第136話 古我知の懸念

 脱出を目前にしていたはずの俺達を襲う、「新人類の巨鎧体」の爆発。


 そのエネルギーは海中での波動となって発現し、俺達を猛烈な勢いで吹き飛ばしてしまった。


 激しくうねる波に揉まれ、平衡感覚を失い、自分自身を見失いそうになる。そんな中でも四郷だけは離すまいと、俺は全力で彼女の頭を抱きしめた。


「――!?」


 やがて全身が何かに突き上げられるような感覚に襲われ、俺は思わず目を見開く。

 次の瞬間には、水が強烈に弾ける音と共に、視界が闇の世界から一瞬で見慣れた空間へと切り替わったのだった。


 四方八方瓦礫だらけで、僅かに残った照明と火災だけが明かりとなっているグランドホール。その景色を一望できる高さまで、俺達は舞い上がっていたのだ。鉄人が遺した、無数の破片と共に。

 そして、ひび割れたマスクの中に入り込んでいた海水が抜けていくのを感じた時、俺はようやく何が起きたのかを悟る。


 どうやら「新人類の巨鎧体」の爆発が生んだ勢いで、水上まで吹っ飛ばされてしまっていたらしい。

 ――死を覚悟させられたアクシデントに、命を拾われる。こんな滑稽な話があるだろうか。


 無事に足場の上に降り立ち、四郷の頭部に異常がないことを確認していた時。俺は、自分自身の情けなさに仮面の奥で苦笑していた。

 最後の最後で、あの鉄人に救われるとはな。世の中、何が起こるかわかったもんじゃない。


「りゅ、龍太ぁぁああっ! やったぁああああーっ!」

「龍太君、よく生きていたな!」


 俺達だけでなく、水しぶきと一緒に「新人類の巨鎧体」の破片もたくさん飛び出ていたはずだが――他の二人も、なんとか無事だったらしい。


 矢村のお馴染みタックルを喰らいながらもなんとか踏ん張り、俺は片手で四郷の首を胸元に抱き寄せながら、元気いっぱいで小柄な勇者の頭を撫でる。


「……ありがとうな。お前のおかげで、みんなが助かった。お前は俺のことをヒーローだとか言ってたけど、俺に言わせりゃお前はもっとすごいスーパーヒーローだよ」

「えぐっ、ひぅッ……! アタシ、ヒーローやないもん、ヒロインやもんッ! 龍太ぁ、龍太あぁ、よがった、よがっだよぉお! うあ、あああんッ!」

「そうだな。んじゃ、お前はスーパーヒロインだ。俺なんかよりもずっと頼れる、スーパーヒロインだったよ」


 俺の胸に顔面を押し当て、ひたすら泣きじゃくる彼女。この姿を見るのは、もう何度目になるだろうか。

 出来ることならば、彼女にもうこんな思いはさせたくない。何かある度に、この娘の涙を見るのは御免だ。


 だが、「力」と「責任」を与えられている俺にとっては、これは切り離すことのできない仕事だ。この力一つで拾える命があるのなら、俺は懸けてみたいとも思う。……その時に、彼女はそれを受け止めてくれるのだろうか。


「……んッ!」


 そう考えた時、脳裏に過ぎるのは――彼女と交わした、あの口づけ。唇に感じた、あの柔らかくも暖かい感触は、今でも濃厚に覚えている。

 ふとしたことでそれを思い出した瞬間、俺は自分の血流が重力に逆らい、顔の辺りに集まっていくような感覚に襲われた。……鼻先まで、真っ赤になっているに違いない。


 マスクがあることに若干安心しつつ、俺はゆっくりと矢村から手を離す。これ以上触れ続けていたら、顔が隠れていても動揺がバレてしまいそうだったからだ。現に今、俺の指先は瀧上さんの恐ろしさを感じていた時よりも、激しい痙攣を起こしている。


 すると、俺の手が離れた弾みで冷静さを取り戻したのか、矢村もボッと顔を赤くして俯いてしまった。――向こうも、キスのことを思い出してしまったらしい。


「龍太君。イチャイチャしているところ申し訳ないが……鮎子君を早く鮎美さんの元へ届けた方がいい。培養液がなくなりかけている」

「あッ――そうだ、四郷ッ!」


 そこへ横槍を入れてきた古我知さんのおかげで、俺はようやく我に帰る。今は矢村のことで悶々としてる場合じゃないッ!


 今の四郷は瀧上さんの支配から解放されたためか、特に苦しんでいるような様子は見られないが……口元や瞼から流れ出る赤い液体が、徐々に小さくなっていくのがわかる。

 これが――「培養液」?


「『新人類の身体』は本体の脳髄を保護するために、特殊な培養液を使って脳の働きを維持させている。……恐らく、彼に身体を砕かれた拍子に、培養液の循環機能が狂ってしまったのだろう」

「じゃあ、これがなくなったら四郷は……!」

「――ああ。だから早く脱出しよう。鮎美さんのことだ、既に螺旋階段の天井は開けてくれているはず。格納庫は『新人類の巨鎧体』を保管するためにグランドホールより強靭に造られているから、ここよりは長持ちするし安全なはずだ。天井が開いているなら落石もない」


 古我知さんの言う通り、ここは一刻も早く四郷を助けるため、今すぐ彼女を連れて脱出するべきだ。普通なら、ここに残る理由はもうない。


 ――そう。「普通」ならば。


「わかった。それじゃ古我知さん。四郷と矢村を連れて、先に行っててくれ。俺はまだ、確かめたいことがある」

「なんだって……?」

「え、ええぇッ!? りゅ、龍太ッ!?」


 十年以上に渡る呪縛から解き放たれ、それでもなお命の危機に晒されている機械少女。その首を差し出す俺に対し、古我知さんは訝しむような声を上げた。矢村も仰天したように目を丸くしている。


 彼らの反応はもっともだ。

 既に「新人類の巨鎧体」は倒され、四郷も保護されている。九分九厘、俺達がここにいる目的は果たされていると言い切っていい。

 ただでさえ、崩れかけているこの空間に残りたいと抜かすなど、正気の沙汰ではないだろう。俺自身もわかっているつもりだ。


 ――しかし、残らなくてはならない。

 この力で助けるべきか、そうでないか。

 俺を迷わせるその存在が、まだこのプールの下に潜んでいるのだから。


「……なるほど。そういうことか」


 一方、古我知さんはそんな俺の意図を読んだように頷くと、


「矢村ちゃん。鮎子君を連れて上に向かってくれ。僕にもやることができた」

「えっ? ……えぇええぇえぇッ!?」


 俺から受け取った四郷の首を、さらに矢村に託すのだった。機械仕掛けとは言え、いきなり人間と変わらない外見の女の子の生首を押し付けられ、彼女は目を回して軽いパニックに陥っている。


 どうやら、古我知さんも俺の意図には気づいているらしい。マスクの下に見える眼光が、刀のように鋭く細まっているのが見える。


「えっ……ちょ、龍太!? 古我知さん!? 二人とも何考えとんっ!? 早うここから出んと、ぺしゃんこになってまうんやでッ!?」


 矢村はいきなり居残ると言い出した俺達に驚愕し、まくし立てるように抗議の声を上げた。


 ――参ったな。俺の考えに気づいた以上、恐らくは古我知さんも簡単には帰ってくれそうにない。彼が戦う経緯を鑑みれば、俺が企んでいることなど決して許されないのだから。


 しかし、こちらとしても引くわけにはいかない。これは、救芽井の理想の根本に関わる問題なのだから。


「……よし、頼むぜ矢村。なんとか四郷を皆のところへ送ってやってくれ」

「ふ、ふぇえぇええぇ!?」


 本来任せるべきでないのは百も承知だが――これ以上悩むのに時間を掛けて、四郷をより危険に晒すよりマシだ。

 俺は若干混乱したままの彼女の肩をポン、と叩くと、身体を翻してプールと向き合う。


 そんな俺の様子を、古我知さんは寸分も見逃さず凝視している。事と次第では許せない、と言わんばかりに。


「ど、どどど、どういうことなんや龍太ッ! だいたい、確かめないかんことって何やッ!?」

「悪いが、詳しく説明してる時間はないんだ。早く四郷を所長さんのところまで送らなきゃ、彼女が危ない。わかるだろ?」

「や、やけど龍太ぁ! 早う帰らんと崩れてまうって言いよるやろッ! 早う、早う逃げんとッ……!」

「心配すんなって。俺も古我知さんも、ちょっとしたらすぐに戻る。……帰ったら、皆でメシでも食おうぜ」

「龍太……で、でもっ……」


 俺の無茶など、もう見慣れたということだろうか。矢村は弱々しい声で縋るように接して来るが、「新人類の巨鎧体」の時ほど強く追及してくることはなかった。


 ……一度言い出したら、テコでも動かない。そんな面倒な俺の側面を、少し前に見せられたばかりだから……か。

 だとしたら、やはり少しでも心配を掛けないようにするには、彼女を早く現場から遠ざける以外にはないのかも知れない。これから俺は、どこまでも「無茶」をする可能性があるのだから。


 ――これ以上、この娘の悲しむ顔は見ていられない。

 結局はそんな身勝手窮まりない、俺個人の都合でしかないが……かと言って、彼女をこの場に巻き込み続けるわけにも行かないだろう。


「古我知さんの言う通りなら、格納庫はまだ安全だ。落石がないなら、螺旋階段を登るだけで大丈夫だし」

「……ホ、ホントに、ホントのホントにすぐ帰ってきてくれる?」

「もちろん。だからちょっとだけ、我慢してくれるか?」


「……わかった。――龍太、お願いやから、ホントに早う帰ってな!? 絶対やで!? 絶対絶対ホントのホントのホントやでッ!」

「おうッ! 四郷のこと、頼んだぜ!」


 ――彼女なりに、懸命に受け入れようと頑張っているのだろうか。心配げに何度も確認を取る一方で、俺のわがままを否定することなく、こちらの都合に付き合ってくれている。


 ごめんな、矢村。何かと心配ばっかり掛けてよ。

 ……絶対に、生きて帰るから。向こうでちょっとだけ、待っててくれ。


 不安げに何度もこちらを振り返りながら、四郷の頭を胸に抱き、グランドホールから走り去っていく彼女。

 その背中に、俺はそう誓う。


 そして、彼女の姿がやがて見えなくなった時。


「さて――どういうつもりなのかな。龍太君」


 俺の考えていることを全て見透かした上で、古我知さんは低い声色でそう呟いた。

 刃物よりも鋭利な瞳で、俺の眼を貫きながら。

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