第三話「これからのこと」
「で、お前なんでいるんだよ」
緑間が回転式の椅子にまたがり、くるくると回りながら今更のようにそんなことを赤崎に聞いた。勿論赤崎としては、そんなことを聞かれたところでこう答えるしか手段がない。
「……さあ?」
「さあってお前ね…」
というか、それがわかれば初めから苦労などしていない。
赤崎自身もわからないなりに考えはしたが、それでも結局結論には至らなかったのである。だから最後の望みにかけて、彼は緑間の家にやってきたのだ。自分のことが視える緑間なら、一緒に解決策を練ってくれるのではと思って。
「わからないんだよ。気づいたらお化けになってた。理由があるからこっちに留まっているんだろうけど、その成仏できない理由っていうのが、いまいちピンとこないんだ」
赤崎は緑間の部屋のベッドで、足をバタつかせる。勿論幽体なので、赤崎自身にはベッドに座っているという感触はない。
そういえばと思い返し、彼の部屋―どころか、家に来ること自体幾久しいことに赤崎は気がつく。大概緑間の方が赤崎の家に通う形で落ち着いていたし、幼少期に五年間ほど居候していた時期を除くと、本当に数えるほどしか赤崎はこの家に上がった事がなかった。
まさかこんな形で祭の家を訪れることになるとはな―と、赤崎は苦笑いをする。
「んー、そういうのは俺じゃなくて、姉ちゃんのが詳しいかもな」
「ああ、美咲(みさき)さんか…確かにそうかもしれない。僕や祭と一緒で霊感も強いし」
緑間には三つ歳の離れた姉がいる。名は緑間美咲と言って、誰にでも優しく温和な、大げさにいうと聖母のような女性だ。将来は看護士を目指しているようで、今は専門学校に通っている。
赤崎も幼い頃からお世話になっていたし、本当の弟のように可愛がってくれていたことも知っている。それでも、会うのは久しぶりのことだった。
「よし、じゃあ下行くか」
「うん」
ちなみに、今この家に住んでいるのは祭と美咲の二人だけである。
彼らの両親は、故人などではなく勿論健在しているが、今は両親共々海外出張に出ていて日本を離れている。生活費やその他諸々にかかる費用全般は、二人が困らないように仕送りされているので、あまり生活には困っていないし、家事はほとんど美咲が担当しているので、緑間の生活は割りと悠々自適のようだ。例外として、料理だけは緑間が担当しているようだが。
「姉ちゃん、ちょっといいか?」
二階から降りて(この家は二階建てで、緑間の自室は二階にある)リビングに入ると、キッチンに立って食器を洗っている美咲がいた。赤崎は久しぶりに彼女を見て、何も変わっていないことに何故かほっとする。
緑間に声をかけられた美咲が、きゅっと水道の蛇口を閉めると、タオルで手を拭きながら「なに?」と振り返った。
その瞬間、ぽろりと彼女の手からそのタオルが滑り落ちる。
まん丸に見開かれたその目は、確かに赤崎を捉えていた。
「え…あ、え?なんで…」
「お久しぶりです、美咲さん。こんな形でまた会うことになって…なんか、すみません」
ぺこりと赤崎は頭を下げたのだが、彼女からの反応はない。突然の事に頭がついていけていないのか、美咲は呆けたような顔をしていた。目を何度も瞬かせ、赤崎と緑間を交互に見ている。
「本当に…静くんなの?」
未だに信じられないものを見ているかのような、戸惑いと困惑がない交ぜの目が赤崎に向けられる。
これでも一応、赤崎静という人間は死んだ設定になっているので、そういう反応になるのは無理もない。たとえ幽霊であったとしても、死んだはずの人間が目の前に現れれば誰だって驚くだろう。
赤崎は小さく頷いた。すると、彼女の表情は見る見るうちに歪んでいき、ぽろぽろと涙を流して小さく泣いた。
「静くん…静くん、」
「はい、美咲さん」
こんな世界でも、あんな―望まれない人生だったとしても、やっぱり捨てたもんじゃなかったのかもしれない。今更になって、そんなことを赤崎静は思った。
ここには、彼の為に泣いてくれる人が、確かにいる。
「…ってことなんだよ、姉ちゃん。こいつ、なんでこっちに留まってるんだと思う?」
美咲が落ち着きを取り戻した頃合いを見かね、とりあえず二人は一通りの状況を説明した。
未だに彼女は鼻をすすっていたが、涙はもうすでに引っ込んでいる。
「…成仏できずに現世に留まってしまう霊は、そのほとんどが現世でやり残した事への未練や、後悔によって縛られてしまった霊なの。現世に対する強い執着、憎しみ、愛情、後悔…その想いが強ければ強いほどその霊は現世に縛られ、その状態が長く続くと、地縛霊や最悪悪霊になってしまう場合もある。静くんに限って、悪霊に堕ちてしまうことはないだろうけど…」
「つまりこいつには、こっちに留まってしまうだけの未練やら執着やらがあるってことか?」
「おそらくね」
二人の目が一斉に赤崎の方へと向いた。当の本人は、居心地悪そうに肩を竦める。
(そんなのはわかってる)
赤崎とて伊達に幽霊が視えていたわけではない。これまで幾重の期間、数多の霊を視てきたのだ。赤崎が成仏できない理由が、その中の大多数の霊と同じように未練や後悔であるということを、それこそ目を覚ました時から気づいていた。
だが、問題はそこではなく、もっと別のところにあるのだ。
「お前、心当たりあるか?」
「ない」
「だよなーお前のその目、とてもじゃないけど未練やら執着やらがあるようには見えねえもん」
緑間の言い分は、弁解の余地がないほどその通りであった。
それは赤崎が、目が覚めた時にも考えたことだ。考えはしたものの、それでも答えはまっさらであった。
“成仏できない霊は、その大多数が現世への未練や後悔によって縛られている”
だが、赤崎にはその「未練」や「後悔」、「執着」が全くと言っていいほどないのだ。それに結びつく何かを、赤崎は全く持っていないのである。
“成仏できない理由”に値する未練など、後悔など―赤崎は持ち合わせていないし、まるで身に覚えもなかった。
「僕には、未練なんてない…ないはずなんだ」
「静…でもよ、じゃあなんでお前」
「きっと、それがわかっていれば、僕はここにはいないんだろうね」
赤崎は薄く笑った。
しばらく沈黙が続く。あの緑間でさえ、暗く重たい表情を浮かべていた。
「でも…何かあるはずよ。静くんの心を強く現世に引きとめる“未練”や“後悔”が」
それがわからなければ、静くんはずっと成仏できないと思う。断定はしなかったが、美咲はそう言って目を伏せた。
「力になれなくてごめんね」
そうして彼女はまた泣いた。そして、小さな震える声で「祭のこと、助けてくれてありがとう」と確かにそう言った。緑間は何も言わず顔を背ける。
赤崎は首を横に振った。
「…僕の意思でやったことですから」
おそらく彼の中で、それだけは決して揺るぎない事実であったのだろう。
誰になんと言われようと、赤崎静は緑間祭を庇ったことに、後悔などしていないのだから。
***
さて、ちょっと困ったことになった。
勿論赤崎の未練やらなんやらの正体がわからない問題も、解決はしていない。赤崎自身、やはりそんな上等なものは持ち合わせていないというのが現状だ。
そもそも赤崎が成仏する為には、自分自身で“それ”を思い出さなくてはならない。
それが絶対条件で、赤崎が“それ”を思い出さない限り話は全く進まないのだが―それ以前の問題が、ここにきて発生してきたのだ。
「おいおいおいおいおい…マジかよ」
緑間の顔が見る見る内に引きつっていく。赤崎も同じような表情を浮かべていた。というか、今この状況下において、それ以外の感情を表情に表すのは難しいだろう。頬の筋肉がぴくぴくと痙攣を繰り返している。
今更になって思い出したことがある。生きていた頃はそれが当たり前の日常だったので、赤崎も緑間もすっかり忘れていたくらい、今更の事だ。
それは、緑間がただ霊感が強いだけではなく、引き寄せてしまう霊媒体質であったこと。そして生前の赤崎は逆に、原理こそわからないものの、霊を寄せ付けない体質であったこと。
そしてもう一つ―赤崎自身が今現在、引き寄せられる側の存在であることを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「…残念ながらマジっぽいよ」
迂闊に近づくんじゃなかったな、と緑間の家を訪れた事に対し、赤崎はほんの少しだけ後悔していた。
緑間の体質が、霊である赤崎を引き寄せる。
そして赤崎は、振りほどけないほどの強い力で、緑間に引き寄せられてしまう。
それは、つまり。
「ちょっとは否定しろよ…」
「否定の余地がないことは、祭もよくわかっているんじゃないの…それに、こんなところで嘘をついてどうするんだ」
二人は顔を見合わせ、揃って深く溜息をついた。
―赤崎は緑間から、そして緑間は赤崎から、離れられなくなってしまったのである。
「…ごめん、祭」
そうしてそのまま夜になり、もうすぐ日付が変わる頃だ。
ぼうっとただ椅子に座っていただけの赤崎が、不意にそんなことを言った。パジャマに着替えている最中の緑間は、彼の唐突な謝罪に怪訝な表情を浮かべる。
よくよく見てみると、緑間の所有物は極端に緑色をしているものが多い。彼が今着替えているパジャマも、白と緑のチェック柄だ。本人に至っては、特に緑が好きというわけではないようで、自覚はないらしい。不思議なものである。
そんなどうでもいいようなことを、生きていた頃は気にも留めていなかったそんなことを、赤崎は思った。
「は?なんで謝んの?」
緑間はがさつな手つきでパジャマのボタンを留め、首からかけていたタオルで風呂上がりの髪を拭いた。
彼の手はもう、赤崎静に触(さわ)れない。
「これは…僕の事情だった。成仏できないのも、未練や後悔が残っているのも、それは全部僕の事情で、祭には関係なかった。それなのに…」
「そんなこと言うなよ」
巻き込んでごめん、そう続けようとした赤崎を緑間が遮った。そう言った彼の表情は、見る者が見れば寂しげに見えただろう。
少なくとも、赤崎にはそう見えた。
「僕の事情とか、俺には関係ないとか…そんな寂しいこと言うな。俺はさ、自慢じゃねえけど、寂しいのがすっげえ嫌いなんだ」
「…知っているよ、祭が寂しがり屋なことくらい。何年僕ら、幼なじみやっていると思ってんの…でも、」
「お前さ、なんであの時俺のこと庇ったんだ?」
またも言葉を遮られた赤崎だったが、それに対し嫌みの一つも言えなかった。緑間の目は真剣で、からかえるうような声音ではなかったからだ。
(なんで僕が、祭を庇ったのか)
死にたくないとは思っていなかったはずだ。そしてまた、生きたくないとも、思っていなかっただろう。彼はどっちつかずで曖昧で、自分の意志というものを持ったことがあまりなかった。
それでもおそらく、この結果を迎えることを選んだのは、他の誰でもない赤崎自身の意志だったのだ。彼は最後の最後で、ほんの少しだけ自分のことを好きになれた。
だから後悔はないのだろう。赤崎が緑間を庇った理由、それは。
「祭に…生きてほしかったから」
赤崎にとって理由なんてものは、それだけだった。
「俺もそう思う」
「え?」
「お前に渡るなと言ったあの時、俺はお前が車に轢かれるんだとばかり思ってた。だからそうならないように、俺もお前を庇いたかったんだ。静が死ぬなんてまっぴらだった。どっちかが消えなきゃならないなら、俺が消えようってそう思う」
それでも結局、生かされたのは俺の方だけどな。と緑間が目を細めた。その目には、際限ない後悔が窺える。
「もしもあの時死んだのがお前じゃなくて俺だったら。そんでもしも…俺が今のお前と同じ状況に陥ったとしたら、多分俺も今のお前と同じことを言うと思う。でもさ、それってすっげえ寂しくねえ?」
「それは…」
先ほどの自分の言葉を思い返し、赤崎の心はとても重たくなった。
関係ないはずがなかった。緑間が赤崎を庇って死んだなら、庇われた本人が関係ないだなんてことはありえない。
“関係ない”ということは、これ以上の関わりを拒絶されるということで、緑間にそれを言われることは、残された赤崎からしてみれば相当きついことだろう。
何故ならそれは、自分のせいで命を落とす結果となった緑間に、これ以上入って来るなと線を引かれるということなのだから。
「同じだろ、同じなんだよ。だから、頼むからそんな寂しいこと、言うな」
それは、とても寂しいこと―なのだろう。
(僕は、いつもそうだ)
緑間ならそんな風に言うだろうと―赤崎は、心のどこかでわかっていたはずだ。
幼なじみという枠に収まって十余年。長い付き合いなのだから、自分の幼なじみがこういう奴だということを、誰よりも赤崎はわかっていた。わかっていたはずだった。
(結局僕は、祭の揺るぎない甘さに付け込んで、安心したかっただけじゃないか)
生きていた頃となんら変わらず、死して尚、彼は自分本位で我儘な子供のままだった。要するに、赤崎静は死んでも何も変わらなかった。
「俺には関係ないなんて言わせねえよ、もう。こうなったらいけるところまでいってやる。だから、最後まで付き合わせろ、バカ」
未練も後悔も全部清算して、お前が成仏出来るまで付き合ってやる―と、緑間はそう言った。
結局、赤崎が死んでも変わらなかったように、赤崎が死んだところで緑間は何も変わらなかった。変わってなどいなかった。相も変わらず、赤崎が良く知る緑間祭がそこにはいた。
変わったことと言えばそれは、赤崎が死んで幽霊になったことくらいだったのだ。先にそのことに気づいたのは、死んだ彼に庇われた緑間の方だった。
「ごめん…」
「なんでそこで謝るかな。言う台詞が違うんじゃねえの?」
不機嫌そうに顔をしかめた緑間が、赤崎の額を小突いた。痛みを感じる程度には力がこもっていて、赤崎の方も顔をしかめる。
「俺が俺の意思で決めたんだ。自分の為にそうしたいと思った。だからお前が謝る必要はどこにもねえよ」
緑間はそう言って赤崎の頭の上に手を置く。慰めにも似たそれに、赤崎の涙腺が一瞬緩んだ。
(わかってる)
本当に慰めを必要としているのが、自分ではなく自分の目の前にいる彼の方なのだと、赤崎はわかっていた。
そして、自分では彼に慰めを与えられないということも。
いつだって赤崎は、緑間に与えられて生きてきたのだから―今回のことも、おそらくそうなのだろう。
最初にそれに付け込んで、彼の優しさを利用したのは、赤崎だ。
(わかってる。でも、)
今更引くことなど、出来るはずがない。それに、赤崎にはもう、この手を離すことなど出来るはずがなかった。
この手はこんなにもあたたかいのだから。
(僕にはもう、なかったことにして忘れるなんて、出来っこない)
―それが今までの彼の生き方であり、そしてまた生き様であり、死して尚変わらない、赤崎静という人間を構成する根っこの部分であるのだから。
「ありがとう、祭」
「おう、どういたしまして」
緑間の表情から不機嫌さが消え、頭の上に置かれているその手が赤崎の頭をくしゃっと撫でた。まっすぐな黒髪が、たった数秒で鳥の巣のようになる。
と、そこで赤崎はある種の不自然に気がついた。
鳥の巣のようになったのは、赤崎の頭だ。それなら、その原因を作ったのは誰だった?該当する人物は、一人しかいないはずだ。
赤崎は不自然の正体に気がつく。緑間のせいで―でなくとも、そもそも誰かのせいで髪が崩れるなど、ありえるはずがないのだ。何故なら赤崎は、もう何者にも触れられることのない“お化け”になってしまったのだから。
それなら、何故、彼の手は?
「祭…どうして君は、僕に触れているんだ?」
「はあ?何言ってんだよお前、そんなもん―」
そこでようやく緑間の方も違和感に気がついたようで、口を開けたまま目を何度も瞬かせた。赤崎の頭から手を退き、信じられないものでも見るかのようにその手を凝視する。どうやら緑間も、今の今までその不自然さに気づいていなかったようだ。
「…一回確認する。お前、正真正銘“幽霊”だよな?」
「ちょっと自信なくなってきたけど…うん、一応はそのはずだよ」
「でも俺、今お前に触れてたよな?未だに感触残ってるし」
「僕にも確かに感触があったよ…おかしいな、そんなはずないのに」
緑間はもう一度自分の手をじっと見つめ、今度は赤崎の頬をつねった。いきなり何をする、と非難の声を上げた赤崎だったが、頬には引っ張られているという感触が確かにあった。
それはつまり、緑間が赤崎に触れるという事実が、現実味を帯びて確立したということになる。これが夢でないことは、つねられた頬の痛みによって証明されていた。
「触れてるな、俺」
「うん、驚くことに」
「あー…なんでだ?俺に霊感があるからか?それともあれか、霊媒体質だからか。それとも―俺とお前だったから、か?」
「僕に聞かれてもね…まあ、事実今まで霊に触れたことなんてなかったし、僕と祭だからって考えるのもありかもね」
赤崎は、自分の両手をじっと見つめた。
(祭が、僕に触れる)
今まで日常であったはずの
(もう、無理だと思っていた)
誰かに視てもらうこと。誰かと話をすること。誰かに触れて、そのぬくもりを感じること。
あの日のたった数秒で、彼は全てを失ってしまった。
緑間を庇ったことに後悔はなくとも、彼はそれを、“未練”と思わなくはなかったのかもしれない。
(これが、僕の成仏出来ない理由?)
―いや、違う。多分、もっと…
「なんで泣くんだよ」
「え?」
困ったような笑みを浮かべ、緑間が手を伸ばす。その手はそっと赤崎の頭の上に乗った。その手のあたたかさに、赤崎は余計目頭が熱くなるのを感じた。
泣いているつもりは、なかったのだろう。ただ彼の中で、嬉しいのと悲しいのが混ざり合い、それを上手く処理出来なかっただけで、涙を流すつもりなどなかったのだ。それこそ青子の言い分ではないが、涙はもう随分昔に置いてきたはずだから。
「おかしいな、泣くつもりはなかったんだけど」
「そりゃあな。そんなつもりのある奴がいたら俺も会いてえわ」
軽口を叩く緑間の声が微かに震えていることに、赤崎は気がついた。気取られないように覗き込むと、緑間の目は赤く充血していて今にも涙が零れそうであった。人のこと言えないじゃん、と赤崎が小さく笑う。
「な、なんだよ」
「いや、ただ…祭も泣いていると思って」
赤崎の発言に「は!?」と声を上げ、緑間は素早く自分の顔を確認する。そして、ほっと安堵の息を漏らした。
「嘘つくなよ」
「嘘じゃない。泣きそうだよ」
「泣きそうなだけだろうが。まだ泣いてねえし、勝手に泣かせんな」
「でも、まだってことは、いつかは泣くんでしょ」
図星をつかれた緑間が、返す言葉も見つからずに押し黙る。
―昔からそう。滅多に感情を表に出さないくせして、赤崎は人の気持ちを察するに長けていた。読心術でも心得ているのかと周りに思わせるくらい、ずばりと見事につっこんでくる。
そもそも緑間には泣くつもりなんて、そんな予定はない。だが、予定はなくとも、そんな彼の意に反して伝う頬のそれを、緑間は良く知っている。
結局のところ、自分のことは、自分が一番良く分かっている―と、そういうことなのだろう。緑間もわかっているのだ、その涙の意味が、理由が、赤崎と同じであることくらい。
緑間の手が、静かに赤崎の頭から離れる。その時、不意に二人は目が合った。
ほんの一瞬の出来事であったけれど、お互い何かしら思うところはあっただろう―赤崎の方はともかく、少なくとも緑間はそうだ。
―帰ってきた、とは言えない。
そんなことを言う権利が自分にないことを、緑間は良く知っている。誰のせいで赤崎がこうなってしまったのか、誰よりも彼自身が一番良くわかっているから。
それでも、もう一度会えたことを喜んでしまう自分がいるのもまた、事実だった。それはもう、涙が出てしまうくらい―悔しいけれど、それくらい緑間には嬉しかったのだろう。
赤崎静との再会は。
「ありがとな、静」
“緑間祭”という人間を形成する際において、 “赤崎静”という存在は必要不可欠である。
彼の世界を構成する大部分を占めているのは、右も左も上も下も、馬鹿の一つ覚えみたいに赤色一色だった。それくらい、彼にとって“赤色”は特別だったのだろう。
だからその赤色を失った時、彼の世界は途端に色を欠いた。残されたのは緑色と青色だけで、色彩を欠いた彼の世界は、枯れる一歩手前だった。
だから―嬉しかったのだ、緑間は。もう一度会えたことが、本当に。
「…こっちこそ、ありがとね。祭」
緑間の“ありがとう”は、赤崎には随分と脈絡のないものだった。
それでも赤崎は、緑間の色々な感情を汲んだ上で、それを自分なりの“ありがとう”で返した。
緑間の頬を、透明な雫が伝った。
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