第32話
そして午後五時零分。馬場はやって来た。
「おい、西寺。俺は約束通り来た。出て来い!」
ガムテープ越しに馬場が怒鳴り声を上げる。馬場は拳を握りしめ、肩をいからせていた。
――失敗は許されない。
唇をきつく結び、ひとつ深呼吸する。
出来るだけ感情を抑えた声を出す。
「そこをくぐって入れ」
扉の仕掛けに少し訝しげな顔を見せながらも馬場は黙って入って来た。
その度胸は敵ながら流石だ。
入る間は、ずっと俺をにらみつけていた。俺も負けじとにらみ返す。
負けてはいなかったと思うけど、気迫で負けていたかもしれない。
「やあやあ。君が修悟君かね? 僕の名前は灰島だ。はじめまして。お近づきのしるしに握手をしよう」
後ろにいた灰島が馬場のところに歩き出す。
これから決闘しようというのに、いきなり握手を求めるなんてのが灰島らしい。馬場さえも自分のペースに巻き込もうとしている。味方になったら、凄く頼りになる奴だ。度胸では負けていない。
「なんだ、お前。慣れ慣れしい奴だな。お前がこのガキの代理人か?」
馬場は灰島が差し出した手を突っぱねて言った。余裕綽々の態度の灰島に対して馬場は一触即発しそうな雰囲気である。
灰と炎。
水と油。
「ご名答。修悟君。学年トップレベルの学力を持つだけのことはある。僕の正体を一発で言い当ててしまうとは恐れ入ったよ」
大袈裟に頭をかく灰島。馬場を煽っていることは明白だ。
さしもの馬場も灰島の大人の余裕の前では赤子同然だった。人相手ではわからないが、怪異同士の戦いでは灰島に分がある。徐々に灰島のペースになりつつあった。
「それくらい誰でもわかる。梅村はどこだ!」
「梅村君は無事だよ。君と戦ってみたかったから人質にとったようなもんだし。梅村君の方には大して興味はないからねえ。そうだな。今頃は家に帰っているんじゃないか?」
「ふざけてんじゃねえよ」
猛獣のような馬場の雰囲気にまるで呑まれることなく灰島は言う。
「ふざけてなんかいないさ。君は梅村君が教室にいないのを実際に確認したのかい? それとも確認もせずに他人の話をホイホイと信用してここまでやって来たのかい?」
「っつ……騙したのか?」
燃えるような馬場の目が俺に向けられる。
灰島が馬場を馬鹿にしたように笑う。
「確認していないのか。ハハッ、馬鹿だなあ君は。そんなんで、よく部長が務まるよ。いや、何も知らない他の生徒や先生の受けはいいみたいだけど部員に慕われていないんだから部長失格か」
とどめの一撃だ。灰島の口撃に耐えられる人間なんていないのだ。
嘲笑。気持ち良いくらいの嘲りだった。
これでノックダウンは決まったと思った。
が、馬場は諦めの悪い男だった。
「くそ!」
突然、馬場は思いも寄らなかった行為に出た。
なんと俺たちの目の前で身を翻し脱走したのだ。あまりの変わり身の早さに呆然としてしまい追いかけなければいけないと思ったのに身体が一瞬止まってしまう。
「焦らなくていいから、追いかけて!」
灰島の叫びに身体が反応し、俺は大慌てで馬場の背中を追った。だが、そんなに焦る必要はなかったのだ。馬場は無理にガムテープをちぎって突き進もうとして、ちぎれずに入り口のところで右往左往していた。
「待て! 馬場!」
「うっ!」
俺が叫ぶと馬場が何者かに吹っ飛ばされたようにして床に転んだ。転んだまま腹に両手を当て、背中をぐしゃりと折り曲げ唸っている。突然の展開に俺の頭は混乱していた。
「今度は決めてやったよ、馬場! 女の恨みは怖いんだ!」
大股でガムテープを跨いで現れたのは刀条だった。
「刀条、お前……」
「へへっ、来ちゃった」
刀条がニッと歯を見せる。
「来ちゃったってお前。危ないから関わるなって言ったのに」
「関わらないなんて私には無理だよ。私にだって責任の一端があるのに、他人が恐い思いをしているなかで私だけがぬくぬくと隠れているなんて私には到底耐えられない。手伝わせてよ」
刀条は強い。とても真っ直ぐで、そのひたむきさは俺の心に突き刺さって痛いほどだ。
「ひさなちゃん、久しぶり。ナイスアシストだったよ。いまの蹴りは」
「あ、お久しぶりです。灰島さん」
刀条は灰島に向かってぺこりと一礼。律儀な奴。
確かに刀条のおかげで馬場の脱走は防げたかもしれない。だが、この状況はまずいんじゃないか? 灰島や俺が一般人じゃないってばれてしまう恐れがある。
「おいっ! 灰島、いいのかよ? こいつを巻き込んでも」
「ここまで来ちゃったならしょうがないさ。それに見たところ、ひさなちゃんはこのまま帰れなんて言われても素直に帰るようなタマじゃなさそうだからね。巻き込まないようにしても無駄さ」
灰島は呑気な声で答えた。
「私を入れてくれないなんて駄目ですよ。すでに巻き込まれちゃってますからね」
刀条のしたり顔。
「ほらほら。やる気満々」
「灰島! だけどこれは一般人が相手にしていいようなもんじゃないだろ!」
「ちょっと待って。一般人は駄目って。灰島さんたちは何をしようとしているんですか?」
「化け物退治」
音速で弾丸ワードが灰島の口から噴出。俺は驚きに目を見張る。
「――化け物退治?」
刀条が怪訝な顔をする。
「おいっ! そこまで言っていいのかよ!」
「まあまあ、いいじゃないか。本当のことなんだし」
「――あのう、灰島さん。嘘じゃないんですよね?」
「嘘じゃない。ついでに、僕らは人間じゃないんだ」
「灰島!いい加減にしろ!」
どこまで言うつもりなんだ。この男は。
いいのか? 俺が怪異であることを隠さなくても。
こんなに呆気なくカミングアウトしていいのか?
「西寺も人間じゃないの?」
刀条が俺の瞳を見つめる。
こんな風にストレートに言われるとなんて答えたらいいのかわからない。
「俺は……」
灰島が言葉を引き継いだ。すらすらと語る。
「西寺君は半分人間じゃないってところかな。それはこの件が解決したら西寺君が話すさ。だからその時は西寺君の話をどうかちゃんと聞いてやってくれないか? 僕としては聞いた後も今のまま西寺君の友達でいてくれると嬉しいよ。あと、ここで今から見ることは他の人には内緒だ。僕たちの存在はあんまり世の中に出るもんじゃないからね。約束出来るかい?」
真っ直ぐな刀条は、戸惑いながらもこくりと頷いた。
「色々とにわかには信じられないですけど、一応信じます。それと秘密にするって天地神明に誓って約束します」
「いい目だ。じゃあその目にこれから始まることを焼き付けておくといい」
灰島と刀条が話している間、俺は勝手に秘密を暴露されたことに動揺していた。
俺の三年間の秘密がこんなにも呆気なく、自分の意思とは無関係に、一部とはいえ他人に知られてしまったのだ。それに、詳しいことは俺から話せとまで灰島は言う。灰島の横暴さにはついていけない。
だが、俺がどうしてそんなことを話さないといけないんだと抗議することはできなかった。
口だけは笑っていたが、灰島の目には真剣味があったからだ。娘を嫁に出す時に娘の夫を見定めるお父さんのように真剣な目で刀条をずっと見ていた。
俺は覚悟を決めた。
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