五章② 命の限界
「見てくださいルカさん、これとかこれ。凄く綺麗に出来たと思いませんか?」
机に本やしおりを広げ、得意げにルカに見せる表情はまだまだ子供だ。友達が出来て嬉しい。彼女の笑顔からはそんなことが伺える。
しばらく付き合ってやるのも悪くない、そう思うのは単に死ぬほど暇だからだろう。
「……これは、全てあの公園の花か?」
「ほとんどがそうですね。でも、いくつかは違います。お花屋さんで買って頂いたものもあります」
押し花という代物は知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。干したハーブに似ているが、花弁の色は鮮やかなまま。加えて花のままではなく、景色や人の絵を描いているものもある。
芸術とやらに全く縁がない人生を生きてきたルカにとって、新鮮な衝撃だった。
「ふうん、器用だな」
「疎開している時に教えて貰ったんです。お人形とかおもちゃとかは持って行けなかったので……あの、ルカさん」
おずおずと、メグ。教えてほしいことがある、彼女はそう言って続ける。
「シャナイアさんとは、どうして一緒に居られるんですか?」
「は?」
「シャナイアさんは、どうして悪魔に優しく出来るんですか? どうしてお二人は一緒に居られるんですか?」
彼女の言い分はよくわかる。悪魔は聖霊に対して、聖霊は悪魔に対して強い憎悪を抱いている。長年の争いにより蓄積された憎しみは爪先から髪の毛の先にまで刻みつけられ、絶対に相容れることが無い。
そうであるにも関わらず、ルカはシャナイアに付いて来た。まさかそれが翠眼の英雄を倒す為だと、メグに言える筈もなく。
「……成り行きだ」
適当すぎる誤魔化し。しかし、メグはルカを問い質すことはしなかった。
「成り行き、ですか。ルカさんも、わたしと同じだと思ったんですけど」
俯いてから、再びルカを見上げる。真剣な面立ちだった。
「わたし、変だと思われるでしょうが……聖霊のこと、嫌いじゃないんですよね。むしろ、わたし聖霊のことが好きです」
迷いの無い眼差し。それは悪魔としては反逆の言葉であった。ルカ以外の悪魔が聞けば、殴り殺されていても不思議ではない。
馬鹿なのか、それともルカがシャナイアと共に居るからか。メグは断言して見せた。
「わたしの両親は、聖霊に殺されたと聞いています。二人共、徴兵令で招集されてそのまま……でも、だからと言って聖霊を憎む理由にはならないと思うんです。聖霊だって、悪魔に大切な人を殺されてしまった人が居るでしょう。だから、わたしの両親は聖霊に殺されたのではなく、戦争で死んだのだと考えるようにしています」
血色の瞳が揺れる。ルカは何も言わない。
「今の旦那さまに拾って貰って本当に幸せです。文字や計算を教えて下さるし、服や靴、ご飯にベッドを与えて下さいます。それにこうして押し花をすることを許して下さっています。聖霊は、本当は優しい人達なんだと思うんです。旦那さまとずっと共に、何があろうとも必要とされ続ける限り一緒に居たいです」
「……能天気な考え方だな。お前の主人が変わり者なだけだろう?」
「シャナイアさんも、そうですよね?」
あ、と思った時には既に遅かった。不覚にも隙を作ってしまった挙句、そこを突かれるとは。
「……あれは、単純に馬鹿なだけだ」
「あれ? シャナイアさんってかなりお勉強されていたんですよね。昨日、難しそうな本を何冊も読んだって仰っていましたし」
「そういう意味じゃない……」
手にはシャナイアの棍杖。思えば、彼はどうして大切な棍杖をルカに預けたのか。たとえ売られようが持って逃げられようが、取り戻す自信があるからなのか。それとも、別の理由があるからなのか。
その理由を考えるのは至極面倒で。
「……帰る」
逃げようと思った。ルカの完全なる敗北である。
屈辱だ、こんなガキにぐうの音も出ないとは。
「えっ、えっ? もう帰られるんですか?」
「あの男に会いたくもないしな」
「待って下さい、せめてお茶だけでも――」
引き留めようとするメグの手を振り払おうとした、その時だった。ごとん、と妙な音がルカの鼓膜に届く。
どこか、別の部屋で何かを落としたか倒したかのような。先に動いたのは、メグだった。
「……ッ、旦那さま!?」
足を引き摺りながらも、メグは駆け出す。どうしてそれがユタだとわかったのか、ルカにはわからない。
ただ、彼女は正しかった。二階に繋がる階段の踊り場で、ユタがうつ伏せで倒れていた。苦痛に呻いてはいるものの、立ち上がる素振りは見せない。杖を握る手は汗ばみ、呼吸も荒い。
「旦那さま! 大丈夫ですか、旦那さま!?」
「く……う、う……」
ルカも二人に歩み寄る。ただ転んだだけだと思っていた。だが、不意に気が付いた。
血や肉の腐敗臭。思わず眉を顰めてしまいそうな程に強烈な臭いは、ユタや邸から発せられているのだとわかる。しかし、怪我をしているようには見えない。
「……その足」
それでも、ルカの視界に飛び込んできたのはユタの両脚であった。異様に膨れ上がった両脚は、今にも破裂しそうな水風船のような印象を受ける。
足だけではない。ユタの手や顔までも、同じように腫れているのだ。
「う、あ……」
顔を何とか上げるも、蒼色の焦点は合わない。近くで見てわかったが、白眼の部分が黄ばんでいる。顔面も黄色がかって見える。恐らく、ルカが居ることをわかっていない。
一体何だこれは。ルカにはわからなかった。
「あのー……すみませーん。昨日お邪魔したシャナイアですけど……ルカ、来てませんか?」
「シャナイアさん!?」
玄関の方から、恐る恐る様子を伺うような声が聴こえる。宿に居ないルカを探しに来たのだろう。
メグが玄関まで駆ける。彼女が叫ぶ声が、邸中に響き渡る。
「シャナイアさん、助けてください! 旦那さまが、旦那さまが……」
「え? なに、どうしたの?」
必死な彼女に何かを悟ったのか、シャナイアが素っ頓狂な声を上げながらも彼女の元に向かう。
そのままルカに気が付くと、足元に倒れるユタに駆け寄った。
「だ、大丈夫か!? ルカ……まさか、あんた」
「……違う、私は何もしていない」
「ルカさんは私とお部屋に居たんです! お話をしていたら、旦那さまがここで……」
泣きじゃくりながら、メグが説明する。纏まりがなく、とてもじゃないが状況を把握出来る手掛かりにはならなさそうだ。
それでも。原因がルカではないことを知ったからか、シャナイアが安堵したように息を吐く。
そして、再びユタに向き直ると片膝を突いた。
「とりあえず……ユタさんを部屋に運ぼうか? 熱があるみたいだから、メグは氷水持ってきて。ルカはこの人運ぶの手伝って」
「は、はい!」
「……待て、どうして私が」
「悪いねー、聖霊は非力だからさあ? 悪魔が居てくれて本当に心強いよ、ありがとう!」
傍らにメグが居るからか、ここぞとばかりに聖霊であることを主張してくるシャナイア。殴りたい。
いや、後で絶対に殴る。そして蹴る。
「部屋は二階で良いんだろ? ルカは脇の下に手を入れて上半身持って、俺は脚を持つから。あ、俺が先に階段昇る。脚を出来るだけ高く上げるから、上半身低めに持ってくれたら助かる」
やけに細かな指示。文句を言われても面倒なので、その通りに持ってやる。階段は段差が高く急であったが、なんとか昇りきる。
二階は一階よりもずっと、広大な本の山脈が築かれていた。それらを蹴飛ばしたい欲求をなんとか抑え、奥にあるそれらしい部屋に足を踏み入れる。
足元にはやはり本の山。紙の埃っぽい空気に混じる、確かな生臭さ。負傷兵の収容所と似た雰囲気だが、あそこほど血の臭いはしない。ルカの知らない空気だ。
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