445 グイン・サーガ・ワールド 5

2012.09/ハヤカワ文庫

<電子書籍> 無

【評】 ―


● 第二期開始


 栗本薫逝去後にグイン・サーガ続編プロジェクトとしてスタートしたシリーズの五巻目。

 第二期となる今巻より本編の直接の続編となる作品二作がスタート。

『パロの暗黒』第一回(著:五代ゆう)

『サイロンの挽歌』第一回(著:宵野ゆめ)

 それぞれ後にまとめられグイン・サーガ正篇の131巻、132巻となったもの。

 よってここでは感想は述べず、いずれそれぞれの巻の感想を書くことがあればそこに回すことにする。


『タイスのたずね人』(著:図子慧)

「グイン・サーガ・トリビュート」と名付けられた、正式な外伝ではない二次創作的な作品を作家に書いてもらうシリーズの一作。著者の図子慧はSFやホラーなど多方面で活躍と紹介されているが、栗本薫との最大の接点であるルビー文庫で書いていたBL作家というのを外しているのは何故だ。ちなみに栗本薫の同人誌『FULL HOUSE』に寄稿したこともある人である。

 さておき本作のストーリーは「湖水警備隊の会計士サファが、大店の妾となった姉が死んだと聞き、顛末を知りにタイスの都を訪れる」というもの。

 会計士と賭けクジ屋という算術を営む人々に焦点を当てたのは、栗本薫とは異なる着眼点としてなかなか面白い。生家の事情を大人になって改めて調べると、幼心に思い込んでいたものとずいぶんと異なる相が見えてくるところや、父の形見の本を取り戻そうと奔走するところなど、小さくあたたかな落着を見せる結末も含め、どこか人情もの時代劇を思わせる展開も悪くない。

 が、これはいたって個人的な感想だが、どうも昔からこの作者の文章に不思議とあまり馴染めず、うまくストーリーが入ってこないでなかなか往生した。下手だかとか難解だとは思わないので、相性が良くないのだろう。

 どうも自分は女流作家に対してやたらハマる文体となんか読みづらい文体が極端に分かれるので、あまり平等な本読みとは云えない。



『現実の軛、夢への飛翔 ―栗本薫/中島梓論序説―』第一回(著:八巻大樹)

 著者の八巻氏は『グイン・サーガ』執筆時に過去の記述との矛盾のチェックなどをずっと行ってきた、栗本薫が自作の最大の理解者の一人と認めていた人とのこと。グイン・サーガ関連では旦那の今岡氏、ファンクラブ会長の田中勝義氏と並び、よく目にする名前である。

 本論では「栗本薫」「中島梓」の名義使い分けに関して資料をあげて考察し、一般的には「小説家:栗本薫」「評論家:中島梓」と思われているが、栗本薫は小説家の前に評論家として先に世に出た名前であること、栗本名義の評論と中島名義の評論が同時期に発表された時期が一年以上続いたこと、挙句には一作のみではあるが中島梓名義で発表された小説があることを示し、鹿野地ヨガ無意識的なものにせよなにを基準に名義の使い分けをしていたのかを解き明かそうと論じている。

 小説家デビュー前の、彼女自身のいうところの「埋め草雑文」のほとんどは単行本化されておらず、それゆえ後からきた読者である自分は読んだことのないものがほとんどだ。そのため、いざ表にして列挙されると「え、栗本名義の評論・エッセイこんなにあったんだ?」と素直に驚いてしまった。

 石田美紀の『密やかな教育―“やおい・ボーイズラブ”前史』での栗本薫論や、雑誌や同人誌で円堂都司昭が論じた栗本薫論にも言及するなど、データとしては非常に細緻で、栗本薫当人の単行本ばかりを追いかけている自分としては感嘆するよりない。


 が、栗本薫は男性人格であり中島梓は女性人格である、というここまでの結論は「うん、知ってた」としか言いようがないものである。

 まあ、そもそも出版前のもののチェックをしていた人間という時点で「お前、チェックしていてあの誤字脱字矛盾点の嵐かよ」という気持ちになってしまい、すでに人物としての信頼できなくなっているところではある。ましてや評論というのは作者自身の気づいていない傷や痛みに触れなければただのちょうちん持ちにしか見えないし、実際に栗本薫が劣化したかどうかは主観の問題になるとはいえ、多くの読者に批判される作品となったというどうしようもない事実に触れることのできそうもない『グイン・サーガ・ワールド』での発表という時点で、栗本/中島評としては期待できない代物である。


 案の定、1994年に中島梓自身が栗本薫を評した文での「栗本薫ほど論じるのが難しい作家はいない」「彼女には論じる『ワク』がない」という論をひっぱってきて、その通りであるとしている。

 自分はこのブログ等のレビューで何度も書いているように、栗本薫はおそらく日本で初めてプロになった生粋の二次創作小説家であり、彼女の創作はすべて自分が好きなものの真似事に過ぎない。その既存の「ガワ」に彼女の持ち物であるルサンチマンと「ホモ好き」という気持ちを詰め込んだものが、彼女の書いた小説のすべてであり、すべてが「ガワ」にとどまる薄っぺらさがあらゆるジャンルでマニアに否定された由縁である。

 一方でどんなジャンルを書いてもつきまとうそのコンプレックスと、そんな無力な若者がついに成長する一瞬へのまばゆい憧憬が、栗本薫の作品を魅力的なものとし、自分のような若者やダメ人間の心に突き刺さってきたわけだが。



『いちばん不幸で、そしていちばん幸福な少女 ―中島梓という奥さんとの日々―』第二部第一回(著:今岡清)

 今回は栗本薫が自分の中にいる赤児の苦しみ、死の間際までついにその赤ちゃんを大人にしてあげられなかったと独白していた話。『いとしのリリー』という作品が栗本薫の内面を理想的に描いた物語であるということがよくわかるエピソードである。

 今岡氏が栗本薫にはじめて仕事を依頼したのは小説家としてのデビュー前であったなど、自分も初耳なことが書いてあり少々おどろいた。栗本薫自身の語りだとデータが曖昧だからなあ……。

 が、「赤ちゃんを拾った」と表現される今岡夫婦の話は美談のように語られているが、このエッセイ中でも「中島梓が一度は本気で離婚を考えていた」と書かれている今岡氏の酒での失態については具体的に語られず「亡妻のことを死んでからべらべらと話しているのに自分のことは晒さないのはずるい」という気持ちの方が強い。

 全体的にこの連載エッセイは自分に関しては汚れる気がないように思え、その辺りがいまいち好きになれない。中島梓との不倫真っ只中に先妻を身籠らせ、同時に太陽風交点事件を起こして小松左京ら大御所の早川からの離脱を招いた、あの時期の最低っぷりとそこでの夫婦のあり方をこそ僕は聞きたいな!



『スペードの女王』

 2008年に出版予定だったが書き上げられずに中絶となった伊集院大介シリーズの長編。

 この『グイン・サーガ・ワールド』最終巻まで分割して連載されているため、感想は最終巻にまとめます。

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