愛しの彼女を埋めました。

喜多川 信

第一巻

第一章

第1話




     1



「ずっと好きでした!」


 生徒会書記の森田清太くんは、精一杯おおきな声で言った。勇気と恐怖の境目に立ち、震える足と声の情けなさに赤面しつつも、森田君は懸命に踏ん張っていた。


「こ、この学校に入学した、のも、生徒会に入ったのも……す、少しでも、お近づきに、なりたくて。せ、せんぱいのっ、あの、そのっ――」


 何度も練習したはずの言葉すら、ぎこちなくしか紡げない。


「せ、先輩のっ、傍に居たかったから、なんです!」

「…………」


 日戸梅高等学校・生徒会長、銀野ヨロズ先輩は眉ひとつ動かさなかった。


 ヨロズ先輩は真夏でも冷房いらずと謳われ、真冬だと暖房を打ち消してしまうと噂されるほどのクール・ビューティーだ。

 生徒たちの一部では「雪女の末裔」とまことしやかに囁かれているほどで、容姿と頭脳と人望を兼ね備えた高嶺の花である。


 ヨロズ先輩が一年生の時、とてつもないイケメンの三年生――池 綿造さん(仮名)に告白されたそうだ。次の日、池先輩は学校を休んだ。いつものように口説き落としたのか、としきりに電話で問いかける学友たちに、池先輩は「ごめんなさい。ごめんなさい、オレが愚かでした、ごめんなさい」と恐れるように呟くばかりであったそうな。


 森田君は顔が崩壊してこそいないが、整ってもいない。

 評価に困った女子達が『森田君って、どっちかっていうと可愛い系だよね。うーん、食物連鎖の下の方に居る生き物みたいな感じかなぁ』と評する。小動物みたい、という言葉を使ってくれないので、下手をすると微生物的な立ち位置なのかもしれない。


 雑誌の表紙をいつ飾っても恥ずかしくないヨロズ先輩と、低身長のほっそりした森田君では明らかに釣り合っていない。森田君とて理解している。


 イケメンとそうでない者の社会的格差――世界人権宣言の条文に、なぜ美醜に関する項目が無いのか不思議に思った事も一度や二度ではない。

 明日には「姫に恋した農奴」としてクラスメイトたち、下手をすれば全校生徒に知れ渡り、演劇部が話題の喜劇として舞台化してしまうかもしれない。


 それでも森田君は、ヨロズ先輩へと果敢に言葉を続けた。


「ボクと、付き合ってください!」


 その一言だけは、森田君はしっかりと口にした。

 絞り出した声と共に、脂汗を秋風が拭い去っていく。校舎屋上は森田君の顔色を隠せるほどの朱に彩られ、引き伸ばされた二つの影を際立たせていた。


『今は恋愛とか興味ないから』『あなたはタイプじゃないの、諦めて』『浅はかな男は嫌いよ。こういう事をすると生徒会の業務に支障が出るとは考えなかったの?』『三年後に好きな人が居る予定なの、ごめんなさい』『最低あと四回は整形手術をしてから来て』


 ――ヨロズ先輩の性格上、ばっさりと断りの返事がくるはずだ。

 森田君は目をぎゅっと閉じ、玉砕の瞬間を待った。


「森田君、本当に私の事が好きなの?」

「……ひぇ?」


 森田君は阿呆な声を出して、うつむけていた顔を上げた。


 万に一つも、その様な言葉をヨロズ先輩が返してくるとは考えていなかった。百八つの脳内シミュレーションでは百八通りの拒絶のセリフを浴びており、どれ程えげつない断りのお言葉であろうと、とにかく屋上のフェンスを乗り越えてはいけない、身投げしたらヨロズ先輩や家族に迷惑がかかる、という事だけは肝に銘じていたのだ。


「本当に、私の事を愛してくれているの?」


 冷静な口調と変化の少ない表情で、ヨロズ先輩が念を押す様に尋ねてくる。みずみずしい唇から紡がれる玉の声に、森田君の背筋はびしっと伸びた。


「はいっ!」


 森田君は断言したが、ヨロズ先輩は顔色一つ変えなかった。


「けれど私、言葉だけでは信用できないから、できれば行動で示して欲しいわ」

「ボクに出来る事なら、何でも言ってください!」

「ほんとうに?」


 ヨロズ先輩は念を押すように首を傾げている。

 森田君は力強くヨロズ先輩を見た。


「もちろんです。先輩の事、その……す、好きですから!」


 この想いよ伝われと、森田君は前のめりにそう言った。


「では、埋められるかしら?」

「はいっ、もちろ…………は、はい?」


 心臓はライブハウスのスピーカーと化し、大好きなミュージシャンの楽曲全てを無批判に受け入れるような心境だった森田君でさえ、目を白黒させて聞き返した。


 埋める――という、意図を理解しかねる単語が混じっていたのだ。


「そ、それはどういう事ですか?」

「埋めるのを手伝って欲しいモノがあるの」


 そう答えるヨロズ先輩は平静としていた。

 森田君は目を瞬かせ、首をひねった。


「…………埋めるって、何をですか? モノですか? タイムカプセル的な?」

「いいえ、生き物よ」


 ヨロズ先輩は首を横に振ってそう言った。

 ヨロズ先輩の言葉を受けて、森田君は探りを入れる。


「ペットの埋葬、ですか? あるいは、庭先で倒れて居たスズメ的な生き物を供養してあげるために、土葬するといった感じですか?」

「まさか、生き物と言ったでしょう。ちゃんと生きているわ」


 ヨロズ先輩の口振りは、実に淡々としていた。

 呆けてしまっていた森田君は、頭を強く振って気を取り直した。


「そんな、残酷ですっ。生きてるのに埋めるなんて、ダメですよ!」


 森田君が声を荒げると、ヨロズ先輩は困ったような顔をした。


「でも、どうしても埋めて欲しいの。こんな事、滅多に人に頼める事ではないし」

「そりゃ、そうですけど……」

「それに、私一人で埋めるのは難しいの。物理的に」

「は、はあ……物理的に、むずかしい?」


 ヨロズ先輩の意図がつかめず、ひとまず落ち着こうと、森田君は声のトーンを落とした。ヨロズ先輩はいったい何を埋めるつもりなのかと、森田君は口を開く。


「……具体的に、何を埋めるんですか、先輩?」

「人よ」


 ヨロズ先輩は事も無げにそう言った。口振りは秋風よりも涼やかで、ヨロズ先輩の瞳は冷静そのものだ。

 路頭に迷っていた森田君の平常心は、完全に行方不明となった。


「………………ひ、人を、埋めるんですか、先輩……?」

「大丈夫よ、森田君」


 声がかすれてしまった森田君の様子を見て、ヨロズ先輩は片手を上げて制した。


「自殺志願者とか血まみれの病人とか、そんな物騒なものじゃないわ。これでも私、遵法精神はそれなりにあるつもりだから、あなたをそんな危険な事に巻き込んだりはしない。埋めるのは、心身共に健康的に生きている人間よ」


 ヨロズ先輩はやや優しさすら感じさせる、透き通るような声でそう言った。

 森田君は目をむいた。


「より物騒ですよっ!」

「問題ないわ。だって、合意の上だもの」

「ご、合意!?」


 畳みかけてくるヨロズ先輩に、森田君はなす術がなかった。


「せ、先輩はそんな、埋めてくれなんて言う不可思議な人と知り合いなんですか? 誰かから頼まれたら、人を埋めちゃうような人なんですか?」


 森田君はおどおどしながら問い掛け、畏怖の目でヨロズ先輩を見た。

 すると、ヨロズ先輩は小さく首を横に振った。


「何を言っているの、森田くん。土の下に埋めて欲しいのは、この私自身よ?」

「……んへ?」

「私を人気のない山中に埋められる?」


 ヨロズ先輩の真剣な眼差しは、森田君の脂汗に拍車をかけた。綺麗な瞳が森田君を捉えて離さない。逃げる事も逸らす事も出来ず、森田君は口ごもった。


 意を決して「好きです」と告白したら、その返答が「山中に埋めてくれ」である。意中の女の子からそう言われてどう答えるべきなのか。

 そんな事は森田君に分かるはずもない。


「……えっと……」

「出来るはずよね? 何でも言ってくれ、と言ったのだから」


 ぐいっとヨロズ先輩に迫られて、森田君は一歩後退した。


「ふぇ? あのっ、その……」


 いったいヨロズ先輩に何を言われているのかと、森田君は心の整理が追い付かない。口ごもる森田君へと、しかしヨロズ先輩は手を緩めずに踏み込んできた。


「本当に私の事が好きなら、私を埋められるはずだわ」

「で、でもっ、そんな事をしたら先輩が死んじゃうじゃないですか!」

「……森田君、ちゃんと話を聞いていたの?」


 森田君の真っ当な反論に、ヨロズ先輩は小首を傾げて続けた。


「私は埋めて欲しいと言ったのであって、死にたいと言った覚えはないわ」

「っ!? !?!? ……せ、先輩。い、意味が分かりません……」


 真顔のヨロズ先輩にじっと見つめられ、森田君はたじろいだ。

 森田君の頭の中は真っ白だった。

 ヨロズ先輩のまともでは無いお願いに、まともな返答は一つも浮かばない。常識と思考力を根こそぎ、暮れの秋風が吹き散らしていくかのようだ。


 こうして森田君の告白は、失敗とも成功とも言えない微妙な成果を収めた。




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