第122話 「天敵」の残光

 救芽井達の前に降り立ち、涼風を浴びるような静かな佇まいで、アリーナを見渡す白銀の男。「来てくれたか」と言わんばかりの甲侍郎さん達の反応を見る限り、俺達に危害を加える側の人間ではなさそうだが……。


「その外骨格――あなたが龍太君の言っていた『必要悪』、なのね……?」

「……」


 救芽井の問い掛けにも答えず、彼は無言のまま所長さんと伊葉さんを静かに床へ降ろす。「必要悪」と言うにはあまりにもヒーロー染みた立ち回りだが――彼は何を以て自分を「必要悪」としているんだろうか……?


「う……ん……」

「おっ……お姉ちゃんっ! お姉ちゃぁあんっ!」


 程なくして所長さんも目を覚ましたのか、両手を付いてゆっくりと起き上がって来る。そんな姉に泣きそうな顔で飛び付いていく四郷の姿は、止められていた時が動き出した「十五歳の少女」そのものだった。


「うっ……き、君は……そうか、来てくれたのだな」


 所長さんに続くように意識を回復させた伊葉さんは、「必要悪」と静かに視線を交わす。仮面の上からでは表情など伺いようがないのだが――彼に対し強く頷いているところを見るに、悪い関係ではないことだけは確からしい。


 何故か、四郷姉妹の方は気まずそうに「必要悪」から視線を逸らしているようだが……?


 「必要悪」は所長さん達を無事に解放すると、再びこちら側――アリーナの方へと視線を移す。そこから感じられる、静かな気迫……胸の奥で目覚めの時を待ち、燻り続ける炎のような迫力は、仮面を被ったくらいでは到底隠しきれるものではない。

 思わず俺や味方であるはずの甲侍郎さん達も身構えてしまい、より敏感に殺気を感じ取っていた瀧上さんは、「必要悪」に向けて厳かな視線を突き刺している。光の鞭を何度もしならせているところを見れば、彼に対しても殺意を向けているのは一目瞭然だろう。


 一触即発、とはまさにこのこと。

 瀧上さんの鞭から所長さんと伊葉さんを助け出したことから、「必要悪」の実力も相当のものだということは想像に難くない。だが、彼の手の内がまるで見えていない以上、その力が今の瀧上さんを凌いでいるという保証もない。


「お兄様、無事でして!? ――それにしてもあの男……かなり出来ますわね。雰囲気でわかります」

「クッ……う、うむ。しかし、奴は一体……?」


 さしもの久水兄妹も突然のイレギュラーには動揺しており、瀧上さんと「必要悪」を交互に見遣り、静かに状況を伺っている。


 そして、瀧上さんと「必要悪」の眼差しが交錯し、僅か数秒の時が流れ――


「――ヌゥアァッ!」


 ――瀧上さんの光る鞭が閃き、静寂という名の世界を紙切れのように引き裂いた!

 「必要悪」目掛けて放たれる鞭が、アリーナから客席の高さへと駆け登っていく!


「フゥッ――!」


 それとほぼ同等のタイミングで、「必要悪」の白いマントが翻され――その中から一振りの短剣が現れる。青白い電光を発しているその刀身は、自らが普通のナイフではないことを克明に主張しているかのようだった。


 彼は刃渡り三十センチ程度のサバイバルナイフを思わせる、その短剣を逆手に構えると……鞭の一撃を受け流すかのような一閃を放ち――瀧上さんの鞭を凌いで見せる。


 「のれんに腕押し」。この太刀合わせを表現するのに、これほど相応しくシンプルな言葉はないだろう。


「……ッ!? チィイッ!」


 あまりの手応えのなさ。あまりの効果のなさ。その現実を振り払わんと、瀧上さんはさらに強烈に鞭を振るう。さっきのような単発ではない。時折、僅かな時間差を挟みながらも、ほぼ連続で攻撃を仕掛けていた。


「――フンッ! ハァッ!」


 だが、そのいずれも「必要悪」の白い鎧を傷つけるまでには至らず、空だけを斬り続けていた。頭上から足元まで、自分の身体のありとあらゆる場所を狙って飛んで来る鞭を、彼は全て的確に迎撃しているのである。

 G型の精鋭六名でもまるで太刀打ちできなかったレーザーウィップとやらに、完全に対応している「必要悪」。その戦闘能力は――俺達のそれを遥かに凌ぐものだったのだ。


 「必要悪」の全身という全身を狙った熾烈な攻撃は、やがて火が燃え尽きるかのように勢いを失い、ついには完全に止んでしまう。

 再び訪れた静寂を次に打ち破ったのは――


「……貴様の攻撃は強い。だが、その程度では永遠に僕は殺せない」


 ――白銀の騎士が無機質に言い放つ、その一言だった。その声色は、俺が思う人物とは違っているが――やはり口調だけは、完全に「合致」している。

 なぜ十年前の瀧上さんと同じ声なのかは知らないが――繋がりが全くない、とは言えまい。


「高電圧ダガーだと……! ここで研究されていたはずの武装を、なぜ貴様が……?」


 一方、瀧上さんは「必要悪」の持つ武装について何か知っているらしく、彼に向けて訝しげな視線を送っていた。そして、その眼差しはやがて――所長さんに移される。


「――そうか、そういうことか。どこか見覚えのある太刀筋かと思えば……」

「……凱樹。もう、いいでしょう? たくさんでしょう? お願いだから、もう――」

「お前もオレを見放すというのであれば、それも構わん。オレはオレの『正義』を通すまでだ」


 あれだけの目に遭わされてもなお、所長さんはあの鉄人に対して、懸命に説得の言葉を繰り返していた。その姿の痛ましさに、夕べの救芽井の涙が重なって見える。

 だが、それだけの悲痛な願いも、瀧上さんの前では裏切りの宣言でしかないらしい。彼は興味を失ったように所長さんを視界から外し、踵を返してしまった。


 逃げるような速さではない……何かするつもりなのか?

 迂闊に後ろから飛び掛かれば鞭が飛んで来るということは想像に難くない上、「必要悪」を除くほぼ全員がそれに対応できないと考えられる以上、誰も手出しが出来ないまま、彼の挙動を見守る形になっている。

 やがて彼は、アリーナの壁――というよりは、閉ざされていた大きな扉の傍らに立ち止まった。


「――ッ!? まさか『新人類の将兵ノーヴィスラーヴェン』を……いけないッ! 凱樹、もうこれ以上罪を重ねては――」


「……貴様らの死因は、このオレの『勲章』を破壊したことで、オレ自身の全機能を解放してしまったことだ」


 そこで彼が何をするか気づいたらしく、所長さんが声を荒げる。しかし、瀧上さんはそれを遮ると、扉の傍らにある壁の一部を、紙を破るように引き裂いた。


「恨むなら――そこの小僧を恨むがいい。地獄で、な」


 そして……そこに隠されていた何かのコンピュータに、静かに手を翳す。

 すると、彼の掌の中から幾つものコードが触手のように飛び出し、コンピュータの接続部全てと合体してしまう。


 一体彼が何をするつもりなのか。何を仕掛けるつもりでいるのか。

 その疑問は、彼がコンピュータと自分のコードを繋いだ瞬間、傍らの巨大な扉が開かれるのと同時に、全て氷解してしまった。


 鉄で造られた、高さ数メートルに渡る扉。俺達が固唾を飲んで身構える中で、それは重々しい音と共に解放されていく。

 まるで、数十年に渡って封印されていた呪いを、解き放つかのように。


 そして、開かれた扉の先に待っていたのは――闇。全てを飲み込まんとする、暗闇そのもの。

 猛獣の群れの如く、その奥で閃く幾多の赤い光点が、えもいわれぬ悍ましさを放っていた。


「あっ、あれ……何っ……!?」


 その恐怖に煽られてか、救芽井が怯えるような声を漏らした瞬間、赤い光点は電源を入れられたロボットのように動き出す。


 奥から何度も響いてくる、無骨な機械音。

 そのタイミングはまるで――足音のようだった。


 赤い光点。

 その正体はほどなくして扉の奥から現れ――俺達に戦慄を与える。


「『新人類の将兵』……。凱樹が専用コンピュータに自己のプログラムを接続することで、直接的にコントロールされた――『人工知能私兵部隊』よ」


 両手を床に付け、諦めたように所長さんが呟く。だが、その言葉を聞いても、誰ひとりとして彼女の方に視線は向けなかった。


 釘付けにされていたからだ。

 扉から現れ、眼前でうごめく――二十体近くものロボットの軍勢に。


 今の瀧上さんを彷彿させる、無彩色の鋼鉄のボディ。鎧の節々から飛び出している、刃のような突起の数々。鉄兜の隙間を引っ切り無しに動き続ける、「眼」と思しき赤い光点。

 そして、人の形をしていながら、人間とは掛け離れた機械的な挙動の数々。


 初めて見る姿のロボット。だが、その動きには、見覚えがあった。

 無意識のうちに記憶の糸を手繰り寄せ、その正体を見つけた瞬間……俺は、金縛りに遭ったように動けなくなってしまう。


 ――そうだ……この動き。この不気味なくらいに機械っぽい、ロボット達の動き。

 俺は、これを知っている……!


「『解放の先導者リベレイダー』……!?」


 俺が消え入りそうな声で、ふと口をついて出してしまった名前。

 それは、「あの人」が使役していた機械人形にして、その特性で俺の拳法を完膚なきまでに封じていた――「天敵」の名なのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る