第2話 スーパーヒロイン「ヒルフェマン」
「
湯煙に包まれた空間の中で、老人の叫び声が響き渡る。
しかし、そこに声の主はいない。要するに、何らかの通信機越しに発せられた声なのだ。
その発信源を取り付けたブレスレットを右腕に嵌めた、一人の美少女。ショートボブの茶髪と、薄く透き通るような色を湛える碧眼は、彼女の美貌をより一層引き出していた。
彼女は老人の声を聞き取ると、凜とした瞳を鋭く細め、浸かっていた湯舟から身を乗り出す。一糸纏わぬその姿は、さながら人間に生まれ変わったばかりの天女のようだ。なめらかな曲線を描くその身体は、ある種の神秘ささえ感じさせる。
すらりと伸びた細い脚、くびれた腰。それに相反し、ふくよかに揺れる双丘。異性を惹きつけるには、あまりにも過剰なフェロモンさえ放たれているのだ。
だが、その目付きにだけは「天女」と呼べるような優雅な印象はない。あるのは、「いざ死地に赴かん」といわんばかりの決意の色だ。
「わかったわ、おじいちゃん……
例の老人と機械を通じて言葉を交わすと、彼女は呪文を唱えるかのようにブレスレットに叫び、それを装着した右腕を勢いよく突き上げる。さながら、世に言う「変身ポーズ」のように。
刹那、彼女のみずみずしい肢体は機械の腕輪から飛び出す光に絡み付かれてしまう。その輝きは少女の全身を覆うように広がって行き、やがて光はある形状に固形化していった。
彼女の美しい身体のラインを完璧なまでに維持した、緑と基調としたボディスーツ……そして、黒いグローブとブーツ。さらに、きめ細かく整った目鼻立ちが特徴の麗しい顔を包み込む、シールド付きのジェットタイプヘルメットを思わせる形状のマスク。その口元を覆う部分には、唇をあしらったデザインが施されている。さらに蒼いバイザーからは、彼女の視界が広がっている。
まるで昔の特撮ヒーローのような、シンプルなそのスーツを一瞬にして身につけた彼女は風呂場の窓を開けると、一切の迷いを感じさせない動きでそこから飛び出していった。
◇
夜の町を暗黒にさせまいと光る、月光や電灯の輝き。それらの他にもう一つ、今宵の景色を明るくさせる光があった。
商店街の一角にある、小さな中華料理店。そこで発生した火事の勢いが、この日の夜を騒然たる状態に叩き込んでいたのだ。
「あそこね……! おじいちゃん、被害に遭った人は!?」
『今のところは怪我人の類はいないみたいじゃの。――じゃが、火事が起きた店の上の階に逃げ遅れた子供がおるぞ!』
「わかったわ!」
スーツを纏ってからもしっかり装着されているブレスレットを通して、老人が状況を説明する。彼の指示に従って動いている少女は、人間とは思えないような速度でアスファルトを駆け抜けていく。
既に現場では消防隊が駆け付けていたが、火の勢いが思いの外激しく、老人の言っていた「逃げ遅れた子供」がいる階まで辿り着けない事態に陥っていた。梯子車で十分届く距離ではあるのだが、なにぶん煙や炎が強烈で、突入はおろか、近寄ることさえ難しい。放水は既に開始しているのだが、火災が止まる気配は見られなかった。
そこへ颯爽と駆け付けたのが、例の少女――が扮する、謎のヒロインだ。
彼女は自分の登場に驚く人々を尻目に、猛烈な火災に包まれた中華料理店に真っ向から突撃した。
真っ赤な炎に蹂躙された建物を突き進み、灼熱をものともしない。今の彼女は、まさしく勇敢なヒロインそのものといった出で立ちであった。
「消防隊が鎮火を始めてるのに、勢いが全然止まらない……きっと、食用の油に引火してるのね」
冷静に事態を分析しつつ、身を焦がさんと暴れ回る火炎をかい潜り、彼女は階段を駆け上がっていく。
例え瓦礫が落ちてきてもパンチ一発で迎撃し、火に包まれても手刀一つで振り払い、足場が崩れても人間離れしたジャンプで危機を脱する。
そんな彼女の快進撃を阻む障害は、ありえなかったらしい。
やがて到達した目的の階層で、例の子供を見つけた時も……彼女は無傷であるばかりか、息一つ切らしていなかった。
そして少女は無事に子供を救出し、固唾を飲んで見守っていた人々の拍手喝采を背に、夜の闇へと姿をくらました。
全身を謎に包めた、無敵のヒロイン――その存在は、この活躍を通して人々の間に「より」浸透していくことになる。
◇
そんな彼女が満足げに帰宅した頃には、既に時刻は夜の十時を回っていた。クリスマスが近いこの季節に、この時間帯はかなり冷え込む。
自宅の一軒家を前にした少女は、周囲に目撃者がいないことを確認するべく、辺りを見渡す。そして誰もいないことを確かめると、素早く家に入れるようにと開けておいた窓から、速やかに帰宅する。
窓で出入りするのはよろしくないことだと知っていたが、それでも正体がばれる可能性を最小限に抑える努力を怠るわけにはいかない――というのが彼女の言い分だ。
馬鹿正直に玄関から行き来していたのでは、いつ通行人に見つかって自分の素性が露呈してもおかしくない。それを思えば、多少はしたないことではあっても、窓からコソコソ出入りした方がまだマシ、ということなのだ。
そういう事情から、彼女は窓から忍び込む格好で二階の自室に入っていく。そして人目を憚るように窓とカーテンを閉め、慌ただしく辺りを見回す。
この場に誰もいないのは当たり前で、同居している彼女の祖父――すなわちさっきまで彼女と話していた老人も、今は一階のリビングでニュースを見ている頃だ。
それなのにここまで彼女が気を張っているのは――スーツの下が全裸だからだ。
人命救助という自身の使命を果たした以上、これ以上このスーツを纏う意味はない。無駄にスーツの力を使わない、と決めているからには、帰宅すればすぐにそれを解除するのが筋だ。少なくとも、本人はそう捉えている。
だが、今の彼女は風呂場から咄嗟にスーツを着用して飛び出してきたため、その下にはブラジャーやパンティーすらない。この摩訶不思議なスーツを使っての人命救助活動は、彼女と彼女の祖父がこの町に来た頃から続けてきたことであるが、下着も穿かずに出動したケースは今回が初めてなのだ。
いつもなら下に普通の服を着ているから、すぐさまスーツを解除できているはずなのに、今回ばかりはそれがままならない。それもそのはず、彼女はまだ十五歳の思春期真っ盛りなのだから。
――それでも、彼女は自分の決めたことを曲げたくはなかった。そんな頑固なまでの真っ直ぐさは、彼女の取り柄でもあり、欠点であるとも言える。
故に彼女はその場でスーツを解除し、自室のタオルで身体を巻いてから風呂場に戻ることに決めた。脱衣所には着替えを置いてあったので、取りに行かなければならないのである。
しかし、その判断はこの時の彼女にとって、最大のミスを招く結果となる。同時に、この物語の起点にも繋がるのだ。
まず、ブレスレットに「
その光が収まる頃には、彼女は風呂場にいた時と同じ、白い肌をさらけ出した美しい裸身となっていた。すぐさま頬を赤らめ、慌ててタオルを取ろうとタンスに手を伸ばす彼女。
――だが、その手は目的の物を掴む瞬間に、ピタリと止まって動かなくなってしまう。
気配を、感じたからだ。
そしてソレに連なるように、話し声が聞こえてくる。
「待て、待つんじゃ
「いーや! もうゴロマルさんの頼みといえど、これ以上看過は出来ぬ! 今日という今日は、その孫娘さんとやらに話をつけさせてもらうぞ!」
程なくして、バァンとドアがこじ開けられた音が鳴り響く。
その出所の方向を、恐る恐る振り向いた彼女。その視界に、非情(?)な現実が突き刺さる。
――彼女と同世代くらいの男の子が、呆然と立ち尽くしていたのだ。
……そう、彼女がスーツを収め、艶やかな肢体をさらしている、この光景を前にして。
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