第6話 悩める空手少女・玄蕃恵

 茹で蛸のように赤い顔のまま、夜道を歩く恵は思案する。明日、どうやって顔を合わせよう、と。


(いやありえねぇ! だって才羽だぞ!? あのいけ好かねぇ仏頂面だぞ!? 真里の気持ちも弄んで……!)


 あの一瞬。言い訳の余地すら許さないほどはっきりと、自分の中で芽生えてしまった感情。それを否定するため、恵は懸命に心にもない言葉で幸人を罵倒する。

 だが。心にもなくとも、心の中だけでも、口にできない言葉があった。


(……いや、違う。あいつは、弄んじゃいなかった。むしろ、真剣過ぎるくらいに真里のことを考えて……深く近づき過ぎないようにしてたんだ。素っ気なく振る舞って、興味がない振りをして。何も知らないまま真里が離れていくように……)


 今日知った、才羽幸人の本当の姿。鳶口の名も捨て、半生を「救済の遮炎龍」の道に賭け。それすらも空虚なものとなり、戦う理由すら見つからない。

 そんな、生きているかも死んでいるかもわからない人生の中で、全てのきっかけと再会した彼は、どれほどの想いで彼女を守ろうとしたのだろう。彼女のことを思えば、何一つ明かせない中で。

 途方もない想像だけが、彼女の頭に渦巻いている。


(真里……)


 気づけば、恵は携帯を手に親友を呼び出していた。全てを告げることは叶わないが、ほんの少しでも同じ気持ちを分かち合いたかったのかも知れない。


 同じ男を好きになってしまった、女として。


『もしもし、恵? どうしたのこんな時間に。用事、終わったんだ?』

「……あぁ、まぁな。そっちは、あれから変わりねぇか?」

『うん。文村会長が、色々気を遣って下さってて……今日もテニス部が終わるまで、生徒会の役員さんが待っててくれてたの。家まで送り迎えしてくださるなんて、色々申し訳ないんだけどね』


 すでに部活を終え、帰宅した後なのだろう。電話の向こう側では、真里の両親が団欒している様子が窺い知れる。

 事件の話を聞いた直後の彼らは、かなり慌てた様子で娘を保護しようとしていたが――琴海の厳戒態勢を目の当たりにして、任せることに決めたらしい。

 彼女がここぞというところで発揮するカリスマ性は、御父兄にも通じる威力のようだ。


 ……「救済の遮炎龍」さえ絡まなければ、さぞかし完全無欠な会長になっていただろう。


「無理もねえ。あんなことがあった後だ、それくらい気ぃ張ってても足りねぇくらいさ」

『そう、かな……。やっぱり、植木鉢の人とは話し合いで……無理なのかな』

「誰にでも優し過ぎるのは、お前らしいしいいとこだけどな。世の中、そんな優しさを汲んでくれる奴ばかりじゃない。まぁ、汲み過ぎて自分を削る奴にも困ったもんだがな」

『え?』

「あ、やっ……こ、こっちの話さ」


 不意に幸人のことを口に出してしまい、疑問の声を漏らした真里に過剰反応してしまう。

 親友の前で、親友の想い人のことを考えてしまった。あの笑顔を、想像してしまった。


 その後ろめたさ……もとい背徳感が、余計に恵の「いけない想像」を刺激する。もはや恵の思考は煙が上がりかねないほどにヒートアップしていた。


 その時。恵は、ふと芽生えた疑問を口にする。


「えと、なぁ、その……あんま辛気臭ぇ話すんのも……難だし、話変えるけどよ。お前、才羽が笑ったところ、見たことあるか?」

『え? ど、どうしたの急に』

「い、いいから」


 今度は真里の声まで上擦っている。この間までは、恵はそんな彼女をからかう側だったはずだが……すっかり、彼女のことを笑えないところまで来てしまった。


『う、うーん……。実は、ないんだ。才羽君、かっこいいんだから笑ったら素敵だと思うんだけど……。でも、笑ってなくても優しい人なのは、普段から見てれば伝わる。いつかは、見られたらいいな』

「そ、そっか……そうかもな……」

『……? 恵、なんだか様子が変だよ? どうかした?』

「へっ!? いい、いやどうもしてねぇよ!?」


 いつもなら、ここで「ふーん、普段から見てんのかぁ」とニヤニヤしてからかうところだ。しかし、今の恵にはそんな余裕は欠片もない。

 さすがにおかしいと思った真里は、心配げに声を掛けるのだが……安心させようと奮闘する恵の声は、上擦る一方だ。


「さ、さて! あんま長話させても悪いし、そろそろ切るわ! また明日な!」

『え? あ、うん。また明日ね……?』


 このままでは気持ちがバレるかも知れない。それだけは何としても回避せねばならない。ある意味、幸人の秘密よりトップシークレット。

 そんな焦りに苛まれた恵は、荒い呼吸のまま電話を切ってしまった。何も知らない真里も、様子が明らかにおかしい恵を案じながら、言われるままに通話を終える。


「……ったくもぉ。何勝手に振り回されてんだアタシはぁ。これも全部あいつのっ……!」


 最後に残された、燃え上がるような羞恥心。そこから繋がり、生まれ出る怒りを、八つ当たり気味に幸人へぶつけようとした時。恵は振り上げた拳を、糸が切れた人形のように下ろした。

 ある一つのことを、思い出したからだ。


「……明日こそは、ちゃんと……お礼、言わないとな……」


 ◇


 それから、次の日。五月も終わりが近づき、世間では徐々に夏の予感が囁かれる時期だ。


(……もうすぐ、才羽の「救済の遮炎龍」としての任期が終わる。任期が終わったら、あいつがここに居座る理由も……)


 そんな中。恵の意識は授業中であっても、昨日の事柄だけに支配されていた。どこか惚けた表情で、ペンを回す彼女の目は、ここではないどこかを映している。


 来週には、幸人は「救済の遮炎龍」のテスト要員の任期を満了し、事実上ヒーローから引退する。そのスーツは、次世代スーツを開発するための素体として解体される予定だ。


 つまり、あと一週間後には才羽幸人が扮する「救済の遮炎龍」は、この世から消え去ることになる。真里の護衛も、他のヒーローが受け持つようだ。


 彼は元々、真里の護衛のために雇われた身。ヒーローでなくなれば、わざわざ女学院に留まる理由もない。……なら、もう会うこともなくなる。


 恵は昨日、幸人が任期を満了した後の身の振り方を尋ねなかった。否、出来なかった。


 幸人の笑顔にやられ、頭からそのことを吹き飛ばされたのも理由の一つだが……やはり、聞くのが怖かったのだ。

 彼を明確に意識する前から、尋ねるタイミングはいくらでもあった。だが結局、恵はその問いを先延ばしにして、何もわからないまま今日を迎えている。


 無意識のうちに、彼にここにいて欲しい、という願望を抱いていたのかも知れない。知らず知らずのうちに、そのことを避けていたのだとすれば……。


(……いつから、なんだろうな。いや、いつからなんて、どうだっていい。肝心なのは、あいつが任期を終えたらどうなるか、だ。……礼を言うついでに、そこもハッキリ聞いておかねーと)


 そこで一度思考を断ち切ろうと、頭を振る。その視線は、前の席で授業に集中する幼馴染に向かっていた。


(もし、いなくなっちまうのなら……真里は、悲しむだろうな)


 せめて任期を満了するまでに、真里を狙った悪人には捕まって欲しい。それが無理でもせめてこの一週間は、何事もなく終わって欲しい。

 それが、恵が願える精一杯だった。

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