第154話 十一年前の死

 二〇一九年。砂漠に包まれた、とある貧しい国の戦場。

 そこは、仏のような顔を持つ鋼鉄の巨人により、阿鼻叫喚の煉獄と化していた。


 灼熱の濁流が砂礫を飲み込み、人々を焼き尽くす。絶えず夜空へ轟いていた悲鳴は業火に覆われると、声の主の命と共に消えていった。

 さらに周囲には瓦礫が散乱し、生前の姿が判別できないほど黒焦げにされた焼死体が、あちこちに転がっている。


「ハ、ハァッ……ハァッ……!」


 そのただ中に立つ一人の青年は、その手に握られた小銃を杖代わりにして、一歩一歩踏み締めるように前進していた。


 生れついての褐色の肌に、艶やかな黒髪。素朴でありながら、どこと無く精悍さを漂わせる端正な顔立ち。そして、筋骨逞しい肉体を包む、深緑を基調にした迷彩服。端から見れば、立派な軍人そのものといった出で立ちだろう。

 しかし、そんな彼も今となっては満身創痍という状況であり、敗残兵の如くふらふらと戦場をさ迷っている。


 そして、瓦礫の雨と火災の濁流を免れ、奇跡的に生存していたこの青年の眼には、この惨劇の元凶が映し出されていた。


 彼の視界に居るのは――炎を吐き、町を破壊する鋼鉄の巨人。青年が生まれ育ったこの町を破壊し、全てを奪わんと暴走する、破壊の権化であった。


 その強大にして不条理な存在を前にして、青年は自分を止めようとしていた、ある二人の人物の姿を思い起こす。


『父さん、僕は現場に向かいます! どうか、どうか姫様だけは……!』

『うぇっ、ひっく……テ、テンニーン……』

『待て、テンニーン! 既に市民軍だけでなく、我が政府軍の半数以上が惨殺されておるのだぞ! 犬死にするつもりかッ! 無念だが……お前一人が命を懸けてあそこへ行っても、戦略的価値はもうないのだッ!』


 記憶の奥から蘇る、父とこの国の王女。


 妹のように想ってきた姫君は、自分の死に怯えて泣きじゃくり、この国を代表する将軍であった父は、沈痛な面持ちで叫んでいた。

 その気持ちは、青年にとっては何よりもありがたいものだった。それゆえに、応えられない自分が、歯痒かったのだ。


『……父さん。僕は今まで、父さんの息子として、部下として戦ってきた。ですが、今だけは……あなたとは縁のない、一人の戦士として、この国のために戦わなくてはならないんですッ!』


『テンニーン……死なないでぇっ!』

『ま、待つんだ! 待ってくれテンニーンッ!』


 そして二人の制止を振り切り、戦場へ赴く青年は――別れの間際、己の決断を真剣に言い放っていた。


『それに――助ける価値があるとかないとか。そんなことは、僕の知ったことではないんです。人の価値を決めるのは……僕達じゃないんだ』


 そこから今に至り、青年は死に瀕している。


 自分がこの戦いに乗り出す直前に別れることになってしまった、この国の姫君と――この世でただ一人の父。


 何よりも守るべきその二人を背に、青年はこの戦いにだけは何としても「勝つ」つもりでいた。

 戦いに向かう前に見た二人の顔を思い浮かべるだけで、力が湧き出ているように感じていたのだ。


 だが、現実はどこまでも冷徹で――非情なのである。


 青年が駆け付けた頃には、既に仲間達は全員消し炭と化し、その遺体さえ粉々に砕かれていた。さらに、自身が慣れ親しんだ町並みまでもが火に包まれ、無惨な廃墟に変貌しようとしている。

 幼い頃から、共に生きてきた国、町、人間。その全てが、一夜にして瓦解していく。青年はただ、その崩壊していく道のりを眺めることしか出来ずにいた。


「……なにが、一人の戦士として……だ! 何も、守れないじゃないか! 何、もッ……!」


 下唇を切れる程に噛み締め、銃身を握り、肩を震わせる。己への怒りは際限なく高まっている――が、それが何かを救える力に繋がることはなかった。

 どれほど怒ろうと、どれほど悲しもうと、死んだ人間は生き返らないし、国は元に戻らない。生きて戦おうとする人間が、不条理を覆す力を得られることもない。


 そんな当たり前で、容赦のない現実の波に、青年は成す術もなく打ちのめされている。だが、それでも彼は――戦うことを辞めなかった。


 まだ幼い姫君のためにも、生まれ育ったこの砂漠の国のためにも、戦うことを投げ出してはならない。その一心だけに突き動かされ、青年は憑かれたように戦場を進み続ける。

 そして――あの巨人と、視線が交わる瞬間。


「あっ――!」


 巨大な黒鉄の胸板の中から現れた、全てを焼き尽くす悪魔の兵器が火を放ち――


 ――青年の意識を。命を。魂を。信念を。


 簡単に、奪い去ってしまった。


 蚊を殺す感覚にも及ばない程に、あっさりと。


「……バカめ、のこのこと死にに来るとはな。――しかし、さすがの破壊力だ。あのラドロイバーとか言う陸軍の女、得体は知れんが技術だけは確かなようだな」


 すると、巨人の顔が扉を開くように二つに分かれ――そこから、生き血を全身に浴びた、鉄製の身体を持つ男が現れる。先程まで鬼神の如く暴走していた巨人は、彼が出現した瞬間、心臓を抜かれたように動かなくなってしまった。


 そう。巨人を操っていたこの男は、死んでいったこの国の戦士達が、幾多の命と魂を懸けて破壊しようとしていた顔面部分から……「何食わぬ顔」で出て来たのである。

 それも戦士達の死力を嘲笑うかのように、「自分から」。


 そんな彼は、自分が滅ぼしてきたもの全てを意に介さず、自身が得た「力」にのみ関心を向けていた。

 彼にとっては、何の感情もなかったのだろう。この国の人間の、生死など。


 ――数秒前に自分が殺した、勇敢な青年の覚悟など。


「この国の王族がどこかに居るはずだが……既に巻き添えで殺してしまったか? まぁいい。オレの正義を拒む国の長など、死、あるのみだ」


 男は消し炭と化した青年を一瞥すると、忌ま忌ましげに呟きながら巨人の顔の中に引き返していく。彼に立ち向かう人間が既に全滅している以上、その背が銃口に狙われることはなかった。

 そして、脳髄となる男が戻ったことで、動きを止めていた巨人は再び動き出し――破壊と殺戮を繰り返していくのだった。


 一方、彼の力で虫けらのように消された青年は――絶命する直前、祈りを捧げていた。


 いつの日か必ず、愛国心に溢れた父が報われるよう、この国に平和が訪れ……姫君が、幸せになることを。


 そして……この国のために戦い、散って行った勇士達の無念が、晴らされることを。


 ――晴らしてくれる誰かが、現れることを。

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