472 本音のコラム



2017.04/ボイジャー・プレス(電子書籍)

<電子書籍>ONLY

【評】う


●アズサ先生こらむノート



2005年10月7日から翌年9月29日に渡って東京新聞に連載した53篇のコラムを収録したもの。



 唐突であるが、『マンガ青春記』に記述されている、『まんが道』でおなじみのテラさんこと寺田ヒロオ最後の連載に対する中島梓の所感を引用させていただくことにする。



 暗い話もあった。――その昔「スポーツマン金太郎」「暗闇五段」で一世を風靡した寺田ヒロオの、数年ぶりの連載がはじまった。「ノンキ先生マンガノート」というもので、その内容は、昔気質のマンガ家ノンキ先生の日常を描きつつ、バイオレンスと下品と売らんかなのこのごろのマンガの惨状をうれえるというもので、早い話がグチ・マンガといってよかった。絵も「スポーツマン金太郎」のときと、まったくかわってもいなかった。そのころ、もはやマンガでなく劇画だとか、COMや新しい雑誌の創刊でおそろしく活気づいていたマンガ界のうごきに、ついてゆけなかった「老大家」のおもいが、いたいように私の胸につたわってきた。私は寺田ヒロオもその作品も好きであった。しかし、だからといって、どうなることのできるものでもなかった。この連載は二、三回であっさり消えたにもかかわらず、私の心の中にいつまでも、ふしぎな苦い影をおとした。




 ちなみに中島梓は基本、記憶だけを頼りに書いているので、実際は正しくは『ノンキ先生まんがノート』という表記で、連載回数も全八回のようである。

 テラさんの詳細に関しては名作『まんが道』や続編『愛…知りそめし頃に…』を読んで切なくなってくれとしか云いようがないが、ともあれ、この寺田ヒロオ最後の連載が中島梓に苦い影を落としたのは事実だろう。たしか他の著作でも二、三度、この作品について触れていた記憶がある。(ちょっとどこに書かれていたか定かではないので、後日判明したら追記する)すべての記述で一貫していたのは、時代に取り残されて老大家となってしまうことへの悲しみと恐れだった。寺田ヒロオに関すること以外でも、一時期までの栗本薫はよく「老大家になどなってやるものか」という気持ちを記していた。

 だが実際のところ、彼女の晩年は「老大家」以外の何物でもなくなっていた。年齢的には四十代というまだまだ脂の乗ってしかるべき時期に、すでに世間的にも読者の見解的にも、彼女は「固定ファンのいるシリーズを出し続けているだけの老大家」であった。

 栗本薫がネット上で「温帯」という俗称で呼ばれていたのも、御大となることを嫌っていた彼女が老害御大そのものとしか云えないような言動を繰り返したことに対する皮肉として「御大じゃないなら温帯だな」とつけられたものだと記憶している。(ちなみに自分はこの蔑称はあまり好きではないので使わないようにしている)


 ともあれ、ヤングアダルト向け小説草創期の立役者であり、JUNE・耽美小説の中心人物でもあった栗本薫が、市場がライトノベル、BL小説へと確立されていくに従って支持を失い、自己肯定のために他者を貶めるような不要な発言を繰り返す老大家へとなっていく姿は、革新していくマンガ界についてゆけなかった寺田ヒロオの姿と悲しく重なる。

 そんな彼女の最後の商業連載コラムである本作は、老大家のグチ・コラムとしか云いようがない代物となっている。

 中島梓が『ノンキ先生まんがノート』に感じた苦い影は、未来の自分の姿を見ていたからだったのかもしれない。

 あと高い。

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