第二話「軋んだ覚悟」
夢を見た。
真っ白な何もない世界で、緑間と赤崎が向かい合って対峙している。夢はそこから始まった。
夢の中であるはずなのに意識があって、しかも白濁としていないはっきりと澄んだ意識だ。これが夢だと認識できる夢は初めてだった。
緑間は赤崎を見やる。
「気にいらねえ」
対峙する赤崎は、不思議そうな顔をしていた。
この夢は実に不愉快で気に食わない―その原因は、向かいにいる赤崎だった。いや、正確には、“赤崎になりすましている何か”である。
「てめえは誰だ」
「え?何言ってるのさ、祭」
さもありなん、心外だと言わんばかりにむっとする赤崎。どうやらこのままシラを切るつもりのようだ。
だが、それを許す緑間ではない。
「わざとらしく首傾げてんじゃねえよ。見え見えだって言ってんだ」
「だから何を…」
はあ、と溜息をつく。緑間はがしがしと頭をかき、じろりと彼(または彼女)を睨みつけた。
「本気で言ってんのか」
「え?」
がっと緑間は赤崎の胸倉を掴む。一瞬かち合った赤崎の目は、冷たさしか宿してはいなかった。あいつは俺に対してこんな冷めた目はしない。
「俺が、本気で!あいつを見誤ると思ってんのかって言ってんだよ!」
「……」
「何が目的だ。なんで静の姿で現れやがった。てめえは何者だ」
そこまで言って、今度は赤崎が溜息をつく。やれやれといった風に首を振り、心底鬱陶しそうな顔で緑間を見た。
「面倒だな…君がそういう風に
覚えてないの、と訊ねられる。赤崎が何を言いたいのか、まるでわからなかった。
(静を連想?なんのことだ?)
そこで、ピキンと何かがひび割れるように、耳鳴りが緑間の意識を突き刺した。頭に鈍い痛みが走り、思わずこめかみを押さえる。
(なんで…夢ん中だろ。痛みなんてあるわけが、)
「それがそもそもの間違いなんだって、まだわからない?」
「!なんで、俺の考えてることが…!?」
痛みと格闘しつつ、緑間は大きく目を見開いた。
これは赤崎ではなく、赤崎に成りすました何かであるはずだ。それなのに何故、赤崎同様テレパシーが有効なのだと、緑間はズキズキ痛む頭を押さえつつ考えた。
ほとほと呆れたように、もう一度赤崎が溜息をつく。
「馬鹿なこと言うなよ…当たり前でしょ、僕らは
「わけが、わからん…痛ってえ」
頭痛は増していく一方だったが、それよりも気になったのは耳鳴りの方だ。きりきりと、自分の神経が削られていくような錯覚に、緑間は陥った。
それは、何かを知らせる警報のように思えた。何かを訴えるような痛みだと、緑間はそう思った。
「…まあいいや。説明したってどうせ無駄だろうし。あんまり時間がないんだ。今日は忠告と、もう一つ用があって会いに来た」
と、そんな感じでさくさく話を進められ、いやいやいやと緑間は赤崎を制した。すると、途端にその表情が険しくなり、ひどくうんざりとした顔をされ、別人だとわかっていても、赤崎の顔でそれをされると中々に傷つく緑間だった。
「…何」
「いや、だから。何の目的で、てめえは何者で、なんで静の姿で現れやがったんだって聞いて…」
そこで、続きが言えなくなるほどの痛みが緑間を襲う。頭がひび割れてしまうのではないかと思ってしまうくらいの激痛が走った。立っていられなくなり、かくんと膝が折れる。
(この痛みは、本物だ)
夢という曖昧さが与える痛みなどではない。列記とした、今現実に自分が感じているリアルな痛みだ。
(でも、そんなのおかしいだろ)
これは確かに、夢のはずだ。
「だから、さっき言ったよね。忠告ともう一つ用があって来たって。それに僕は赤崎静の姿で現れてなんかいない。僕は僕の姿で君と対峙しているよ。さっきも言ったように、君が最初に僕を見て赤崎静を連想したから、君には僕が赤崎静に見えてるんだ」
こればっかりは君の意識の問題だからどうすることもできない、と赤崎は言った。
緑間は、まるで意味がわからなかった。僕は僕の姿で?君が最初に僕を見て赤崎静を連想したから?全く持って意味がわからなかった。この意味のわからなさだけは、赤崎に類似していると言えなくもないかもしれない。
第一、つじつまが合っていないのだ。僕は僕の姿で、と言っているが、目の前の
ピキン、と再び何かがひび割れるような音がした。
(なんか、違う)
―つじつまが合わないのは、どっちの記憶だ?
「僕も本当は、赤崎静の姿じゃなく、ありのままの姿で君と話がしたかったんだけれど…この姿は、良くも悪くも君の目には毒だろうから。まあ、僕は別に構わないんだけどね。この姿は、僕にとっては都合が良い」
「どういう…意味だよ」
「そのまんま…っと、ああ、まずい。ごめん、そんな悠長に構えている暇はないんだ。詳しくは今度また、
遇えるかどうかはわからないけれど、と赤崎が言う。どこか嬉しそうな顔をしていた。
頭痛と耳鳴りは未だ止まず、もういっそ気絶したいと思ってしまうくらいだった。悪い夢なら醒めてほしい。
「だから夢じゃないんだって…まあ、それはとりあえず置いておこう。いいかい、君は、僕がこれから言うことと、きちんと向き合う必要がある。それは僕の為であり、そして君自身の為でもあるってことを忘れないで」
だから、意味がわからない。
「これは忠告…じゃあない方だ」
意味はわからなかったが、どうしてか聞きたくないと緑間は思った。聞けば自分の中の何かが揺らいでしまうような―そんな気がしたのだ。
「僕はね、君の一番近くで君を見ている。だから言おう、君はもう少し自分に正直になった方が良い」
聞きたくない。
「そうじゃないと後悔する。もちろんそれは僕が、じゃなくて君がだよ」
「や…め、ろ」
(俺が、後悔するだって?)
この俺が?はは、バッカじゃねえの。なんでそんなこと言われなきゃなんねえんだよ。お前みたいなよくわかんないモンに。
後悔なんて。
「このままだと後悔する。これは既に決定事項だ。君もそれをわかっているはずだよ、
「何を…わかってるって?お前が、俺の、一体何を…わかってるっつうんだよ!」
「だって、君は僕で僕は君じゃないか。さっきも言ったよ、僕と君は同じだって」
まだ気づかないの、僕がなんなのか。残念そうな顔で赤崎が言う。
そして、同じだからたとえわかりたくなくてもわかってしまうんだ。とも言った。
「僕は、君を後悔させたくない。その為にはやっぱり、君が言葉にしなくちゃ始まらないんだ」
「…っやめろ、言うな…」
(聞きたくない)
聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない!
「本当は」
「違う…っやめろ、俺は…違うんだ。違う。やめてくれ、頼むから」
「成仏なんて、してほしくないんでしょ?」
静の顔で、俺が今までずっと押さえ込んできた
頭の痛みが引いていく。疎ましかった耳鳴りも止んだ。
記憶がカチリとかみ合う。
(ああ、そうだ。そうだった)
初めてこいつと
でも、違ったんだ。
それは静じゃなかったし、これは夢でもなかった。
(…そういうこと、か)
それは確かに俺自身で、これは俺の内側そのものだった。
「なーんだ、ちゃんとわかってんじゃねえか」
「ご名答。俺はお前の力そのもので、ここはお前の精神世界だ」
そこにいたのは、紛れもなく緑間祭自身だった。
「俺はずっと、ここからお前と、お前の目に見える世界っつうのを見てきたつもりだ。だから俺には、お前にすら見えてねえモンも、ちゃんと見えてる」
(そりゃあ―そうだろうとも)
俺には、お前がいないと視えないモノが多すぎる。
「いいか、これは…忠告じゃねえ」
「じゃあ、なんだっつうんだよ」
にやり、とそれは笑った。
まるで鏡みたいに同じ顔、同じ体、同じ声。漫画風に言うと、もう一人の自分。
「お節介」
これはただの、俺のお節介だともう一人の緑間が言った。
(―ああ、そういうところまで一緒なんだな)
「余計なお世話だ…お前のせいで、また俺は」
天秤にかけなくちゃならなくなった。
「俺のせい?そいつは違うな。お前は既に気づいていたはずだろ?ただ蓋をしていただけで。俺はただ、その蓋を外しただけだよ…それに俺は、きっかけを作っただけにすぎない。蓋を閉めるかどうかは、てめえで決めろ」
一度目は簡単だった。今まで数え切れないほどの霊を視てきたから、霊が哀しいものだと緑間はわかっていた。だから一度目は、すんなりと
「でもまあ…お前が蓋をしきれてないから、俺がこれを言うんだけどよ」
二度目は少し難しかった。成仏したくないと赤崎が言ったからだ。だが、動揺はしたものの、完全に蓋が開くことはなかった。それが赤崎の為にならないということを、緑間はわかっていたからだ。
だからもう二度と蓋が開かないように、一生の約束だと釘を打って蓋を閉じた。
そして今が三度目。
自分自身に諭され、完全に蓋を剥ぎ取られた末に内側から飛び出してきた、
「お前のそれは未練だよ」
俺はもう一度、蓋をすることができるのだろうか。
「未練?」
「ああ。しかも、赤崎静と全く同じ形のな」
静と同じ?そんな馬鹿な。あいつに未練はなかったはずだ。それに、未練は、未練を持っているのは俺じゃなくて。
「なあ、「俺」。俺はこう思うんだよ」
「〈未練〉っていうのは―――――」
――――――――――――――――――
――――――――――――――
――――――――――…
はっと、そこで緑間は目を覚ました。ばっと体を起こし、辺りを確認して―ここが自分の部屋だとわかり、心底安堵する。時計を見ると、なんとも微妙な午後十一時を指していた。
勿論外は真っ暗だ。
「なんだってこんな時間に…」
と、口に出してから思い出す。
そうだ、一応明日出発の予定で、だから今日は早く寝ようと、早々に夕飯と風呂を済ませてベッドに入ったのだった。確か最後に時計を見たのは午後八時であったはず。
ふと目をやると、隣りではすやすやと寝息を立てて眠っている幼なじみの姿があった。ここ最近はずっとこんな感じで、緑間は幽霊になった赤崎とベッドを共有している。
「……」
緑間はそっと赤崎の頬を撫でた。途端に夢の内容がフラッシュバックしてきて、何故だか眩暈がする。吐き気がした。
「…いや、夢じゃあなかったんだっけか」
あれは夢とは違う、現実とは隔絶された緑間にとってのもう一つの世界だった。起きた今でも、頭に走った耐え難い激痛は鮮明だ。そして今も、余韻のように頭が痛む。
“成仏なんて、してほしくないんでしょ?”
ズキン、と体中が軋んだ。
(ああいう風に対峙したのは、初めてだったな)
いつもは
突きつめる必要はない―“成仏なんて、してほしくないんでしょ?”―答えなど、導き出したら最後だ。もう戻れなくなる。赤崎静の一番を一番に考える緑間祭は、いなくなってしまうから。
(…大丈夫)
答えは要らない。どれだけかかっても、今度こそ俺は二度と開けられないよう、奥底にしまい込んで蓋をする。俺にとっても静にとっても、それが一番良いことだ。
“もう少し自分に正直になった方が良い”
「ったく…それができてりゃ苦労なんかしてねえっつうの」
今も昔も、自分に正直に生きてきてんだよ、俺は。俺は俺なりの我儘を通して、生きてきてんだ。生きてきているはずなんだよ。
だから、頼むから。そんな風に俺を惑わせてくれるな。吐き気がする。
「俺はもう決めたんだ。必ず…」
ブブブ、とそこで携帯のバイブ音が静寂の中鳴り響いた。真っ暗な室内で、微かに携帯が光る。
緑間は赤崎から手を退いてスマホを手に取る。どうやら、メールではなく電話のようだった。ディスプレイに表示されている名前と、現時刻をもう一度確認して緑間は顔をしかめる。こんな時間に電話など―一体全体どういう用件なのか。
これ以上は赤崎を起こしかねないと判断し、緑間は電話に応じた。
「もしもし…ったく、今何時だと思ってんだよ、お前は」
『はは…すみません。それと、こんばんは、祭さん。お久しぶりです』
「おう、久しぶりだな。響」
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