座る人間の額に汗が滲み、ある者は緊張に手のひらを強く握った。何ともまぁ妙な子だが、不思議な静寂がこの場を律していたのだ。


そんな中、議長と思しき人物が声音を震わせないように、力を込めて彼の名を呼ぶ。


「"神狩 斗真"中尉!。貴公は数えきれないほどの人命を奪い。自国、他国の双方に多大な損害を加えたとみなし、絞首刑に処す!」


絞首刑。死刑とは事実上、最大の人権侵害である。でもまぁ、道徳の時間で習ったように、それは当然だ。

生きる権利というのは犯罪を犯しても認められるくらい最低限の人権で、それを公に剥奪されるというのは、生きる意味がないと判断されたからに他ならないのだから。


ほとんどの人間が、その判決に恐れおののき、自分の過ちを悔いたり、認めなかったりするだろう。だが、その男に限っては違った。


冷静な顔は変えず、心底可笑しくて抑えきれないといった風にニタリと笑う。

ある者は童話に登場するチャシャネコの様だと不気味がり、近づこうとすらしないその笑みは、見るものを不安にさせる。

彼は、形の見えない煙みたいに何も感じ取らせず、ただただ不安だけを与える。


神狩 斗真(かがり とうま)。彼は間違いなく、太平洋戦争において軍神だった。

陸軍将校という地位におり、座るべき椅子が大本営にあると言うのに、彼はその椅子に座ることなく前線の野営基地の中にその身を置いた。


そして、物量的にも技術的にも全く勝ち目のない敵軍に対して、何度も勝利を重ねていったのだ。

同じ大本営の住人は、いつか自分の席を取られるのではないかと彼を恐れ、猟犬のごとく毛を逆立てていたが、彼と共に戦った兵士たちは皆、口を揃えてこう言うのだ。


「神狩中尉ほどに我々のことを考えてくださる将校はおりません。何度命を救ってくださったか、忘れ様にも忘れられません」


元々、父が日本陸軍に属する将校であったため、彼は幼少の頃から軍人としての教育をされてきた。

しかし、父の教えである高圧的な指揮官の理想像は、彼の求める指揮官の姿とはかけ離れていた。

彼の考える指揮官の姿とは、有体に言うと西洋の傭兵部隊の長である。

フランクに接して仲間には優しく、敵には鬼のように戦う傭兵の何とカッコイイことか。


その傭兵が出てくる本を読んでから、本格的に彼の目指す道が決まった。兵のために最善を尽くし、自分に厳しく他人には寛容に接する指揮官こそ、自分の理想だと。豪華な日本家屋の庭先で、幼少期の彼は静かに決意を固めたのだ。


事実、彼はそうなったのだ。自分の思い描いた自分に。味方の損害は限りなくゼロに、士気を上げるには自分が言葉をかければ十分すぎるほど上がるのだ。

前線という死線のなかで、彼というカリスマは海を渡っても話が聞こえるくらいにまで象徴化されていった。そう、戦場の鬼として。


だがしかし、彼の考えを即座に反映するには、大日本帝国陸軍という組織はあまりにも巨大すぎた。自分に反感を抱く味方は多く、身動きを撮るには足手まといだったのだ。

そこで、彼は考えを変えた。


足掻いても変わらない世界なら、いっそ壊して仕舞えば良いのではないか。


豊かさとは、即ち敵である。

豊さに溺れた組織や民衆は、自分から創意工夫することを放棄してしまう。創意工夫を失った場合、必ず待ち受けているのは緩やかな破滅である。


それに対し、貧困とはある意味味方である。

今のままは嫌だ。こんなのは嫌だ。そんな不満が重なって行けば人々は改革を望む。そのためには、どんな困難すら乗り越えられるだろう。なぜなら、必ず報われる努力だからだ。しくじっても、後の世界で誰かがその志を引き継いでくれる。


それが人類という種が滅ぶまで続けば、日本という国は強くなる。今よりもっともっと強くなる。

矛盾していると思うだろう。エゴイズムだと言うだろう。

好きなだけ言うがいい。未来にしか答えはない。


極東裁判という歴史の区切りに、自分はここに立っている。誰に寄りかかるでも、物に保たれるわけでもなく。

しっかりと自分の足で、立っている。

それだけで十分だ。

彼は不気味な笑みをかき消し、ため息をひとつついた。

斜め四十五度上を向くと、あの日のような見事な蒼穹は広がっておらず、ただむさ苦しい人の山が見えるだけだった。


さて、あなたに聞こう。


人生の終わり方とは、どれだけの種類があるのだろうか。惨めな死に方?意義ある死に方?犬死?格好のいい死に方?無様な死に方?。


俺の死に方はどんな死に方なんだ?


教えてくれよ、なぁ。


未来の日本に住まう者よ。

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