第18話 俺がボコられるのは兄貴の仕業

「おっ……! 兄貴からだ」


 まさかの救世主! さすがにケータイに鳴り出されると矢村も手を出しづらいようで、しぶしぶ振り上げていた拳を下ろした。

 あ、あぶねぇー。もうちょっとで強烈な鉄拳が、俺の脳髄にスパーキングするところだった。

 俺がシバかれる流れを断ち切ってくれたことには、兄貴には感謝せざるを得まい。もう足を向けて寝られないな。


 さて、せっかく助け舟を出してくれたんだから、早く出てやらないとな。俺はピピピとうるさく鳴るケータイを開き、通話のボタンを押――


「ちょっと待ちなさい!」


 ――すってところで、救芽井がいきなり叫び出した!?


「おわぁい!?」


 思わずすっころび、後頭部を床にスパーキィング! お、俺のなけなしの脳細胞がァァァァッ!


「ってて……なんだってんだよ!?」

「変態君のお兄さんと言えば――夕べ、剣一さんと一緒にいたそうね」

「あ、ああ。別に何かされたわけじゃなさそうだったけど」


 救芽井は顎に手を当て、しばらく考え込むようなそぶりを見せる。


「そうね……だけど、あなたのお兄さんから彼の思惑に近づける可能性もあるわ。剣一さんのことについて、それとなく聞き出してくれないかしら?」


 ――また難しい注文をしてくれるなぁ。まぁ確かに、古我知さんと兄貴の間にどんなやり取りがあったかは気になるところだし……。


「それから、私にも話がわかるように、スピーカーホンにしておいて。私がここにいるっていうことも、向こうには伝わらないようにね」

「へいへい」


 どうやら、救芽井はこれを機に古我知さんの情報を本格的に仕入れるつもりらしい。目の色が完全に「救済の先駆者」としてのお仕事モードに入ってる。

 救芽井は矢村に目配せして、兄貴に存在を悟られないよう、静かにするよう促している。その気迫に圧倒されてか、矢村はやや怯んだ表情でコクコクと頷いていた。


 さて、それじゃ言われた通りにスピーカーホンに設定して……と。んじゃ、電話に出るとするか。


「ほい、もしもし?」

『おう、龍太かぁ!? 聞いてくれよぉ、今日の説明会でハキハキ質問してアピール大作戦が成功しちゃってさぁ! 企業の人とお知り合いになっちゃったんだぴょーん! こりゃあ就活も一歩リード確実って感じィ!? 今日は春が来ない兄弟同士、パーッと騒いじゃおぉぜぇ!』


 ……う、うぜぇ。つか、「春が来ない」は余計だコラ。兄貴は自分も「春が来ない」とか言ってるが、それは幻想だ。正しくは、本人がそれほどまでに恵まれてることに気づいてないだけだ。

 どうやら就活が好調だという旨の報告らしいけど、こんなアホなテンションの兄貴はなかなか見られないな。よほど今までの就活が散々だったと見える……。


「ぷっ、くくっ……!」

『んぉ? 誰かいるのか?』


 ま、まずい! 矢村が兄貴のテンションに噴き出してる! 救芽井が慌てて口を塞いでるけど、もう向こうに漏れちまったみたいだ!

 そんな中、救芽井は「なんとかごまかして!」といいたげな視線を送って来る。ごまかせったって……ああもぅ、この際なんでもいいっ!


「い、いやぁー、ついオナラがプッとね」


 ……我ながら最低のごまかし方キター! とっさのこととは言え、女の子の声をオナラ呼ばわりって!

 なんか矢村がシュンとしてるし、救芽井はジト目で睨んで来るし……や、やってもたー!


『おいおい、イモの食い過ぎかぁ? 頼むから俺が帰る前に、家ん中をメタンガス収容所にしないでくれよ』

「頑張ってもできるわけねーだろ! ……そーいえば、昨日古我知さんって人が来てたよなぁ〜」


 これ以上余計なアドリブを強いられる前に、話を進めなくては! 俺は古我知さんの話をさせるべく、彼の話題を振ることに。


『あぁ、実はあの人も就活してる最中らしくってなぁ。昨日はいろいろとコツを教えてもらってたんだ! いやぁ、おかげで今日は快勝だったぜ!』

「そ、そーなんだ……」

『なんでもあの人、最近はこの辺に短期滞在してるらしいぜ。確か、商店街のはずれにある廃工場の辺りに住んでるんだってよ』

「……廃工場? あんなヘンピなところにか?」


 兄貴の言う通り、商店街のはずれには錆び付いて使われなくなった工場がある。ちなみに実際に行ったことはないんだけど、そこから先には採石場があるらしい。


『あぁ。なんでも、人通りが少なくて静かな場所が好きなんだってよ。変わった人だったな〜』

「た、確かに変わってるなー、はははー……」


 ――まさか、いきなりこんな話が聞けるとはな。廃工場に住んでる悪の親玉……か。月並みだなぁ。


 兄貴と話を合わせつつ、チラリと救芽井の様子を伺う。有力な情報を得たと言わんばかりに、食い入るような表情でこっちをガン見していた。こ、こえぇ……。


『ところで、今は一人で勉強中だったか? 悪いなぁ、邪魔しちまってさ』

「い、いや、別にいいさ。気分転換にもなったし」

『そうか? ――へへ、そりゃあよかった。なにせ親父もオカンも遠出しちまってるしなぁ。俺が保護者ヅラできるよう、しっかりしなきゃならんからな』

「……心配いらねーよ。兄貴はちゃんと、俺の面倒見れてるから」


 全く、この兄貴にはいろいろと悩まされる。こういう無駄に弟思いなところが、コイツのリア充たる所以なんだろーなぁ。俺には真似できそうにないわぁ……。

 ――む、なんか矢村が救芽井に口塞がれたままウルウルしてる。変なやり取りをしたつもりはなかったんだけどな……。


『そうかー! いやぁ、よかったよかった! お前が小学校の時に好きな女の子に振られた時、慰めにとその娘の萌えイラストを描いてやっても、あんまり喜んでもらえなかったこととかあったし、その辺が心配だったんだよぉー』

「ブフッ!」


 噴いた。今度は救芽井が。

 そして、全俺が泣いた。こんなもん、プライバシーの侵害に他ならねェェェッ!


「ちょっ……やめろよこんな時にそんな話ッ!」

『んあ? 別にいーじゃん。お前一人しかいないんならさ』

「ぐ……!」


 た、確かにそうだ。今の俺は一人で勉強しているという「設定」がある。今は堪えるしか……!


『しかしさっきのオナラはでけぇな。お前朝メシに何個イモ食ったんだよ? 今なら台所で火ぃ付けた途端に引火して、一煉寺家が消し炭になりそうだな』

「なるわけねーだろ! 俺の調理実習じゃねーんだから!」

「ぷ、ぷははははッ! も、もう限界ッ……!」


 ――って、とうとう矢村が大笑いィ!?

 どうやら救芽井が噴き出したはずみで、口塞ぎから解放された彼女のリミッターが外れてしまったらしい。当初の制約をガン無視して、大声で笑い出してしまった。

 俺は去年、調理実習でボヤ騒ぎを起こしてしまって矢村からバカ笑いされたことがあるんだが……多分、それを思い出してのことだろう。

 ま、まずいぞ……さすがに今の笑い声はごまかしようがッ!


『――お、おい、龍太!?』

「あ、い、いや、これはだな……」

『お前……いつからケツで喋れるようになったんだ!?』


 ――はい?


「あ、兄貴? ご乱心めされたか?」

『だってそうだろう! 家にはお前一人しかおらず、プププとオナラが続く中で笑い声が出て来た! これをケツが喋り出したと考えずに何を考えろって言うんだッ!』


 ――他に誰かいるって考えろやァッ! なんだケツが喋り出すって! どんだけ弟の言うこと信じ切ってんだよ!


「……いい加減にしなさいよね変態君。女の子の美声をオナラだのケツの声だの……!」


 って、とうとう救芽井までもが普通に喋り出したァー!? あんたが「黙ってろ」なんて言うからこんなことになったんだろーがぃッ!?


『おい、なんかケツ声がキレてるぞ! お前一体どんな災いをもたらしたんだ!』


 ケツ声ってなんだケツ声って! つーか災いをもたらしてんのは天地神明に誓ってテメーだろうがッ!


「……いい加減にしなさいって……言ってるでしょおォォォがァァァァァッ!」


 ――つ、ついに救芽井の堪忍袋がプッチンプリンッ! プロレスの反則技の如く、椅子を持ち上げて襲い掛かってきたッ!


「さ、三十六計逃げるにしかずッ!」


 もちろん、黙って殴られる俺ではない。無双状態の救芽井から逃れるように居間を脱出し、自室へとエスケープ!

 バキャアと椅子が砕ける音を背に、俺は緊急回避に成功した!


『う、うわぁ! なんだ今の音!? ケツ神様の祟りじゃあ〜ッ!』

「だからなんだその卑猥な神様ッ! ――はッ!」


「――逃げられるとでも、思ってるのかしら」


 し、しまった……!

 兄貴へのツッコミに気を取られる余り、救芽井の接近を許し――!


「乙女の敵は、万死に値するわ――覚悟なさい」


 ……これってさぁ、結局俺が悪かったの? え? どうせ死ぬから意味ない?


 ですよねー。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る