第156話 古我知剣一の戦い

 ダスカリアン王城を円形に囲む、十メートル超の城壁。その内側には、古来より武芸の披露のために設けられた練兵場がある。

 貧しい小国とは言え、今では近代的な小銃が兵士の装備として普及しているため、中世時代のように槍や剣の訓練をすることはなくなっているが、それでも兵士達の近接格闘の訓練を行う場として、長年に渡って重宝されてきたのだ。


 ダスカリアン国防軍は、十一年前の惨劇で兵士を含めた男性の多くが死亡したため、現在では女性中心の軍隊となっている。……その中には甘いマスクと強さに惹かれ、剣一に想いを馳せる者も多いのだとか。


 また、人口確保のための措置として一夫多妻制も採用されてはいるが、ここ十年の間ではまだそこまで男子は増えていないようだ。


「へっ! ジャップの野郎、ワーリの強さを知ったらおったまげるぜ!」

「さて、どうなるか……」


 ――今この場には、たった二人のギャラリーに見守られた戦士達が立っている。どちらも、通常の兵士を遥かに超越した存在だ。

 人払いとして、将軍の指示により城門や練兵場には警備兵が配置されている――が、詳しい事情を知らされていない彼らは、この国を包む不穏な空気にただならぬ不安を覚えていた。


 彼らが立つ練兵場の広さは、直径百五十メートル。これからあいまみえる二人にとっては、広いとも狭いとも言い難い範囲であった。

 両者とも、闘いを長引かせるつもりはない。一瞬で決着を付けるつもりなのだ。


「……すぐに準備が完了する貴殿とは違い、私は装着に時間が掛かってな。申し訳ない」

「僕なら構いませんよ。これは戦争じゃないんだ」


 王位そのものを潰してでも、多数の国民を救うことを優先する男――古我知剣一。

 彼はここに現れた時こそ黒いフォーマルスーツを着ていたが、今では白いマントや装甲を纏う、異質な姿へと変貌している。


 日本の機動隊員を思わせる、全身を覆った外骨格。風に靡き、舞い散る砂を浴びるマント。西洋の騎士を模した、荘厳な兜。

 その全てが、汚れのない純白で統一されている。「必要悪」と呼ばれるこの姿は、彼が瀧上凱樹を討つために手に入れた、その男と同系統の技術から産まれた兵装なのだ。


 元々四肢が機械化されている剣一は、鎧を着てマントを羽織るだけで、ほぼ戦闘準備が完了する。

 しかし、国民を道連れにしてでも、王女の地位と居場所を守ろうとする男――ジェリバン将軍は違っていた。


 彼は着ていた迷彩服の上着を脱ぎ捨てると、その凶器のような筋肉をあらわにして――手に持っていた巨大なトランクを開く。

 そこに詰められていたのは、銅色に統一された――プロテクターのような装甲服。彼は鎧を着込む侍のように、一つ一つそれらを身に纏っていく。


 そして最後に、トサカ状の斧を付けた兜を被り……剣一の方へと向き直った。

 その姿はさながら戦場に赴く武士の様相であり、容赦なく照り付ける日光を浴び、彼の装甲も黄金の如く輝いている。


 関節の隙間からは、旧式ゆえか人工筋肉を機能させる電線が露出しているが――そのような弱点を感じさせない「戦士」としての荘厳な姿が、そこにあった。


 戦場でこれほど目立つ格好はないだろう。しかし彼はそれを一切苦にすることなく、数多の死線をかい潜ってきたのだ。


 一切の驕りを見せない真摯な眼差しが、それを裏付けている。


「……『新人類の巨鎧体』を造った米軍の産物、か。毒を以って毒を制す――とは、よく言ったものよ」

「瀧上凱樹を憎んでいながら、その力に繋がる兵器を使っている。……そういう意味では僕もあなたも、完全に彼を拒むことは出来ないのかも知れません」

「違いない。この世で唯一憎んだ日本人と、同じ系統の力を行使して国を守ってきた……とはな。笑いにもならん」


 互いに共通する「汚点」。「兵器を纏った姿」を見せ合うことで浮き彫りとなったそれを改めて認識し、二人は同時に自嘲の笑みを浮かべた。


「――実を言えば、私にも僅かに日本人の血が流れていてな。戦時中、我が国が植民地として支配されていた頃のことだ。祖母が命の恩人だったという日本人医師との間に、私の実父を授かったのだよ」

「え……!?」

「戦乱の中、行方知れずになった祖父に代わって、私の父は軍人の家系に引き取られ――そして、私が生まれた。しかし父は、日本の医師だったという祖父の言葉を、晩年まで覚えていたのだよ。『どんな時代や状況でも、誰かを助けることを忘れるな。お前に助けられた誰かが、お前が生きた証になる』、とな」

「誰かを、助ける……」


 時代や状況を問わず、誰かを救うことを常に心掛けよ。――と訴えかけるような言葉を受け、剣一は自分と共に瀧上と戦い、彼すら救おうとした少年の背中を思い浮かべた。


 ……まるで「あの子」のようだ、と。


「祖父がどのような人物だったかは、今となっては知る術もないが――この言葉は気に入っていてな。今では姫様をお守りすることこそが、『私が生きた証』だと思っている」

「その姫様と共に、破滅に向かうことが――『守る』ことだとでも?」

「同じ『守る』という言葉でも、私と貴殿とでは解釈が異なるのだろう。貴殿は『命』さえあれば『生』と見做せるのだろうが、私にとってはこの国で生まれ育ち、この地を愛している姫様の『想い』こそが、姫様にとっての『生』なのだよ」


 白銀の仮面の奥で剣一は鋭く目を細め、狩人のような眼光をジェリバン将軍にたたき付ける。

 当の将軍はその殺気を一身に浴びていながら、涼しげな佇まいで彼と向き合っていた。


 在るべき姿や誇りを失い路頭に迷うくらいなら、愛する故郷と共に朽ちるか。地位や名誉をなげうってでも、命だけは助けるべきか。


 その解釈と価値観の差異は、共通している部分が多いはずの二人の溝を、際限なく広げていく。


「……まぁ、いいでしょう。それが正しいか否かは、この決闘で決まる。この戦いは、あなたが望んだことだ」


「その通り。いざ尋常に――参る」


 こうなっては、もう戦いは避けられない。一触即発となった二人は、互いの得物を静かに構えるのだった。


 剣一は、青白い電光を纏う短刀を。ジェリバン将軍は、幾多の戦車や兵器を砕いてきた、黄金の拳を。


「――お互い、準備は出来たと見ていいな?」


 円形の舞台から僅かに離れた位置に立つ和雅は、互いの構えを見て静かに口を開く。風が靡く音と、砂が地面に擦れる音のみが聞こえているこの空間の中で、両者はゆっくりと頷いた。


 王族の権威が消え去るか。国そのものが死に絶えるか。その決断が、この闘いで下されるのだ。

 どちらに転ぼうと、必ず何かが犠牲になる。果てしなく重い、何かが。


 それだけに、この二人を包む空気の険しさは、尋常ならざるものだった。

 限界以上に張り詰めた両者の眼光が、互いの様子を鋭く見据えている。ほんの僅かな挙動も、見逃すまいと。


「――言っておきますが、いかに性能差があろうと、僕は手は抜きませんよ」


「構わんよ。それだけで勝てるつもりで、いるのであればな」


 剣一の啖呵に対するジェリバン将軍の反応は薄い。そんなことは何の問題にもならない、と云うように。


「……?」


 この返事を受けた剣一は、僅かながら戸惑いを隠せずにいた。


 彼の身を包む「必要悪」の装備は、一年と少し前に開発されたばかり。対してジェリバン将軍の「銅殻勇鎧」は、十一年前に米軍から渡されて以来、僅かな改良も施されていない。しかも長い間の戦闘により、鎧の節々には痛ましい傷痕も伺える。

 剣一から見れば、時代遅れの老朽品そのものなのだ。にもかかわらず、彼はそのハンデについて何の反応も示さずにいる。


 ――あんな骨董品のような装甲で、何の苦もなく自分を倒せる気でいるのか。それとも、自分の知らない最新兵器でも隠し持っているのか。

 ジェリバン将軍の真意を探ろうと、剣一は思考を巡らせる。


 だが、答えを出せるだけのヒントが得られることはなかった。

 彼がこうして逡巡している間も、ジェリバン将軍は寸分も構えを崩すことなく、整然とした様子で剣一を見つめている。


「では――始め!」


 そして剣一の悩みを他所に、風の囁きが止まる瞬間。

 和雅の叫びが、この緊迫した世界に突き刺さる。


 次いで、風に流されていた砂の動きが止み、時間が止まったような錯覚が辺りを包み込んだ――刹那。


「シャアァアアアアァアーッ!」


 獣の如き雄叫びと共に、剣一の刃――高電圧ダガーが唸りを上げる。

 狙うは、装甲の隙間に見える急所。すなわち、人工筋肉の生命線だ。


 圧倒的な性能差が物を言ったのか。

 一瞬の内に地を蹴り、間合いに飛び込んだ剣一と視線が交わっても、ジェリバン将軍は一歩も動かずにいた。


「ワッ……ワァーリィーッ!」


 一見すると優男のようにも見える剣一の、チーターにも劣らない駿足を目の当たりにして、ダウゥ姫は思わず戸惑いの声を上げる。


 自分にとって、第二の父親とも言える男が。自分が知りうる、最強の戦士が。にっくき日本人にやられてしまう。

 そんな不安に駆り立てられた悲痛な叫びが、練兵場にこだまする。


 だが、その声を聞いたところで、剣一が攻撃の手を緩めることはない。これは彼にとって、国民全員を救うための戦いなのだから。


(取った……!)


 完全に高電圧ダガーが届く位置――左の脇腹部分に入り込み、剣一は思わず口元を吊り上げる。


 ここからまず右腕と右足の人工筋肉を断ち、攻撃力を奪う。そして、筋肉を斬られ反撃できない部位から狙って、少しずつ切り崩す。

 その作戦が実現できる、後一歩というところまでたどり着いたのだ。


 この一閃で、全てが終わる。


 その結末を信じて疑わない、無垢な刃が矢のように飛び――


 ――空を斬る。


「がっ……!?」


 狙いが逸れたわけではない。手を抜いたわけでもない。

 正真正銘、本気の斬撃だった。外れないわけがなかったのだ。


 それなのに。確実に勝てるはずだったのに。


 気が付けば剣一の仮面は宙に弾けとび、彼の白い身体はジェリバン将軍の傍らに倒れ伏していた。

 視界が一瞬にして暗転し、成す術もなく地に沈む「必要悪」。俯せになったその身体が、勇ましく起き上がることは――なかった。


「……」


 そして彼の頭上には、日の光を浴びて鈍い輝きを放つ、銅色の肘。

 決着の瞬間を見逃した者も、この光景を見れば、闘いがどのような結末を迎えたかは一目瞭然であろう。


 剣一の高電圧ダガーが右腕の電線を切ろうと、肘関節の隙間に向けて伸びた瞬間。紙一重で腕を上げ、彼の斬撃をいなし――勢い余った彼の延髄に、肘鉄を見舞ったのだ。

 旧式の鈍重なパワードスーツでありながら、最新鋭サイボーグの攻撃を当たる寸前まで引き付けて回避し、あまつさえ咄嗟にカウンターまでこなしてしまう戦闘センスと、スペック差を覆す圧倒的身体能力。

 将軍の三十年以上に渡る実戦経験の重みを、剣一の性能とスピードは――超えられなかったのだ。


「――興ざめだ。ガトリングすら使うことなく終わるとはな。この程度で瀧上凱樹を倒したなどと……笑わせる」


 剣一が倒れ、再び無音の空間に戻された練兵場に、ジェリバン将軍のくぐもった声が響き渡る。呟くような小声でさえも、地響きのように広がっていく程の威厳が、彼の全身に纏わり付いていた。


 その金色に煌めく右腕には、ドリルのように回転している小さな銃身が装備されていた。

 肘鉄をかわされた場合、至近距離で連射を仕掛けるつもりでいたのだろう。しかし出番が最後まで来なかったためか、今ではその回転数も減少しつつあった。


 そして銃身の回転が完全に停止し、ジェリバン将軍が構えを解いた瞬間。


「――この勝負。ジェリバン将軍の……勝ちと、する」


 しばし唖然としていた和雅は我に返り――目を伏せたまま、絞り出すような声色で、決着を告げた。


「やったぁあ〜! ワーリすげぇっ! やっぱすげぇよっ! ジャップ野郎め、ざまあみろっ!」


 この結末に歓喜する観衆は、ただ一人。

 ダウゥ姫は満面の笑みを浮かべて練兵場の舞台に上がり込むと、父のように慕い続けてきた男の胸元に飛び込んだ。


「姫様……ありがとうございます。これで我らは、国を出ていくことにはなりますまい。最期の瞬間まで、共にこの土地に暮らしましょうぞ」

「うんっ! うんっ! ずっと一緒だぞ! 死ぬまで一緒だっ!」


 愛娘を愛でるように、ジェリバン将軍は姫君の頭を撫でる。ダウゥ姫は、そんな彼の巨大な胸板の中で、甘えるように顔をこすりつけていた。


 ――だが、望んでいた結果を手にしたはずの、将軍の顔には。

 釈然としない色が、滲んでいた。本当に、これでよかったのか――と。


「さて。決着はついたな、カズマサ殿。我々が瀧上凱樹の件を公表する前に、貴殿の仲間達――NGOの勇士達と共に、この国を脱出されることを推奨したい。袂を分かつことになるとは言え、我が国をここまで育ててくれた恩人達だ。無益に危険な目に遭わせたくはない」


 しかし、ここまで来てしまった以上、もはや彼自身に引き返すという選択肢はない。せめてもの慈悲を掛けるように、ジェリバン将軍は練兵場の外に立つ和雅と向かい合う。


「くっ……」


 予期しない結末を目の当たりにした和雅は、すぐには反応を示さなかったが――この事態に対処するための、やむを得ない措置を見出だし、重々しく口を開いた。


「……待ってほしい」


 彼の胸中には、奥の手が眠っていた。この決着によるダスカリアン衰退を未然に防ぎ、国民を貧困から救う、最後の手段が。

 ――だが、それは決して許されてはならない。禁断の果実。だからこそ和雅は、剣一に何としても勝ってほしいと、願っていたのだ。


 その剣一は今も気を失っているらしく、起き上がる気配がない。もし彼に意識があったなら、和雅の喉に飛び付いてでも止めようとしていただろう。

 だが。それほどのことをしようとしている自覚があろうとも、彼としては言わなければならないのだ。


 ――告げなくては、ならないのだ。


 「瀧上凱樹を倒した人物スーパーヒーロー」が、一人ではないことを。


「私はまず、将軍殿に嘘をついていたことを謝らなければならない」

「嘘……だと?」


 苦肉の策として、和雅の口から出て来た言葉に、ジェリバン将軍は眉をひそめた。この期に及んで何を言うつもりなのかと、その眼差しが鋭く和雅を射抜く。


「『瀧上凱樹を倒した男』は、正確に言えば剣一君ではないのだ。むしろ、真に彼にとどめを刺したのは――この少年なのだよ。彼を倒さずして、日本人に貴殿を超える戦士はいない、とは言い切れまい」


 その眼光に怯むことなく、和雅は懐に手を伸ばし――ある一枚の写真を引き抜いた。


「ハンッ! 土足で国に上がり込んだかと思えば、今度は見苦しく言い訳かよッ! ジャップのくせに生意……気ッ……!?」


 一応は和雅の話を聞こうと静かになったジェリバン将軍とは違い、ダウゥ姫は聞く耳を持たずに食ってかかる。

 だが、その罵詈雑言が終わらないうちに、彼女の声は小さく萎んでいってしまった。同時に激しく驚愕するように、つぶらな瞳が大きく見開かれていく。


「なっ、なな、う、うそ……!?」

「……!?」


 ジェリバンも動揺の声こそ上げないが、先程まで何事にも動じずに据わっていた眼には、明らかな乱れが生じていた。

 それ程までの衝撃が、この写真には詰まっているのである。


(一煉寺君。君をこの戦いに巻き込んでしまう、私の無力さを恨め……!)


 そんな和雅の胸中を他所に、ダウゥ姫は震える唇から――この世に居ない人間の名を呟いた。


「テン、ニーン……!?」


 黒い髪に、吸い込まれるような同色の瞳。おおらかな笑顔に、左目に付けられた縦一直線の切り傷。僅かに素朴さを残した、精悍な顔立ち。


 肌の色さえ違えば。眼の傷さえなければ。完全に、彼女が愛した戦士と同一の姿になる。


「なんと……いうことだ」


 ――そして。ジェリバン将軍にとって掛け替えのない、大切な一人息子の姿にも。

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