第130話 グランドホールの戦い

 空を裂き、隕石の如く真っ直ぐにこちらへ向かう赤褐色の鉄拳。


 巨大な鉄人である事実をまるで感じさせないその速さに、俺達は戦慄という感情を一瞬にして脳に焼き付けられた。

 あんな質量と速度を持った拳が一気に地面に突き刺されば、ここに流れ込む海水の量は今の比ではなくなる。ただでさえ、アリーナ全体が浸水によりプールのような状態になっているというのに。


「龍太君ッ! 龍太く――」


 ふと、必死に俺の名を呼んでいた救芽井の叫びが、唐突にピタリと止まってしまった。どうやら、俺と「必要悪」以外の全員を乗せるエレベーターが、ようやく扉を閉めて動き出すらしい。

 だが、既に「新人類の巨鎧体」の剛拳は目と鼻の先。……間に合うのかッ!?


「何をボサッとしている!? 死にたいのか龍太君ッ!」

「……ッ!」


 刹那、そんな俺の思考を遮るように「必要悪」の怒号がこだまする。


 ――そうだ。俺も避けなきゃ、殺されるッ!


 そして、遂に巨人の鉄拳が視界を埋め尽くさんと迫って来る瞬間。俺と「必要悪」は、散開するように左右それぞれの方向に飛び出した!


「くゥッ……!」

「おわあぁああッ!?」


 遂に地面に激突した、「新人類の巨鎧体」の一撃。その破壊力は、俺の予想のさらに上を行っていた。

 巨大な瓦礫を激しく撒き散らし、さっきまで救芽井達が居たエレベーターの扉を、衝撃波だけでやすやすと打ち砕いてしまったのだ。

 しかし、扉を壊され、ボロボロになった昇降機の奥には、辛うじて活動を維持しているエレベーターの機構が伺える。……どうやら、救芽井達の脱出はギリギリ間に合ったらしいな。


 ――だが、人の心配ばかりしている場合ではない。あの災害級隕石パンチによる衝撃波は、精一杯避けていたはずの俺達まで吹き飛ばしていたのだ。

 「必要悪」はなんとか空中で一回転して軽やかに着地していたが、俺にそんな優雅な身体能力はない。無様に地面を転がり、客席の椅子に背中からぶつかるまで止まらなかったのである。


「いっててて……! く、くそォッ……!」

「よし、初めてにしては上出来だったぞ鮎子。なに、慌てることはない。お前ならこんな連中は敵ではないはずだ」

「……オネ、ヂャ、ガ、ガア……! ダ……ズゲ、デッ……!」


 椅子を杖がわりに、ふらつきつつも立ち上がる俺に対して、瀧上さんの方は場違いな程に落ち着いた口調で、四郷に優しく囁き続けている。「新人類の巨鎧体」が着地した衝撃で、彼らの周囲はクレーターのようになっていた。


 ……何が、上出来だ。正義の味方ヅラしてるくせに、何で彼女の声が聞こえてないんだよ。


 今だって言ってるだろうに。助けて――って、さッ!


「――ぉおおぉおおおッ!」


 そんな自分の非力さ。瀧上さんへの怒り。やるせなさ。その全てを混ぜ合わせた激情を押さえ込める程、俺は大人ではなかった。

 血も内臓も吐き出すくらいの勢いで上げた雄叫びと共に、俺は一気に体重を前方へ傾け――床を蹴り付ける。


「龍太君ッ! 迂闊に正面に出るなッ!」


 ……「必要悪」の言うことは、正しい。恐らく健在であろう「火炎放射器」が待ち受けている、「新人類の巨鎧体」に頭から突っ込むなど、愚の骨頂どころじゃない。あのロボットの危うさを知っているなら、なおさらだろう。


 それでも、そんな理屈じゃ覆せない「約束」が、俺を突き動かしていたのだ。四郷を助けると、俺は約束したんだから。――このスーツをくれた、救芽井と。


「四郷をあそこから引っぺがしさえすればッ!」


 狙うは、コックピットに見える四郷の首。俺は「新人類の巨鎧体」の眼前で屈み込み、その反動を利用して一気に跳び上がる。


「鮎子、やれ」

「ア、アア、ニ……ニゲ、テ……!」


 相手も、真っ直ぐ向かって来る敵を無視する程バカじゃない。俺を捕まえようと、巨大な両手を広げて襲い掛かって来る。胸の長方形の装甲を開き、火炎放射器らしきモノを露出させながら。

 ――手で掴んで捕縛しておいて、ジューシーに焼き殺すって算段なんだろう。ビデオで嫌という程見せ付けられた手法だ。


 もちろん、そんな見え透いた手に引っ掛かるつもりはない。俺は左右から迫る掌のうちの片方を蹴り、その反動でもう片方の掌を飛び越え、腕の上に転がり込む。

 そのまま俺を捕まえようとして伸びきっていた腕を駆け上がり、コックピットへまっしぐら。巨大な両手は見事に空振り、全てを焼き尽くさんと放たれた火炎放射は、何も掴んでいない手だけに直撃していた。


 ……そして、回避していても背中に伝わる強烈な熱気は、火炎放射器の残酷なまでの威力と攻撃範囲を、如実に物語っているようだった。


「ムッ……!?」


 まさか腕に飛び乗って来るとは思わなかったのか、瀧上さんにしては珍しく、あたかも動揺するような仕種を見せている。

 ――この機を逃す手はない。四郷を掴んでる瀧上さんの手を速攻で蹴り、彼女を解放するッ……!


 その決心だけを頭に入れ、俺はコックピットに向けてラストスパートに入る。四郷の元にたどり着くまで、あと僅か――


「……飛べッ! 鮎子ォッ!」

「アガ、イ、ヤ、ァアアァアッ!」


 ――という時だった。


 腕の上を走っていた俺は、突然襲ってきた足場と空気の揺れに流され、平衡感覚を失ってしまったのだ。


「なっ……!?」


 思わず立ち止まり、膝をついてしまう。一体、何が起きた!?


「まさか……!」


 その答えは、腕から見下ろせる、瓦礫と海水だらけのグランドホールの光景が示していた。

 激しい浸水によりプール状態どころか、客席にまで海水が及んでいるアリーナ。瓦礫が引っ切り無しに降り注ぎ、もはや廃墟と化しつつある地下室の全体。

 これら全てを一望できている理由は……考えるまでもない。


「おわぁああッ!?」


 程なくして、俺は腕の上から振り落とされてしまい、空中に投げ出されてしまった。

 ……ただ飛ぶだけで、俺が落とされるわけがない。恐らく「新人類の巨鎧体」の飛行能力には、ある程度の軌道修正ができるシステムがあるのだろう。飛びながら左右に身体を振られたら、「救済の超機龍」だって堪ったもんじゃない。


 再び二本の火柱を噴き上げて、スペースシャトルの如く舞い上がる「新人類の巨鎧体」。その姿を見上げながら、俺の身体は頭から落下していく。


「龍太君ッ!」


 そんな俺を墜落死から救ってくれたのは「必要悪」だった。彼の叫びが聞こえた時、俺は既に彼に抱き抱えられていたらしい。

 彼は空中で俺を受け止めても全く体勢を崩さずに、ふわりと瓦礫の上に着地して見せた。


「危なかったね。あの迎撃を乗り越えた手並みは見事だったけど……ジェット機能を新たに備えていることを忘れちゃいけない」

「あ、あぁ……。助かったぜ、ありがとな」


 「必要悪」は俺の礼には反応せず、ただ真っ直ぐに「新人類の巨鎧体」を見上げている。礼を言うにはまだ早過ぎる、ってか。


 一方、「新人類の巨鎧体」は再び天井ギリギリまで飛び上がり、今度は胸板の火炎放射器を展開したまま、急降下の姿勢に突入しようとしている。


 あの速度と質量による突撃。さらには、広範囲に渡る火炎放射。この一撃で俺達を本気で始末するつもりであることは、「文字通り」火を見るより明らかだろう。


 さっきと同じタイミングでかわそうとすれば、広範囲を焼き尽くす火炎放射の餌食。逆に早過ぎても、軌道修正で追い掛けて来る可能性がある。それで追いつかれたら、今度こそぺしゃんこだ。


 ――ちょっとした博打だぜ、こりゃあ。


「ア、アア……イヤァ……ヤメデ……ヤメ、デェエ……!」

「堪えろ、鮎子。正義の味方とはこういうものだ。お前も憧れたんだろう? ヒーローになりたかったんだろう? この力が、欲しかったんだろう?」


 掠れた声で抗い続けている四郷。そんな彼女の首の断面を弄り、彼女をしきりに追い詰める瀧上さん。あそこに手が届かない自分の非力さに、ヘドが出る……!


 唇を切れそうな程に噛み締め、俺はそれを見ていることしかできない。そんな俺があの娘を救おうだなんて、おこがましい妄想でしかなかったのかよ……!?


 拳を震わせても、歯を食いしばっても、この自分自身への憤りが、収まることはなかった。

 この状況を覆すには、彼女を救うには、どうすればいいのか。その手段を見付けられずにいた時、俺の右手に振動が伝わる。


 これは……通信?


「こちら『救済の超機龍』……もしかして救芽井か?」

『龍太君ッ!? 良かった、無事だったのね!?』

「そっちこそ、な。エレベーターが中身まで破壊されなくて良かったぜ。もっとも、あの壊れっぷりじゃあもう使い物にはならないだろうけどな」


 右手に嵌められている「腕輪型着鎧装置」の通信機。そこから飛び出してきたのは、切羽詰まった様子の救芽井の声だった。


『そう、ね……。でも良かった! さっきの攻撃で、あなたに何かあったらどうしようって……! ああ、良かった、本当に……!』

『龍太様ッ! 鮎美さんがおっしゃるには、あの下衆な鉄屑を保管していた格納庫に、地上へ繋がる螺旋階段があるとか! なんとかそこから脱出してくださいましッ!』

『無論、鮎子君も一緒にだぞ一煉寺龍太ッ! 貴様にしか彼女を救うことは出来ぬということを、肝に命じておけッ! あの「必要悪」とか言う、素性の知れぬ者にばかり頼るでないぞッ!』


 心配げに声を震わせる彼女以外の声も、やかましい程に響いて来る。どうやら、エレベーターに逃げ込んだみんなはちゃんと脱出出来ているらしい。


 地上の階まで出れば、後は政府の介入を待つだけ。ここで俺が四郷を取り返し、所長さんの寝室にあった彼女の生身を回収出来れば、四郷を復活させられる見込みもあるかも知れない。


 ……いずれにせよ、あの「新人類の巨鎧体」をなんとかしなくちゃどうにもならないんだけどな。


『――って、救芽井さんッ! 龍太様のこと以外にも大事なことがあるでしょう!? あなた何のために戦の最中の殿方に通信しておりますのッ!?』

『あぁっ! そ、そうだった! き、聞いて龍太君ッ! 大変なのッ!』


 その時、久水の謎の指摘を受けた救芽井が血相を変え、まくし立てるような口調になった。何か他にも問題があるらしいが、正直それは後にしてほしいところだ。

 ――「新人類の巨鎧体」が、今にも突っ込んで来そうなんだからッ!


「悪いが、ちょっと後にしてくれ! こっちも割りとヤバい状況に――」


「矢村さんが、矢村さんが居ないのッ!」


 ……え?


 その発言に俺の身体は凍り付き、「新人類の巨鎧体」から思わず視線を外してしまった。


「龍太君ッ!?」


 辺り一体を飲み込む火炎と、全てを砕く鉄拳が迫っている事実に、気づかないまま。


「――あッ!?」


 「必要悪」の叫びで、俺の意識がこの絶望的な現実に引き戻された時には、全てが遅かった。しっかり「新人類の巨鎧体」を見据え、その動きを見切っていた彼とは、大きな差が生じていたのだ。


 回避のタイミングを完全に見誤り、「矢村がエレベーターに乗っていない」という話に気を取られていた俺には、「新人類の巨鎧体」の強襲に反応することなど不可能。


 慌ててその場を飛びのいた俺に待っていたのは、全てを破壊する鉄人による、火炎と瓦礫の猛襲だった。


 国さえ焼き尽くす業火に焼かれ、質量と速度を兼ね備えた瓦礫の突撃を、その身に何度も激しく浴びる。


 それ程の攻撃に晒されて、気を失わずにいられる程の防御能力は、「救済の超機龍」にはない。


 矢村の身を案じつつ、俺の意識は一瞬にして刈り取られたのだった。

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