四番目の絵柄 〜未亡人懺悔〜 2

「これらは、すべて亡くなった主人が描いた漫画ですの」


 と、言う緑の微笑に影が重なる。その心の裏ッ側など、わかるものではない。


「主人の門田慎之介かどた しんのすけは生前、“姿鬼八すがた おにはち”名義で漫画を出しておりましたの」


 本棚に並んでいる大量の漫画本……その背表紙に書かれている作者の名は皆、姿鬼八とある。この家の主だった男の作品ならば全巻並んでいても不思議ではあるまい。


 悟は、その名を聞いたことがあった。たしか鹿児島在住の漫画家だ。ただ、亡くなっていたとは知らなかった。剣聖スピーディア・リズナーたる彼が生まれ故郷の鹿児島に帰ってきたのは先々月のことである。






 悟にあてがわれた二階の部屋は八畳間だった。来客用らしい。かの姿鬼八は友人や知人を、ここによく泊めていたという。天気は良く、レースのカーテンがひかれた窓の外から白い光が入ってくる。家の中では自由にふるまってよい、と緑は言っていた。


「うーん……」


 ベッドの上に座り足を組んだ悟は、その上に肘をのせ、頬杖をついた。さきほどの応接間同様、彼の視線の先に本棚がある。そこにもまた、姿鬼八の漫画本がたくさん並んでいる。


「客を寝かす部屋まで、自分の作品を置いとくもんかね?」


 誰に聴こえるわけでもない小声で悟はひとりごちた。漫画家の家だから、どこに漫画があってもおかしくないととるか、それとも客室にまで自分の作品を置く行為を単なる過剰な自己主張と思うか、それは人によるものなのかもしれない。もっとも、これだけの漫画本が整然かつ規則正しく並んでいると、かえって落ち着かない。


(ひとりの漫画家が、いち生涯でこんなに描けるもんかね……)


 彼が、そう思うほどに姿鬼八とは多筆だったようだ。だが、背表紙をよく見ると原作者としてのみ関わった作品も多い。絵を描かず、他の漫画家と組んだ仕事もあったわけか。


 悟は立ち上がり、本棚から一冊取り出した。タイトルは『深夜警察陵辱班 極上新米女刑事』とある。ページをめくってみた。


(ほう、これはこれは……)


 ついついニヤける悟。ヤクザ風の男と裸の女が濃厚過激に絡む絵がそこにあった。若く美しい女刑事が文字通り豊満な身体をはって捜査する、という内容らしい。劇画タッチの絵柄はいかにも大人ウケしそうなもので、男性向け週刊誌に連載されていそうな作風だ。


 次に悟が取り出したのは『明子先生! 俺の性春!!』。こちらの作品をめくってみると、下着姿の美人ヒロインが恥ずかしそうに“ケンジ君、この問題解けたら触らせてあげるから……”と、言っている。家庭教師モノのエロマンガ、のようだ。


 最初に見た漫画と絵柄がずいぶんと違う。不思議に思い表紙を見てみたが、絵を描いているのは同じ姿鬼八である。こちらのほうは劇画風ではなくデフォルメされたタッチだ。キャラクターの頭身が低く、イマドキの萌え絵に通ずるところがある。


 もう一冊、取り出してみた。『スマイル、for me!』というタイトルだ。表紙を見てみると、こちらもまた絵柄が違う。なんと少年漫画タッチだ。悟は開いてみた。


 “いや、お兄ちゃん、やめて!”


 “なんで? 子供のころ僕のお嫁さんになるって言ってたじゃないか!”


 “いけないわ! あたしたち兄妹なのよ”


 “血のつながりはないじゃないか!”


 “でも、でも、お母さん帰ってきちゃう”


 “大丈夫さ、今日は遅くなるって言ってた”


 どうやら義理の兄妹の恋愛を描いた作品らしい。兄が抵抗する妹をベッドの上でおさえつけ、制服を脱がそうとしている。


 “だめ、お兄ちゃん! あたしたち、戻れなくなっちゃう”


 “構うもんか! 僕たちはこれから恋人同士になるんだ!”


 “あはあンっ……お兄ちゃん……………”


「どうでしょうか? 主人の作品は……」


 開けっ放しにしてあったドアの向こうに緑が立っていた。ととのった微笑を浮かべている。勝手に読んだことを咎めている、というわけではなさそうだ。


「なかなか過激で、面白いよ」


 わざとらしく咳払いした悟は書評を述べ、本を棚にしまった。あとで続きを読もう、と思ったことは内緒だ。他にも興味そそられるエロタイトルが目白押しだ。


「お恥ずかしいですわ、主人の作風は“そういうもの”が多かったものですから……」


「作品によって、ずいぶん絵柄が違うんだな」


 漫画家の絵は時期とともに変遷していくものなのだろう。それは悟にもわかるのだが、姿鬼八の場合は少々、極端な気もした。


「“時代とともに客の要求も変わる”、それが主人の口癖でしたの」


と、緑は答えた。






 一階の端にある姿鬼八の“作業部屋”は、ちょっとしたオフィス程度の広さだった。中央には衝立付きの机が三台ずつ二列置いてあり、六人が内側を向いて座れるようになっていた。ここにも本棚があり、やはり家主の漫画たちが並んでいるが、これは仕事で使うためのものなのだろう。その他の棚にも資料類が大量に並んでおり、それらは整然としている。漫画家の部屋とは散らかっているイメージがあるが、鬼八の死後に緑が片付けたのだろうか。


「主人が亡くなったあとも、ここは残しておりますの」


 そう言って緑は、何もない机上を左手でなぞった。指には貞淑の証たる結婚指輪が光っている。


「アシスタントさんたちが出入りしていた頃もあって、忙しかったものですわ」


「あなたも漫画を描くのかい?」


 悟は訊いた。死んだ亭主とは、かなり歳が離れているはずだ。“職場恋愛”だったのだろうか?


「全ッ然!」


 緑は手を振った。セクシャルな唇から白い歯がこぼれた。


「私は漫画を読んだことがないのです。漫画家の妻になる前も、なったあとも、それは変わりません」


「それで、よく出会いのきっかけがあったもんだ」


「私、高校生のとき、近くのコンビニでバイトをしてたんです。主人は煙草や弁当を買いに来る常連でした。もう二十年も前の話よ……」


 緑は窓の前に立ち、外を見ている。スカートを穿いたそのうしろ姿から表情を伺うことはできない。ただ未亡人である彼女の肉体は脂がのった熟れ具合のようで、ウエストや尻に適度な厚みがあることはわかる。それは男から見ればそそるものだった。


「私のことを気に入った主人は猛烈なアタックをかけてきたものです。とっても恥ずかしかったわ。三十歳も年の離れたおじさんが学校やバイト先に毎日のように外車で迎えに来るんですもの……」


 と、言って振り向いた緑の顔は当時とは違うものなのだろう。あどけなかったはずの少女は肉体共々、大人の造形へと変貌していったはずである。それは、姿鬼八という名の漫画家が残した“もうひとつの作品”といえるのかもしれない。


「高校を卒業してまもなく、私たちは結婚しました。当時まだ新築だったこの家には毎日のように若いアシスタントの男の子たちが泊まりこんでいたものです。私は彼らのご飯を作り、彼らの服を洗濯していました」


「相撲部屋のおかみさんみたいだな」


「ああ、そうね……そういう感じだったわ」


 緑は静かに笑った。そのころは爽やかで明るい笑顔を浮かべる女だったのかもしれないが、今の彼女は食虫花のような陰性の魅力の持ち主だった。


「主人はたくさんの人を育てました。当時アシスタントだった子たちの中には人気漫画家になった人もいます」


「旦那さんとあなたのふたりで育てた、ってのが正しいんじゃないのか?」


「そう……そうね、そう言ってくださると嬉しいわ」


 緑は、また悲しげな目をした。なぜだろうか?


「そのパソコンは?」


 悟は部屋の隅を見た。引き出し付きの机があり、その上にデスクトップパソコンが乗っている。


「それも主人の“仕事道具”ですわ。彼にしか開けることができなかった“秘密”があるみたい」


 緑は悟の右側に歩み寄ってきた。腕と腕が触れるほどの距離まで……身持ちが固そうに見える女だが、そのわりにどこか隙があるようにも感じられる。横を向いた悟と長身の彼女とは目線の高さがさほど変わらない。


「漫画にパソコンを使うのか」


「晩年の主人はCG画法も取り入れていました。“技術は進歩するもの”、“良いものは使う”。主人のモットーでした」


 緑の言葉を聞き、悟は藤代グループ会長、藤代隆信ふじしろ たかのぶのことを思い出した。あの老人は、かつて武器職人だったころアメリカ製のスーパーコンピューターを商品製作に導入していたという。“長年培った腕と勘だけが頼り”という古風な同業者からは随分批判されたそうだ。


 晩年になっても新しい技術を駆使していた姿鬼八という男も隆信同様、古いしきたりにこだわらないタイプだったのかもしれない。さきほど気になった絵柄の変遷も、時代や需要に合わせた結果とも思える。職人とは自分でなく客に合わせるもの、ということか? いち剣客の悟には、わからない点である。


「漫画家のパソコンか。興味あるなぁ。見てもいい?」


「いいわよ。でも、パスワードがわからないの」


「パスワードか」


「主人は、このパソコンを見られるのをやけに嫌がっていたわ。私にも、アシスタントの子たちにも見られないようにしていたの」


 緑は、すこしだけこちらに体重をあずけてきた。長い髪が悟の頬に触れた。


「あなたは、旦那さんを“愛していた”のか?」


 悟は訊いた。まだ少女だったころから身も心も、そして時間すらも捧げ、女ざかりに到達した今、先に逝かれた彼女は、夫のことをどう思っているのか?


「愛していた? 違うわ」


 緑は悟からやや離れ、そして薄ら笑った……


「“愛している”のよ。今でも鬼八は、私にとって最愛の夫ですわ」




 

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