2009年2月8日 2:30

 この日記を全てパソコンに打ち込み終わった。

一時中断以降のことが日記に書かれていないことに2年半後に気付くなんて・・・。



なぜかこの日記を読み返すことができなかった、というより読み返したくなかった。

それはなぜだか分からない。

しかし、ようやく大学卒業間近になって、全て読み返すことができた。

当時の思い出が、この日記を読み返したことでかなり蘇ってきた。

記憶が大分劣化しているので正確かどうか分からないが、一時中断以降に何があったのか、書いてみたいと思う。



次の日は、チェックアウトの時間まで、爆睡した。

あっ、そうそう、電車に乗れなかった段階でホームステイ先のローラに電話をした。

前に松川くんのホームステイ先に泊まる時や、帰りが遅くなる時に電話をかけたことが数回あった。

しかし、いつも留守電にメッセージを入れる形をとっているので、留守電に“電車に乗れなくて帰るのが1日延びる”的メッセージを入れた。

とりあえず、駅へと向かいシアトルに帰るにはどうすればいいか考えた。

電車だと18:00まで待たないといけない。

それでは暇過ぎる!

何かいい方法はないかといろいろ探しているとバスでシアトルに帰れる方法を見つけた。

しかも結構な便数があるので、暇を持て余すこともない。

さらにもし乗り遅れても、次のバスがあるので、少しでも早くシアトルに帰ることができるのである。



僕たちは電車のチケットをキャンセルして、バスのチケットを買った。

そして、バスに乗ってバンクーバーを脱出した。

長い長い道を走っていたが、万が一電車にまた乗れないかも的ことが脳裏をよぎったので、どんな方法でもバンクーバーから脱出したかったのだ。

しかも、バスの方が値段も安かったように思う。



長時間バスに揺られた。

途中国境で入国審査を受けた。

めちゃめちゃ重苦しい雰囲気で厳重な中、荷物等やパスポートを見せ、無事に通過した。

バスの乗客が全員が審査を終了しないと、再出発できないので、かなり長い時間をロスした。



しかし、ようやくthe United States of Americaに帰ってくることができたのである。

バスの中で寝たり、次の日になったかは覚えていないが、たぶん次の日になったと思う。

次の日の昼前にシアトルのdowntownに着いた。



僕たちは重い荷物を持ちながら、とりあえず大学へと向かった。

なぜなら、休みを利用してカナダに行く予定だったので、1日延びた分、今日は大学で授業を受けなければならないのである。

僕らが受講しているプログラムではほとんど休むことができないので、半日は諦めても、昼からの授業には是が非でも出席しなければならなかったのである。

なぜかめちゃめちゃバスを待っていた記憶がある。

疲れていたせいもあるだろうが。



大学に着いて案の定遅れて教室に入った。

“どうしたの?”的質問をこの時の先生、生徒含め、この日だけで友達という友達皆に聞かれ、概要を説明しまくった。

どんどん説明が短くなっていったのは言うまでもない。

ホームステイ先に帰っても詳細を精一杯の英語で説明し、その日は精神的にも肉体的にもクタクタになっていたように思う。



それから帰国までは思い出作りに勤しんだ。

学校の比較的車で行くなら近い海が見えるスターバックスでヤスさんに“帰るなよー”とか“帰っちゃうんだなー”と言われまくりながら、なぜか松井(当時はジャイアンツ?)のモノマネをさせられた記憶が。



その時に、今は彼女で、当時超消極的アタック中の女の子にTくんが無理矢理電話をかけた。

そして、電話に出ると同時に俺に電話を押し付けた。

相手は寝起きだった。

それもそのはず、後で計算したらその時の日本は、朝の6時前後で寝ていてもおかしくない。

しかも海外のケータイ電話からかけているので、かなり長ったらしい電話番号が表示されていたはずなので、電話に出たことが奇跡に近い。

『もしもし、ごめんね。何してた?寝てたよね?元気?』的なクソ面白くない会話を1分前後交わした。

なんか自分自身とTくんにムカついた記憶が鮮明にある。



その他に結構足を運んだ店を回り、値札と睨めっこしながら、欲しい商品を少し思い切って買っていった。

帰国の前には、プログラムの卒業式(goodbye party)が、天候が微妙だったので、室内で行われ、無事カリキュラムを全てパスすることができ、賞状をもらった。

帰国の迎えが早朝というか深夜だったので、前日の夜にホームステイ先の人たちにお礼とお別れを言った。

僕は“I’ll be back”とシュワちゃんの名台詞をパクって失笑をかった。



帰国の時は空港でかなり長蛇の列に数回並び、サンフランシスコを経由し、飛行機が遅れるトラブルもありながらも関西空港行きの飛行機に搭乗することができた。

機内でこの語学留学の思い出を語りながら、やっと日本の地を踏んだ。

しかし、最後に入国手続きと荷物チェックがあり、ドキドキしたが、なんてことなくスルーした。



電車を乗り継ぎ、やっと家に帰ってから、安堵感がにじみ出た。

こうしてハプニングあり、冒険あり、いろんなことがあったアメリカ語学留学が終了したのである。

僕はこの留学で一体何を得たのだろう?

それは2年半経った今でもハッキリとは分からない。

しかし、これだけは言える、いつかまたあの地を踏みたいと。



THE END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る