#62 縁と絆

 ガイの夢の中で彼女は歌を歌っていた。

 膝の上で眠るガイのために優しく奏でるそれは子守唄。

 柔らかな笑顔を見せる彼女はこう言う。


『人の気持ちがわかる人になりなさい』


 正確には口には出していなかったのだ。

 彼女の歌に込める思いにガイはそう感じたのである。


 ──あれが母というもの?


 天涯孤独の幼いガイに差し伸べる柔らかな手。

 その温もりだけは鮮明に覚えていたが、彼女の顔だけは年月が経つに連れて薄れていくのだった。



 ◆◇◆◇◆



 顔に差し込む日光の目映さでガイは眠りから覚めた。

 部屋の隅っこで毛布にくるまり雑魚寝していたガイの周りに広がる荒れた様子。飲み物やジャンクフードの食べかけが散乱して足の踏み場もないほど汚い。


「……なにも……聞こえない」

 時刻は昼を過ぎた。外ではSV搬入用大型機械トラックの走る音や、試作機のテスト走行を行っている音が遠くから聞こえていた。働く人の喋り声、生き残ったリターナーの隊員たちも拾ってくれたトヨトミインダストリーの為に様々な仕事に就いて協力している。


「誰の声も……聞こえない……」

 ぼそりと呟くガイだが耳を塞いでいない。何の心にも響かない外の騒音が耳から耳へ通り抜ける。

 その時だった。鍵を閉めた扉が激しく何度も叩かれ、何者かに蹴破られてしまった。


「久しぶりだな。五年……いや、十年ぶりぐらいか」

 ずかずかと土足で部屋に侵入してきたのは右頬に傷のある三十代ぐらいの女だ。


「…………ユングフラウ?」

 ガイは記憶を巡らせ思い出した女の名を呼ぶ。


「腹が立つ顔だ。自分はそんな腑抜けな男に育てた覚えはない」

 ユングフラウと呼ばれた女性はガイの胸ぐらを掴んで言った。ガイはそれでも目を合わせようとしない。


「俺の家族は…………オボロだけだ」

 少し言い淀んでガイは呟く。


「月影瑠璃から聞いたぞ。奴は機体に取り込まれたとな」

「レディムーンが?」

「それと、お前の力が無くなったこともな」

 ユングフラウが向ける視線が痛い。相手が何を思ってこんなことを言うのか分からない。そんな普通の人間ならそれで当たり前のことがガイには苦痛だった。


「……俺が戦力にならないから、変わりで呼び出されたってわけか」

「的外れだ。お前を鍛え直すために決まっている」

 ガイの胸ぐらを掴んでユングフラウが言い放つ。眼前のユングフラウからガイは顔を逸らした。


「は、今さらそんな」

「嫌とは言わせないぞ。敵が宇宙で停止している今がチャンスなんだ。聞こえようが聞こえなかろうが戦いには出てもらう」

「嫌だ」

 掴まれている腕を振りほどこうとするガイだったが、勢い余ってユングフラウを突き飛ばしてしまった。


「俺は、アンタが嫌いだ。今も思えば確かに感謝すべきところもある。だが俺はもうアンタに従わない。何故なら……」

 忘れかけていた記憶が甦って来る。

 地獄の日々。

 まるで殺人マシーンでも育成するかの如くハードな実戦的トレーニングは、まだ十歳にも満たない幼少期のガイにとって苦痛以外の何物でもなかった。


「アンタからは、殺意を感じた!」

 震える声でガイは叫ぶ。

 左目に出来た大きな傷はユングフラウによって負わされたものだ。

 彼女がガイに向ける目はガイそのものというよりも、別の何者かの影を重ね合わせいるようだった。

 ナイフによる特訓の最中、ユングフラウの振るった刃がガイの左目を切り裂く。

 当時のユングフラウからガイに心配という気持ちが無く、ガイを通して別の何者か、ほの暗い闇の先を見ているようだった。

 その後に誰かの応急手当と早急な治療のお陰で失明はどうにか免れた、とガイは記憶している。


「殺意……だと?」

「何故そこまで憎むのに俺に構おうとするのか……アンタはあの人に成り代わろうとした。しかし、子供を育てるというところまでは真似できなかった。愛情なんてない、そこにあるのは憎悪だけだった。だから、俺は家を出ていったんだぞ。だから、もう放っておいてくれよ、顔も見たくない!」

 普段見せることのない感情を爆発させるガイ。

 そこへ、


「ガイ!」

 二人のやり取りを影からずっと聞いていたマコトが、部屋に入ってくるなりガイの前に来て頬へ思いきり平手打ちをした。


「──っ!?」

「それでも男か! いつものガイだったら避けてたよ?! 何だよ、人の心の声が聞こえないから引きこもるって意味わかんない! 誰もアンタに心を覗かれたくないっつーの!」

 一発、二発、三発。馬乗りになっての往復ビンタ。


「あの虹浦セイルがお母さんみたいな人なんでしょ?! 贅沢よ贅沢!」

 ガイも黙ってやられるわけにはいかず、起き上がる勢いで頭突きを食らわせた。


「反撃を、するなっ!」

 仰け反りながらも逆に頭突き返すマコト。ガイの額から血が出てきた。


「石頭めぇ……お前に何がわかるマコト!?」

「わかるけど、わかりたくない! 私はこんな相手の考えを読む能力なんて要らない、そんなのズルじゃんか! いつもいつも自分は何でもわかってますよ面してムカつく!」

「俺がこの力でどれだけ苦労したと思ってる?!」

「あぁー! 聞きたくないのに入ってくる! 知らないよ、アンタもう犯罪者よ犯罪者! チート野郎! 詐欺師!」

 反論するガイが思い浮かんだ過去のハイライトが、マコトの脳裏に次々と流れ込んできた。ガイの壮絶な人生が明らかになったが今は関係ない。


「俺はな……お前が知りたい!」

「………………はぁっ?!」

 突然の告白にマコトは固まる。


「お前の気持ちが俺はわからねぇ。今まであったどんな奴と比べても特にわからねぇ」

「な、何それ? 意味がわからない!」

「だから気になるんだよ。そうか……これが“好き”ってことなのか? そうなのかマコト?!」

「し、知らない……来るな馬鹿!」

 にじり寄るガイの顔面にマコトのパンチがクリーンヒットする。

 盛大に鼻血を吹き出してガイは倒れ、マコトも顔を真っ赤にして部屋を去っていった。


「……何であんなこと言った?」

 唖然とするユングフラウは血だらけの顔で天井を虚ろな目で見詰めるガイに言う。


「好意がある、そう思ったからだ」

 ガイにはマコトが異性として自分のことを意識しているのに気付いていた。今の場で突然、自分からアプローチをかけたのは自分でもよくわからなかった。


「俺は相手の心が読めた……けど、その心までは理解してはいなかった。いや、しようとしてなかったんだ」

 手の甲で鼻血を拭うガイ。思っているより血の量が多くて、滴が頬を垂れ落ちる。


「マコトはユングフラウのことを虹浦セイルって言ってたな。それはあの人のことなのか?」

「……そうだな。セイルは生き別れた姉妹のような存在だった」

「なんで死んだんだ?」

「…………寿命だ」

 一呼吸置いてユングフラウは語る。


「セイルは自分から作られたクローン人間だ。本来なら十代の内に死ぬはずだったんだ。けど、セイルは死ぬ間際までアイドルとして皆を笑顔をするって夢を貫いた。お前を拾ったのも笑わないお前を笑顔にしたいからと」

「だが、ユングフラウ……アンタがそれを邪魔したんじゃないか?」

「自分も昔は孤児で戦場で育てられた……世間一般の子育てとはかけ離れたやり方しか出来なかったのは謝る。済まなかった」

 ユングフラウは頭を深く下げるがガイはそれを見ているだけで何も言わない。


「俺を何と重ねた? アンタが恨んでる俺の影ってなんだよ?」

「それは父…………いや、世界を混乱に導く悪魔のような男だ」

 その人物を思い出すだけでユングフラウの体に寒気と震えが起きる。

 自分を生み、セイルと言う哀しき存在を作り、人生を狂わせたあの男をずっと恨んでいたのだ。


「奴はまだ姿を変えてまだ生きている。イデアルフロートの研究者……奴を止めないとまた多くの犠牲者が出てしまう」

「それが俺に似ているってのか?」

「……そうだな、面影がある」

 ユングフラウの頭の中で思い描くあの頃の男と今のガイは似つつある。それがどうしてなのかユングフラウは言葉では言い表せなかった。

 言うなれば直感でガイのことが憎いと感じてしまったのである。


「そうなのか…………よし」

 暫し考え、ガイは何かを決心して立ち上がった。


「俺がユングフラウの闇を晴らしてやる」

「何だと?」

「アンタの中にある俺の影は俺が何とかする。いつもの力は使えないが、それでアンタが笑顔になるなら何だってやってやるって言ってるんだ。必ず俺がソイツをブッ飛ばす、それでいいだろ?」

 先程の暗い顔はどこへやら、ガイに明るい表情が戻る。


「そうと決まれば特訓だな。付き合ってもらえるか?」

「……ふん、厳しいものになるぞ?」

「殺すつもりでかかってこい!」

 握手を交わすガイとユングフラウ。

 二人の間に長く隔たれた心の壁は、この日を境に消滅した。


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