六章② 英雄再臨
立つ場所が変わるだけで何も変わらないのに、隣には誰も居ない。ブーゲンボーゲンに住む者と同じようには、もう生きられないのだ。
「俺は、人より高い場所に居たからこそ、あんな戦争をするべきではなかった。本当は幼い頃から気が付いていた筈なのに、見ないフリをしていたんだ。でも……俺の采配次第では、きっとこんな偽りの平穏ではなく、聖霊と悪魔が共存出来る本当の『平和』を作ることが出来た筈なんだ。それなのに、俺は……」
「……もう、良いだろう」
それが、それこそが彼が背負ってきたものだった。悪魔は聖霊を憎む、聖霊もそう。互いを憎悪の対象としか見れず、害獣だと思い込んでいる。しかし、彼等は知らない。
両者は同じように醜く、弱く、愚かな生き物であると。独りで生きて行くことなど出来ない。誰かと手を取り合い、協力しなければいけない。
自分こそが強者だと思っていたルカも、英雄と呼ばれていたシャナイアも、このガーデンで生きて行くしかない。くだらない、馬鹿馬鹿しいものに生かされてきて、これからも生きて行くのだ。
知ってしまえば、もう他の者とは同じようには生きられない。上辺だけは取り繕うことは出来るだろうが、この高さから降りることはもう出来ない。
ルカは、自ら望んでこの高みに上ってきた。ここからの景色は、思っていたものよりもずっとくだらなかった。
「本当に、この世界は馬鹿馬鹿しい。だが、だからと言って貴様がそこまで後悔する必要はないだろう」
長年に渡って争ってきたことを、彼がどうやって解決出来たというのか。どれだけ強く、賢くあろうとも。シャナイアは神などではないのだ。
今までも、これからもこの高さから見下ろして生きて行くしかない。ルカも、同じように。
「あれ、もしかして……俺、今あんたに励まされてる?」
「……くだらない」
本当に、くだらない。ルカは苛立ちを吐き捨てるように言うと、踵を返し歩を進める。
「この街での用件はもう済んだだろう? さっさと行くぞ、これからをどうするかを考えろ」
船はしばらく来ない。それならば、徒歩で別の街や村に向かうしかないのだろう。考えろとは言ったものの、彼ならばもう考えがあるものだと勝手に思っていた。
しかし、答えは違っていた。
「翠眼の英雄は、実はまだ生きてるんだよ」
「は?」
全く脈絡の無い台詞が、ルカの足を止める。振り向くも、シャナイアは背を向けたまま。
声だけが、風に乗って運ばれてくる。
「翠眼の英雄は、まだ生きてるんだ。あの日、セイロン陛下に刺された時に、英雄は死ぬ筈だった。でも、死ねなかった。意外としぶとくてさ、この身体の奥の方でずっと隠れて生き延びてきた」
「また、お得意の痛々しい妄想か。残念だが今、付き合ってやる気分では――」
馬鹿馬鹿しいと、吐き捨てようとする。だが、出来なかった。
「あんたのせいだよ、ルカ・クレイル」
不意に、風が鋭さを帯びた。咄嗟に横へ跳び、それを避ける。
穏やかだった風は渦を巻き、ひらひらと舞い踊る木の葉を真っ二つに切り裂いた。
「……何の、つもりだ」
「あんたが最初に望んだことだろ、忘れたの?」
ようやく、シャナイアがルカの方を向く。その瞳は、先程まで鬱々と悩んでいた青年のものなどではなかった。
右眼は海のように深い蒼玉。左眼は、不思議な翠玉。
「今まで、ずっと考えないようにしてた。でも、あんたと再会してからだんだん隠しきれなくなってきたんだ。翠眼の英雄は、殺すと決めた『敵』は必ず殺す。聖霊だろうと悪魔だろうと関係無い、例外も無い」
布を取り払われた棍杖が、陽光を浴びて強気に輝く。
「あんただけなんだよ、今までに殺せなかった『敵』は。あの日、あの時……一撃で終わらせる筈だったのに。どうしてかはわからないけど、殺せなかった。躊躇した。それが英雄にとっては心残りで、だから今まで死んでくれなかった」
英雄は、シャナイアの中で生き続けていた。何の為に。もうどれだけ悪魔を殺そうと、戦争が終わった今の世界ではあまり意味を成さない。
認めてくれる人も、居ない。
それでも、英雄は死ななかったのだ。
「あんたを殺してこそ、英雄は本当の意味で死ぬ。この凶暴な英雄を抑えつけていくのは、もう限界なんだ。だから、死んでくれない?」
「……くくっ、そうか。そういうことか」
英雄は生きていた。シャナイアという皮を被り、綺麗事を吐いて今まで生きてきた。彼もまた、ルカを探していたのだ。
ゆっくりと、剣を抜く。磨き上げた切っ先が、英雄を睨みつける。
「残念だが、勝つのは私だ」
「それでも、翠眼の英雄は死ぬことになるだろうね。俺とあんた、どちらが勝っても俺の目的は達成される。でも――」
言葉を途中で遮ると地面を蹴り、シャナイアが距離を詰める。
「どうせなら、勝って終わらせたいからさ!!」
棍杖を構え、ルカの腹を狙う。あの時の同じ、殺人の一撃。
今度は、見切った。
「そう同じ手に何度も乗るものか!」
身を翻し、避ける。呪術を使えるからか、彼の動きは聖霊とは思えない程に速い。
だが、訓練を受けた悪魔と比べれば、呪術自体はかなり荒削りの代物だ。持ち前の才能があるとはいえ、集中すれば見切れない程ではない。
今度はルカが、剣を振るう。
「ッ、流石!」
手加減をしていない、殺しの剣。それをシャナイアは棍杖で受け止めて見せる。
このまま押し切れるか。
「やっぱり、あんたは強いね……あんたみたいに強い人になら、殺されても良いと思った。でも、やっぱり死ぬのは恐いんだよね!!」
強烈な力で突き飛ばされ、距離を取られる。それでも間髪いれずに、今度はルカから距離を詰める。
「貴様の手は読めているぞ!」
風が不自然に動くのを感じた。神術に対して、ルカでは太刀打ちするにも限界がある。隙を少しでも見せれば、数多の鎌鼬によって切り刻まれるだろう。
ならば、接近して神術を使わせる暇を与えなければ良い。
「くッ、うわ!?」
思った通り、神術を使おうとしていたのだろう。避けるのが遅れたシャナイアの肩を、ルカの剣が切り裂く。
残念ながら、上着を裂いただけ。
「鈍間だな、翠眼の英雄よ。そんな亀のような動きでは、私が喰ってしまうぞ!」
「あはは! 亀だなんて、初めて言われたよ。それなら……本気出しちゃうから!!」
刹那、彼の動きが変わった。同時に、風の動きも変化した。
――彼の姿が、消えた。
「なっ……!」
行動が大きく遅れた。姿を見つける前に、反射的に身体が動く。
それでも、避けきれなかった。
「ぐ、くそ!!」
横から襲い掛かる、強烈な一撃。腕が痺れ、剣を取り落としそうになる。あまりの激痛に胸が詰まり、冷や汗が吹き出す。
対して、遅れて視界に捕えた彼は嫌味なまでに優雅だった。ふわりと、背中に見えない翼でも生えているのではないかと思わせる程に優雅に地に降り立つ。
「これをやるのも久し振りだなぁ……しかも、対象一人に使うのは初めてだ」
「なるほど……噂に聞いたことがある。これが、『神風』か」
かつて、英雄が幾万の悪魔を屠った業。この時まで、彼の卓越した神術か、聖霊には使える筈の無い呪術のことを示したものかと思っていた。だが、そのどちらでもなかった。
否、その二つのことなのだ。
「風のように戦場を駆け抜け、圧倒的な力で瞬殺する力。神のごとき速さ……神術と呪術を使える貴様にしか出来ない芸当だな」
「同時に使うのは結構疲れるんだよね。それに、久し振りだから……長くは持ちそうにないかなッ!!」
再び、彼の姿が消えた。ルカは、敢えて探すことを諦めた。下手に視界を巡らせる最中で、純白の棍杖に殴られることは目に見えている。
それならば。
「無敵の神風……破って見せる。そして――」
勘に任せて、剣を突き出す。金髪一本すら奪うことは出来なかったが、動揺させることには成功したらしい。
僅かに霧散した風が、それを物語っている。
「貴様を下す、最初で最後の存在になって見せる」
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