第15話、変わらないモノ

 どこを、どう走ったのか分からない。

 茶の植えられた斜面を幾つも越え、小道を下り、また斜面を駆け上がる。

 荒くなる呼吸と共に、次第と苦しくなる美緒。

 だが、体が苦しいのではない・・・

 

 気付くと美緒は、迫った山の麓に囲まれた田んぼの中の、細い畦道( あぜみち )にいた。

 打ち鳴らされる鼓動と、荒い息。


 心が・・ 心が苦しい。


「 ・・・・・ 」

 『 的を得た発言 』とは、先程のキエのような言葉を指すのだろう。

 美緒は、歩みをやめ、畦道の途中で立ち止まった。

 乱れた呼吸を落ち着かせ、冷静に考えを巡らせる。


( 確かに・・ あたしは・・・ 今の生活に、満足している訳じゃない・・・ )


 女性では、異例の昇進抜擢。 30歳を前に、会社の顔とも言える総合管理職に推挙され、期待される仕事以上の職務をこなしている美緒。

 未だ、良き伴侶とは巡り逢えてはいないが、自身では、さほど結婚に執着している訳でもなく、都心のマンションにて、気ままな1人暮らし。 独身貴族を謳歌している。


 ・・・だが、何かが足りない。


 物的要望でもなく、かと言ってメンタル的なものでもない。 ましてや、結婚願望、精神論や哲学的云々などと言う事でもない。

 ごく当たり前な『 何か 』・・・

( それが、分からないのよね。 だから不安になるのよ )

 段々と、落ち着いて来た息。

 美緒は、目を瞑り、深く深呼吸をした。

( お母様が言われた事は、図星だわ・・・ あたしには、何か足りない・・ 満たされていない・・・! )

 忙し過ぎるのだろうか。

 確かに、この1~2年、マトモに休暇を取ってはいない。 だが、休んでいるより仕事をしていた方が、余計な事を考えないで済む。


 冬の日差しが降り注ぐ中、美緒は、自分の足元をじっと眺めた。


 幅、わずか60センチほどの、細い畦道・・・

 踏み固められた小道は、枯れた稲の切り穂が並ぶ田の中を、緩やかに曲がりながら続いている。 その向うは、小高い道だ。 時折、車が走るところをみると、この高桑に来た際、八代の車で通った幹線道路のようである。


 美緒は、再び、ゆっくりと歩みを始めた。

 前方にあった小高い道の所まで歩くと、体の向きを変え、短い草が生えたその斜面に、腰を下ろすようにもたれ掛けた。


( 満たされていない、か・・・ )


 一生懸命、仕事はしている。

 期待以上の成果は挙げている、と言う自負・・・

 少なくとも、自分では『 輝いているワーク・ウーマン 』を、地で行っていると思っていた。


 だが、そんな事など、全く知らないキエに『 見抜かれた 』美緒。


 はっきり言って、ショックだった。

 自分の表情には、そんな『 影 』が現れているのだろうか・・・?

 足元を見つめ、美緒は、今の自分を考えた。

( あたしに足りないもの・・・ か )

 それは、おそらく物理的な事ではないだろう。

 ただ、メンタル的な事だとしても、今の美緒には、その答えを導き出す事は出来ない。 出来る事なのであれば、とっくの昔に答えが出ているはずだ。

 いつもながら、考え付く結果・・・

 美緒は、小さくため息をついた。


 静かな、誰もいない山間の場・・・

 冬には似合わない、優しいそよ風が美緒の頬を滑り、頬被りの端を揺らせる。


 ・・美緒は顔を上げた。


 畦道の遥か向うから、人影が1つ、こちらへとやって来る。

「 八代さん・・・ 」

 美緒は、直感的にそう感じた。

 人影は、段々と大きくなっていく。 どうやら、男性のようだ。 着ている作業着の記憶から、やはり八代のようである。

( 思わず、その場を逃げ出して来ちゃった・・・ 冗談受けに、笑って済ませておけば良かったのに・・ 何か、恥ずかしいな・・・ )

 どう言って、切り出せば良いのだろうか。


 じっと、こちらを見据えながら歩いて来る八代。


 美緒は、掛ける言葉も見出せず、そのまま八代を迎えた。

「 ・・・ゴメンな、美緒ちゃん。 オフクロに悪気は無いんだ。 許してやってくれ 」

 近付いて来た八代が、先に声を掛けて来た。

「 いいえ。 飛び出して来たちゃった、あたしが悪いんです。 ・・いい歳して、恥ずかしいです。 すみません 」

 バツ悪そうに、下を向きながら美緒は答えた。

 八代が言った。

「 カメラマンの人、戻って来たよ? 今度は、満川茶の箱の写真を撮るんだそうで、今、母屋の方に移動中だ。 囲炉裏をバックに撮影するらしい 」

「 ・・あ、私も行かなくちゃ・・・! 」

 斜面にもたれていた腰を上げ、美緒は答えた。

 少し、笑顔を見せる八代。 何か、言いた気である。

 美緒は言った。

「 よく、私の居所が分かりましたね・・・? 」

 辺りを見渡しながら、八代は答えた。

「 ここまで、ずっと真っ直ぐだから・・・ 道は、無いんだ。 最後の斜面を下ると、あとは田んぼばかりで、畦を来ると、ここで行き止まりなんだ 」

 美緒にとっては、あちこちの山野を、それこそ、駆けずり廻って来た感があった。 だが、八代にしてみれば、大よその見当が付くのだろう。

 自分の居場所に、わけも無く到達する事が出来た八代・・・

 美緒の心の中には、八代を頼もしく想う自分が、確かに存在していた。


 その後の撮影も、順調に進んだ。

 『 役目 』を終えた添田は、着替えて職務に戻り、キエも野良仕事に出掛けている。 何となく、顔を合わせ辛いキエがいないのは、ある意味、好都合だったかもしれない。

「 もう少し照明、落とそうかしら。 どう? シャッタースピード、イケそう? 」

 レフ版( ライトを反射させ、明るさを調整する銀色の板 )を調整しながら、カメラマンに尋ねる、美緒。

「 静物だから大丈夫でしょう。 あまり、バックとのボカシの差が出ると、せっかくの囲炉裏の演出が、意味無くなりますからね 」

 囲炉裏は勿論、観光用ではなく、実際の生活に使われているものだ。 溜まった灰が生活感を漂わせ、何とも風情が感じられる。 そこに、使い込まれた鉄瓶( てつびん:湯を沸かす為の鋳鉄製やかん )と共に、満川茶のパッケージを置き、ライティングを調整して撮影した。

 満川茶のパッケージは、まだデザイン中である。 とりあえず、予定寸法の無地箱を置き、後でCG合成するのだ。

 こういった場合、制作予定を考えなくてもよいので、最新デジタル技術に感謝すらしたくなる。 デザイン業界は、最先端の技術を活かせる、最適なフィールドと言えよう。

 やがて、日が傾き始めた頃、撮影は修了した。


 西の空が、薄いオレンジ色に輝いている。

 まだ陽は高いが、冬の夕暮れは、迫る夜の寒さを示唆するかのように、時を急がせる。

 昼間の穏やかな風とは違い、枯れたススキの穂を揺らしながら山野を渡る風には、確かなる寒さが感じられた。 まだ遠き春、を想わせる景色である。


「 中々に、良い撮影が出来ましたね。 シチュエーションが最高でしたからね 」

 満足げなカメラマンに、美緒は言った、

「 デジタルの方を、先にメール添付で送付して頂けますか? レイアウトのアタリを付けておきたいので 」

「 了解しました。 明日にでも送らせて頂きます。 プリントアウトは、明後日に、会社の方にお持ちしますね。 午後からになるかと思います 」

「 いつも、すみません。 午後からは、空けておきますので、お待ちしております 」

「 お願い致します 」

 機材を積み、一足先に帰るカメラマンの車を見送り、美緒は、小さなため息をついた。


( あたしも、帰るのか・・・ )


 東京に、ある種の懐かしさを覚えながらも、心のどこかに、帰りたくないと言う心境があった。

 小さな、心の滲み( にじみ )・・・ だが、気になるとその存在は、予想以上に大きく思える・・・

 そんな想いに感じ入る、美緒であった。

( 帰りたくない、なんて感覚・・ 出張先では、初めてなんじゃないかしら )


 母屋の軒先を、一陣の風が吹き抜ける。

 着込んだばかりのジャケットの衿を立て、腕組みをするように両手で自分の腕を掴み、首をすくめる美緒。

 庭先から母屋の中へ入り、帰りの挨拶をする為に八代を探した。


 うっすらと埃が積もった、太い軒柱。

 縄で編み込んだ、玄関の敷物。

 擦り減った敷居・・・


 昨日、訪れたばかりなのに、全てが懐かしく見える。

( 実際、あたしは、小さい頃、来ていたんだけどね・・・ )

 長く、忘れてしまっていた記憶は、いざ思い出すと、より鮮明に、その情景を脳裏に甦らせるものである・・・

 美緒は、しばらく、その静物たちを見つめた。


 坂井を見送ったらしい八代が、玄関から入って来た。

 居間に立っていた美緒に気づき、言った。

「 何してんだい? そんなトコで 」

 ハッと、我に返り、慌てて答える美緒。

「 ・・あ・・ な、何でもないです。 坂井さんたちも、お帰りになられました? 」

「 ああ、今ね 」

「 あ・・ じゃ、あたしも帰らなくちゃ・・ 」

「 東京へ帰る前に・・・ ちょっと、寄って行かないか? 」

「 ? 」

 美緒は、きょとんとした表情を見せた。

「 ついて来いよ 」

 八代は、玄関のガラス戸を開け、美緒を誘うように見つめている。

 ・・目で確かめ合う、心の了解。

 美緒は、小さく笑うと土間に下り、靴を履いた。


 迫る夕暮れは、西空を茜色から深い臙脂色( えんじいろ )へと移らせている。

 幾重にも重なった山々の頂が、遥か西に霞む琥珀色の光をバックに、まるで影絵のようだ。

 雲ひとつ無い、冬の夕暮れ・・・

 残り日は、確かに美しく映るが、高桑を去る美緒の心情を投影したかのように、心なしか、どこか寂しげに感じられた。


 昼間、撮影した茶畑に入り、緩やかな斜面をゆっくりと登っていく八代。

 美緒も、その後を続いた。

 斜面の頂上へは、頂を縫うように小道があった。 二股に分かれており、右へ行くと斜面を下り、今来た道へとつながっているようだ。 左は、更に上の斜面へと続いているらしい。

 八代は、左の小道に入り、斜面を登って行った。

( どこへ行くのかしら・・・ )


 やがて、小高い野原に出た。


 ・・さすがに、寒い。


 美緒は、ジャケットの衿を立て直し、辺りを見渡した。

「 ・・・・・ 」

 どこか、見覚えがある風景である。

 短い草に混じり、枯れたススキの穂が、あちらこちらで揺れている。 遠く、叙情的に霞む山々・・・


( ・・夢の場所・・! )


 そうだ。 いつか、夢で見た風景だ・・・!

( そうよ・・! 夢に出て来た場所だわ! 確か、季節は・・ 夏の終わり・・・ )

 ススキが揺れていた。 琥珀色に染まる西の空。 遠く、藤色に霞む山の影・・・

 美緒は、歩みを止め、呆然としていた。


( どうして、ここの景色を夢で・・・? )


 季節は違うが、間違いなくここである。

 確か、他に、誰かの存在があったような記憶がある。

 更には、『 誰か 』が、泣いていた・・・


 八代が、野原の先端まで行き、立ち止まった。

 じっと、西の彼方に沈む夕陽の残り日を見つめている。

 美緒は、おもむろに、八代の近くまで歩みを進めた。


 ・・・八代の背中が、大きく見える。


 深い臙脂色に染まった、初冬の西空に向い立つ、八代。 丁度、八代の腰の辺りに、夕陽の残り日が、琥珀色に輝いている。

「 覚えているかい・・・? ここ 」

 やがて、静かに八代が尋ねた。

「 ・・・何となく 」

 多少、返事を濁した美緒。

 八代は、フッと笑い、言った。

「 小学生の頃だったからな・・・ でも、僕はハッキリと覚えているよ。 あの日の事・・・ 」

 『 あの日 』の意味は、美緒には分からない。

 美緒は、何も答えず、八代の後姿を見つめ続けた。

「 都会へ行って・・ 美緒ちゃんも、変わっちまったか・・・ 無理ないよな 」

「 ・・・・・ 」


 八代の言っている言葉の真意が、理解出来ない。


 美緒は、八代に問いかけようとしたが、出来なかった。 八代の後姿から、誰も触れてはならない、大いなる意志のようなものを感じたからだ。

『 今、彼の心に立ち入ってはいけない 』

 美緒は、そんな了解を感じた。


 しばしの間のあと、ダークブルーとなった上空を見上げ、八代は言った。

「 変わらないのは、この景色と・・ あの、1番星だけか・・・ 」

 暮れなずむ空に、一際、美しい輝きを放っている星があった。 雲ひとつ無い夕暮れの西空に輝く、1番星。


『 1番星として見つける星は、たいていが金星だ 』

( それを教えてくれたのは・・・ 八代さん・・・! )


 ・・・そうだ・・・!

 幼き頃、この高台の野原にて、八代が教えてくれたのだ・・・!


 突如、美緒の脳裏に、懐かしき映像が蘇った。

   

 澄み渡る空。

 子供たちの喚起の声と、清らかな水・・・

 琥珀の空、霞む山々。 揺れるススキの穂。

 そして、1番星・・・

 

 美緒は、ハッキリと思い出した。 『 あの日 』の事を・・・

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