第236話 天真爛漫な女王陛下

 その翌日。

 国防軍特捜隊を率いる、マックス・ルナイガンは――


「マックス・ルナイガン以下五十名の特別捜索隊に、武器密売シンジケートの摘発を命ずる。ダスカリアン王国と妾(わらわ)の名の下に、国民を脅かす者共へ鉄槌を下せ」

「ははっ!」


 ――現ダスカリアン王国女王、ダウゥ・アリー・アル=ダスカリアニィへの謁見に臨んでいた。

 煌びやかな装束に身を包み、王冠を戴くその姿は、砂漠の国を導く女王としての威厳に溢れていた。両脇を固める二人の男――ワーリ・ダイン=ジェリバン元帥と古我知剣一も、その厳かな雰囲気を支えている。

 二十歳を迎えたばかりとは思えぬほどに堂々とした佇まいと、その褐色の肌に彩られた美貌には、この国に仕える者の多くが心酔していた。


 それは、ルナイガンも例外ではない。ダウゥの持つ絶対的な美しさから、寸分も目を離すことなく歓喜の表情で任務を賜っていた。

 この絶世の美女たる女王から、この国の平和を懸けた大役を仰せつかることが出来た。その事実に打ち震える彼は、跪きながら強く拳を握り締めている。


(――武器密売シンジケートを壊滅させれば、ダスカリアン王国は長きに渡って苦しめられてきた障害から解放される。すなわち、この国を奴らの魔手から救う英雄になる、ということだ)


 ルナイガンはこの任務の先に訪れるであろう展開を予期し、期待に胸を膨らませて行った。特捜隊の勝利を、疑うこともなく。


(そうなれば……こんな一部隊の隊長には勿体無いと、女王陛下も俺を取り立てて下さるに違いない。さらに、ゆくゆくはこの国の政権を手にし……そして!)


 ダウゥを見つめる瞳に、さらなる熱が籠もり――下腹部に燃え滾るような情欲が芽生える。

 眼前の女王を己のモノにする。その男としての本能に基づく信念が、ルナイガンを昂らせ――突き動かしていた。


(……そのためにはまず、俺が英雄として幅を利かせるための下地が必要だ。手柄を横取りするような連中――特にあの日本人には、念入りに釘を刺さねばな)


 しかし、そのルナイガンの胸中を知ってか知らずか。ダウゥは艶やかな唇を僅かに動かし、任務にあることを付け加える。


「……とはいえ、お前達だけで行かせるほど薄情になるつもりはない。保安局から信頼に足る保安官を一人、派遣するように要請してある。安心して任務に臨んでくれ」

「――ッ!? 女王陛下、今なんと!?」

「保安官を一人、この任務に同行させると言っておるのだ。心配せずとも腕は確かだ、足手まといにはなるまい」


 この女王がここまで買う保安官など、現状一人しかいない。ジェリバン元帥の誘いを蹴り、ルナイガンより多くの手柄を上げ続けている、あの男。


「……女王陛下! 保安局如きの手を借りずとも、我々は必ず件のシンジケートを壊滅させてご覧に入れます! そのようなお気遣いがなくとも……!」

「そういう軋轢を解消するための派遣なのだ。ただでさえ国内が安定しきっていないというのに、国の治安を担うお前達がその有様ではそれこそ心許ない。国防軍も保安局も、国民の守り手であることには変わりないのだぞ」

「し、しかし!」

「慌てずとも、任務を果たせばお前にも兵士達にも恩賞は与える。今はしっかりと英気を養うことだ。……下がれ」


 有無を言わさぬ口調に気圧され、主張を通しきれなかったルナイガンは、やがて腑に落ちない表情で王室を後にする。

 よりにもよって、最大の邪魔者であるあの日本人を同行させねばならない。その事実に、歯痒さを覚えているようだった。


 その背中を見送り、王室に静寂が戻ると――ダウゥは積もり積もった鬱憤を吐き出すように、大きく溜息をつく。


「全く……あいつにも困ったもんだぜ。何が保安局如き、だよ。リュウタが調査してきた情報を横取りしなきゃ、捜査もままならなかったクセして」

「国防軍が再編されて十四年。人口増加に伴い男性兵士も増えてきているとはいえ、一般的な軍隊としてはまだまだ発展途上ですからな。日本の技術とノウハウが浸透しきっていない現状では、この程度が関の山――ということでしょう」


 ジェリバンは淡々と語りつつ、国防軍に捜査技術等のノウハウが定着していない現状を憂いていた。

 国内に息づく日本への反発心。日本の力がなくては現状維持もままならない国力。その両方に縛られながら、このダスカリアン王国は存続している。

 ライフラインや経済が徐々に安定に向かい始めている一方で、この問題は絶えることなく首脳部を苦しめ続けていた。

 そのしわ寄せを受けながら、今も懸命に戦っているであろう息子の生き写しを案じ、ジェリバンは俯くように視線を落とす。


「それより姫様。いけませんよ、そんな言葉遣いは。これからこの国を治めていくお方が、いつまでもそんな口調では……」

「もー、いいじゃねーかケンイチ。どうせ誰も見てないんだし。それにこういう堅っ苦しい物言い、オレにはどうも馴染まねーし」

「……それじゃあ龍太君にも、女の子扱いしてもらえなくなりますが」

「……や、やだ! それはやだ!」


 その空気を変えようと話題を変える剣一の言葉に、ダウゥは三年前と変わらぬ口調で反発する。身体つきや声色、顔立ちは大人の女性となった彼女であるが、その内面に根本的な変化は見られない。

 テンニーンに酷似していた龍太の顔立ちは、三年間の時を経て成人の風格となり――兄、龍亮と瓜二つの美男子に成長していた。

 ダウゥから見れば、それは憧れのテンニーンがさらに逞しくなった姿でもあり……彼女の内に眠る女としての本能を引き出させる要素でもあった。


「……リュウタが国防軍に入ってればなぁ。いや、それだと保安局が国防軍に飲まれちまってたかも知れないし……う〜ん……」

「リュウタ殿は、権威という鎧を着ていては人々の本音に向き合えない……と語っておりましたな。確かに、彼には保安官として直に人々に尽くして行く方が性に合うのでしょう」

「だけど……ついこないだまで、道を歩くだけで石を投げられてたって話じゃないか。国防軍の将官に取り立ててやれば、今頃は……」

「姫様。彼には彼の想いがあるからこそ、今のやり方に殉じているのでしょう。我々も、ここは彼の力を信じる他ありません」

「……う、うん……」


 龍太の選択を尊重したい一方で、その身を案じずにはいられない。そのジレンマに眉を顰める姫君を見遣り、ジェリバンは剣一に耳打ちする。


「ケンイチ殿。リュウタ殿は武器密売シンジケート壊滅の任務が完了し次第、日本に帰国すると聞いているが……それ以降、こちらに来る機会はあるのか?」

「さ、さぁ……。ですが、当分は日本から離れないでしょうね。何せその頃には新婚ですから」

「ふむ、そうか……。ならばヤムラ殿と共にこの王宮で暮らすつもりはないか、聞いて見てはくれぬか? 貴殿の方が付き合いは長かろう」

「……非常に恐れ多いのですが、彼をどうするつもりで?」

「どうするか……いや、『どうなるか』は本人達が決めることだが――少なくとも、あのような不埒者が寄り付かぬようにはしたい」

「やはり、気づいておりましたか」

「あのようなあからさまな目線、気づかぬ方がどうかしている。私ももう歳だが、姫様を守り抜ける殿方が見つかるまでは、親代わりでいるつもりだ」


 先程、獣欲に爛れた視線をダウゥに注いでいた兵士。その表情を思い返す度に、ジェリバンのこめかみからは血管がはち切れんばかりに浮き出ていた。

 その様子を剣一は無言で見つめ――納得するように深く頷く。そんな二人を、ダウゥは訝しんでいた。


「二人とも、さっきから何ヒソヒソ話してたんだ? ……あ、そうか」

「あ、いえ。姫様、これは……」

「今日の献立の打ち合わせだな!? いやー、ケンイチが作る晩飯は何度食っても飽きねぇからなー! で、今日は何だ? オレ、スシがいいな!」


 無邪気そのもの、と言うべき表情を前にした二人は、互いに顔を見合わせ――彼女よりも大きく溜息をつく。先程まで厭らしい目で見られていた美女の台詞ではなかった。


(――あの子の鈍感が移ったんだな)


 そんな彼女の様子を見つめながら、剣一は原因と思しき青年の顔を思い浮かべていた。

 しかし、その表情にダウゥのような思案の色はない。


 古我知剣一は確信していたのだ。

 今の一煉寺龍太ならば、どのような障害に阻まれようと決して負けない……と。

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