第112話 十年間の闇

 あれから約十分。


 彼女達の容赦なき追及に耐え凌ぎ、「コイツだから仕方ない」といわんばかりの、なんだかよくわからない呆れ方をされる、という形でようやく解放されたかと思ったところへ。


「龍太様、本当にご存知ありませんの?」


 ――と、見たこともないサインを強引に見せ付けられた挙げ句、常識を疑うような顔をされる展開など、誰が予想できただろう。


「いや、だから本当に知らないんだってば」


 全員に配給されているカロリーメイツをかじりつつ、俺は苦い顔をしてそう答えるしかなかった。チョコ味は甘いけど。


 ――まるで魔法陣でも描こうとするかのように、左右非対称に腕を振ったり、違う方向を指差すような形の合図をしたり。野球のサインに通じるような手の動きも伺えるが、こんな見てる方が疲れるサインなんて、そうそうお目にかかれないだろう。つーか、プロでも草野球でも使われてるわけがない。

 だが、それを披露している当の久水は、それを当たり前のように俺の前に示し、「おさらい」と称して一つ一つの意味を説明しろという無茶振りをかましているのである。見たことのないサインの意味をどう「おさらい」しろと。


 その一方で、知りもしないサインの意味を答えろと言われて戸惑う俺に対し、彼女は「え? 知らないの?」といいたげに首を傾げている。少なくとも、彼女にとって、この謎サインは知っていて然るべき情報だったらしい。

 ……でも、知らないものは知らないんだからしょうがない。着鎧甲冑の基礎知識に入っているとすれば、確かに知ってなくちゃ問題だっただろう。けど、救芽井から貰った教本に、そんな目まぐるしいサインのことなんかこれっぽっちも書かれてはいなかった。


「そんな……おかしいざます。このG型用ディフェンドゥーズサインの知識は、一人前のG型資格者には最低限必須であると、お兄様から伺っておりましたのに」

「う、うえぇ? そんな単語、初めて聞いたんですけど……」

「貴様が正式な資格者ではないから……かも知れんな。そもそも、各団体の代表を『一人』に絞ってきた時点で、第三課目のような『戦う』試験があったとしても、ほぼ必ず『サシで』戦うことになると予想はされていたはず。ディフェンドゥーズサインは対テロ等の集団戦を想定して作られた、八十種類以上に渡るパターンのハンドサインと、着鎧甲冑のバイザーに搭載された映像投射機能を組み合わせた指揮システムだ」

「そ、そうなの?」

「ワガハイでさえ、全種のうちの半数程度しか習得してはいないし――彼女のことだ、貴様の貧困な頭脳を案じて、サイン自体を学習範囲から外したのだろう」

「ふぐ……」


 同席していた茂さんから、チクリと痛いところを突かれてしまう。あれか? 俺がバカだから教えてくれなかったってことなのか? 一応必要な知識だったのに?

 教えてくれなかった救芽井も救芽井だが……「対テロ」だなんて、そんな物騒なシステムまで作っちゃってよかったんすか、甲侍郎さん。


 その救芽井は少し離れた席で、カロリーメイト(チーズ味)をくわえながら、「救済の超機龍」の最終調整をノートパソコンで進めている。人工筋肉の動作シミュレートやら、バッテリー確認やら、いろいろお忙しい状況らしい。

 その隣で、救芽井の指示に応じて「腕輪型着鎧装置」に取り付けられている、いろんなコードの付け外しを行ったり、腕輪の部品を磨いたりしている矢村が言うには、「ちょっとはしたないけど、龍太君のためだから仕方ない」、ということなんだとか。別に俺の視線なんてそこまで意識するこたぁないのに。――まぁ、あんまり無頓着だとそれはそれで傷付くけど。


 できれば、俺が予想しうる「最悪の事態」に対処できるようになるためにも、ディフェンドゥーズサインとやらについては聞いておきたかったところなんだが――まぁ、あんな多忙な姿を見せられちゃあ仕方ない。

 おとなしく、彼女の仕事の終わりを待つことにする……。


 そして、第三課目開始の三十分前というところまできて、ようやく最終調整が終わったようなのだが。


「なんですって!? 久水さんがっ!?」


 ――例のサインについて話した途端、救芽井の様子が急変し、サドンデスに向けての激励を受けられる空気ではなくなっていたのだ。

 ありのままに事情を話したはずなのだが、何がそんなに意外だったのだろう。てっきり、軽く答えてくれる程度かと思っていたのに。

 ――そんなに驚くほど、俺にサインの存在を知られるのがマズかったのか?


 ……だが、彼女が顔色を変えたのは俺が原因ではなかったらしい。救芽井は信じがたいという表情で久水を一瞥すると、ツカツカとその隣の茂さんに歩み寄り――


「資格者によるディフェンドゥーズサインの他者への伝授は、原則として禁止されているはずよ! 対テロ用システムとして作られたこのサインの情報が漏洩して、テロリストに内容を把握されるような事態を避けるためにっ! あなたも資格者なら知っているはずでしょうっ!?」


 ――いつになく険しい表情で睨み上げ、彼に詰め寄っていた。

 詳しいことはよくわからないが、どうやらディフェンドゥーズサインってのは、G型資格者が持つローカルルールみたいなものらしい。確かにそれが周りにバレたりして、もし裏をかかれたりなんかしたら、戦術としては使い物にならなくなるだろうなぁ。


「いや、梢にサインを教えたのはワガハイではない」

「なんですって!?」


 資格者の親類ではあるけど、立場上は部外者でしかない久水が、ディフェンドゥーズサインのことを詳しいところまで知っている。となれば、茂さんが疑われるのはある種当然だったのかも知れない。俺は資格者でこそないが、「救芽井エレクトロニクスの公認」で着鎧甲冑を所有してるからセーフなのだろうか。


 ……だが、救芽井に迫られた茂さんは「違う」と言っている。普段なら、救芽井に声を掛けられただけでも変態化して舞い上がっていたであろう局面で、こうまでシリアスに返しているあたり、恐らく嘘はついていないのだろう。――我ながら判断基準がえげつないな。


「ワタクシが同サインを教わったのは、お兄様ではなくってよ。あなたのお父上――救芽井甲侍郎さんでしたわ」

「ええっ!? お、お父様がっ!?」


 そこへ横槍を入れるように口を挟む久水。その一言に、救芽井はさらに驚きの声を上げた。

 恐らく、ディフェンドゥーズサインの「他人に教えちゃダメ」というルールも、甲侍郎さんが作ったものなのだろう。その甲侍郎さん自身が直々に久水にサインを教えた……ということなのだろうか。

 なんともあからさまな矛盾が生じているようにも見える――が、僅かに思い当たる節があった。


「あのさ、久水。お前がそのディフェンドゥーズサインってのを教えてもらったのは、いつ頃の話なんだ?」

「え? ……そうざますね、今年の浅春の頃でしょうか。お兄様が資格取得のためにアメリカへ渡った際、その旅路に秘書として同行していた時に、救芽井エレクトロニクス本社にて甲侍郎さんが伝授して下さりましたのよ。確か――「十年間の闇」にようやく決着が付けられる――とか、嬉しそうに語っていらっしゃいましたわ」


 ……「十年間の闇」、それにディフェンドゥーズサインか……。なんつーか、刻一刻と所長さんの危惧する事態に転がって行ってる気がしてならない。このまま、第三課目がプログラム通りに進行されることも期待しない方がいいのかもな。


「立春を過ぎた頃って……たった四ヶ月程度じゃない! ディフェンドゥーズサイン全種を習得するには丸一年掛かるはずだし、私だって半年以上は――」

「あら、そんなに掛かるものでしたの? ワタクシは二日で全て覚えましたのに」


 あっけらかんと言い放つ久水。バタリと卒倒する救芽井。この間、僅か三秒。


「ちょ、救芽井っ!? ……もー久水、あんまりいじめたらあかんやろっ! この娘、胸とオツムしか取り柄がないんやから!」


 目を回して唸っている救芽井を、横並びになっている席に寝かせ、頭を優しく撫でている矢村。やってることは「面倒見のいいお姉ちゃん」かも知れないが、言ってることは完全に「いじめっ子」じゃないか。


「もっとたくさん取り柄はあるわよっ! 龍太君の前でなんてこと言うのっ! だいたい、十年間の闇ってなんなのよ!?」


 あんまりな矢村のイジり方に堪えかねたのか、救芽井は涙目になって飛び起き、今にも泣き出しそうな顔で、八つ当たりをするように久水に食ってかかる。


「知りませんわ、そんなこと。ワタクシとしてはむしろ、あなたの方が詳しく存じていると思っておりましたのに」


 甲侍郎さんにどういう意図があったのかは知らないが、救芽井には全く例の事情を教えていないことは確かなようだ。


 十年間の闇。そんな単語を聞いて、あの荒野の景色と血の色を思い起こせるのは、この場には俺しかいないのだろう。

 後は――


「……」


 ――遠い向こう側の客席で、何も言葉を交わさないまま、カロリーメイツをかじっているだけの「当事者達」くらいだろうな。

 ノートパソコンで何かの操作をしている所長さん。その右隣で、目を閉じて腕を組み、背筋を伸ばして静かにサドンデス開始を待っている伊葉さん。左隣りに座り、仲間に入りたそうにこちらを見ている四郷。


 そして……三人より上の席に踏ん反り返り、伊葉さんに憎々しげな視線を送る瀧上さん。


 彼は――これから始まる第三課目を、どう見るのだろう。


 そんな先行きが不安になるような考えが、ふと頭を過ぎった時――


『侵入者発見! 侵入者発見! セキュリティシステム起動! セキュリティシステム起動!』


「……うおッ!?」

「――な、何!? 警報っ!?」

「え、ええぇえ!? し、侵入者って、なんなんっ!?」

「侵入者……ですの……!? この研究所に!?」

「まさか! こんな山奥の研究所に侵入者だと……?」


 ――突然グランドホール全体に轟いた、大音量の警報。その轟音に、この空間にいる全員が目を見張る! ……つーか、警報の音量デカ過ぎんだろッ! 心臓飛び出るかと思ったわッ!


 いや、しかも驚いてるのは全員じゃない! 向こうは瀧上さんと四郷が僅かに反応して辺りを見渡しているくらいで、所長さんと伊葉さんは何事もないかのように涼しい顔をしている。


 ――まるで、最初から「わかっていた」かのように!

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