わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 22


「わたしは先日、病院で“被憑者”と診断されました」


 玲美の告白を聞き、報道陣はざわめいた。国民的トップアイドルが人外に取り憑かれた、というのだから騒ぐのは当然だ。


「昨日、自治体より二級被憑者手帳の交付を受けました。現時点での芸能活動の続行は困難と判断し、しばらく休養することをお伝えいたします」


 言い終えたとき、凄まじい数のフラッシュに顔を打たれた。おそらく、これまでの芸能生活の中でここまで写真に撮られたことはないだろう。映画やドラマの制作会見のときよりも数多く熱いカメラの光を受け、玲美は少し複雑な気分になった。よろこびより不幸のほうが人々の興味を引くのかしら、と……


 ────記者の皆様の質問を受けつけます。なお恐縮ですが、本人の体調を考慮し十分間と制限をもうけますので、手短にお願い致します


 司会の女性が言ったとき、報道陣の手が一斉に挙がった。


「人外の存在に取り憑かれた、ということですよね? いつ頃から?」


「先月の半ばだったと思います」


「現在の体調は?」


「表立った苦痛はありません」


「医師の診断の内容は?」

 

「療養すれば完治する可能性が高い、とのことでした」


「来年春のドラマへの出演が決まっていたはずですが?」


「まだ決まってないんですけど、クランクインまで三ヶ月ほどしかないので、おそらくキャンセルになると思います」


 玲美は懸命にこたえた。元々、質疑応答は苦手だった。何度経験しても上手にならない。自分には台本や歌詞がある仕事のほうが向いている。質問とフラッシュの雨あられに打たれるより、芝居や音楽のほうがよほど楽だ。そう思いながらも背筋を伸ばし、堂々とした態度をとり続けた。何もやましいことはない。正直に告白しただけだ。


「被憑者であることを告白した結果、今後の仕事の継続が難しくなった芸能人がいますよね?」


 週刊ゴシップ誌の腕章をつけた記者から答えにくい質問が飛んできた。被憑者となった者への差別と偏見は社会問題ともなっている。有名人も同様だ。役者ならば共演者やスタッフが拒絶し、プロスポーツ選手ならばチームメイトやフロントが不安視する。日本でも数年前、被憑者となったサッカー選手が所属クラブから不利益に扱われ裁判沙汰になった。


「玲美さん自身、こうやって世間に告白したわけですが、自分が不利になるとは考えなかったんですか?」


「それは……正直、考えました。ですが、共演者の方やスタッフの皆様に間近で触れる職業であるため、隠さずに公表しました」


 玲美はそう答えた。嘘ではない。わたしは、これからも生きる、という決断に至った大きな理由は“ふたつ”だった。鹿児島の施設にいる被憑者の少女との出会い。そしてマネージャー吉田早子の思い。


 鹿児島にいる“自分と同じ名前の少女”は目前の死を知りながらも“アイドルになりたい”と言っていた。そして玲美に“これからもステキなアイドルでいてほしい”と願っていた。


 早子は“玲美のマネージャーとして、もう一度生きたい”と言った。アイドルになれなかった彼女は自分の夢を玲美に託したのかもしれない。


 ふたりの思いを聞いたとき、死を望むことをやめ、生きることを決めたのだ。これからの闘病生活の中でつらいことがあるかもしれない。今、世間に公表したこと自体、すでに苦痛だ。だが、それでも同じ症状にかかっている人たちを勇気づけられるのならば。わたしはアイドル……たくさんのファンに支えられて、今日までやってこれた。恩返しをするには良い機会だ。


 母を死なせた過去。そして、その件を知られ慕っていた早子に責められたこと。死にたいと願った理由はそのふたつだったのだと思う。母が眠る鹿児島で自分の命を絶つ。それは叶わなかった。


 “わたしを殺して……!”


 その依頼を一条悟は断った。思えば彼に出会えてよかった。まゆ子に引きあわされたとき、あの少女の悲惨な現実を見せられ恨んだものだが、新しい一歩を踏み出すことができたのなら、それでよかったのかもしれない。今、自分は生きてここにいる。


「ちなみに、取り憑かれた理由に心当たりは?」


 ────申し訳ありません。お時間となりました。会見を終了させていただきます。


 記者の質問を司会が遮った。人外との契約の証たる陰化性紋が我が身に浮かびあがった理由……それがなんなのか特定は困難だ。いま思えば早子に“母殺し”となじられたことだったのかもしれないが、それは公表しなくてもよいことだ。いずれ過去が世間に知られてしまう日が来るかもしれない。その不安とは今後向き合わなければならなくなると覚悟している。


 不満顔の報道陣に深々と頭を下げ、玲美は退室しようとした。そのとき……


「玲美さん、最後に復帰後の予定を聞かせてください」


 その声に足を止めた。見ると音楽番組で共演したことがある東京キー局の女性アナウンサーだった。玲美はそちらを向き……


「体を治して、また歌とお芝居を頑張りたいと思っています。あと……」


 興味深げな報道陣を前に、トップアイドル杉浦玲美は最後、こう言った。


「今後は被憑者の方々を支援する活動もしていきたいと思っています。こんなわたしでも、力になれるのならば……」






 鹿児島市平川にある被憑者支援施設“やさしさの里”。庭で元気に遊ぶ子供たちは玲美と同じ被憑者である。霊的治療に対応した病院で治療した後、ここで“リハビリ”に励んでいる。男の子も女の子もみんないっしょになってボール遊びに興じていた。誰もが悲壮感を見せず笑顔だ。平和な光景ではないか。今の時間、無人になっている教室に飾ってある杉浦玲美のサインは彼らの宝物だ。彼女の“慰問”を受けてから、皆の様子は以前より明るくなったという。


 建物の一階に“病室”がある。職員の富野光子が窓を開けると良い風が入ってきた。この日の鹿児島は雲が多く涼しかった。


 ベッドに寝ているまゆ子は脇に置かれた小型のテレビで杉浦玲美の記者会見を見ていた。昨夜から発熱が続き、仲間たちの輪に加わることができないのである。取り憑いていた人外と切り離されたあとも気の流れが元に戻らなかったこの少女は、残り少ない人生を健康体で過ごすことができなくなってゆく。次第に動けなくなり、寝たきりになり、やがて死を迎える。


「玲美ちゃん、治るかな?」


 まゆ子は言った。自分の余命がないことを知っていてもなお、玲美のようなアイドルになりたいと願う彼女の声は落ち着いていた。


「大丈夫よ」


 根拠はないのだろうが光子は、そう答えた。さきほどまで、まゆ子の母親と電話で話をしていた。発熱したことを報告したのだ。週末には面会に来ると言っていた。


「そうだね、玲美ちゃん大丈夫だよね」


 と、笑うまゆ子の枕もとにアルバムCDが置いてある。あの日……玲美がここに来た日、サインをしてもらったものだ。


 玲美が被憑者だと公表したことに驚いたのは光子のほうだった。一方のまゆ子は落ち着いてテレビを見ていた。この少女は知っていたのかもしれない。玲美が取り憑かれていることを……


 被憑者が“同類”を認識する。これはよくあることだ。理由は解明されていないが、人外に取り憑かれた者が相手の陰性気質を察知する現象はしばしば見られる。まゆ子は既に“切り離された”身だが、自身の気が正常化していないため、似たような状態の玲美が取り憑かれていることを感じ取った、とも考えられる。


「ここに来たときよりも、今の玲美ちゃんのほうが元気に見えるの。きっと、いろんな“悩みごと”が解決したんじゃないかなぁ」


 まゆ子は言った。やはり真相をついている。だが自分が玲美の決断を促したことに気づいてはいまい。あと一年も生きられない彼女は意識の範囲外で大きな役割を果たしたのだ。トップアイドル杉浦玲美を救ったのである。






 鹿児島市城山にある一条悟の家で私服姿の高島八重子はテレビのワイドショーを見ていた。番組は玲美のこれまでの足跡を振り返っており、女性アナウンサーがボードで歴代CDの売り上げ、過去の出演作品などについて触れている。それに有名司会者が独自の見解を述べ、ゲストコメンテーターたちの意見を聞いていた。


 ソファーに座る八重子はリモコンでボリュームを少し下げ、開けっぱなしにしてある窓の外を見た。秋風がリビングの空気を爽やかに入れ替えている。


(これで、良かったのよね……)


 彼女はテレビに映る玲美の顔を見た。既に終わった会見の様子が録画で繰り返し流れている。


 玲美の今後がどうなるか? それは退魔士の八重子にもわからない。世間に根強く残る被憑者への偏見は今後の芸能活動の前に障害として立ちはだかるかもしれない。玲美は被憑者たちの支援活動をしていくと言った。尊ぶべき意志だが、今までのように女優、歌手としての仕事が減少していくことは考えられる。“普通のアイドル”でいられなくなるのなら、困難な道を選択したともいえる。


 それでもやはり病院に行き、生きる道を選択してくれたことは嬉しかった。八重子自身、玲美のファンである。それは今後も変わらない。


 窓側のソファーでいびきをかいている悟を見た。会見中は起きていたようだが、気づいたら寝ていた。玲美のことを案じてはいるはずだが、やはり何を考えているかは知れない男である。藤代隆信が自分に“監視”と“身辺の世話”を命じた理由もわかる。


(でも、この人が玲美さんを救ったのだ)


 剣聖スピーディア・リズナーとしてではなく、一介のフリーランス異能者として、彼は玲美の心と命を守った。隆信が“無精者”と呼ぶほどにものぐさだが、いざというときは頼りになる男である。そういう点は認めていた。


 八重子は腕時計を見た。午後三時をとうに過ぎている。四日ぶりにここを訪れたが、悟が散らかし放題にした家の中の掃除はまだ途中だ。さっさと終わらせて夕食の準備をして帰ろう。そう思い立ち上がった。


 “くしょん!”


 悟がくしゃみをした。寝ながら鼻をすすっている。彼の秀麗な顔が、このときばかりは間抜けて見えた。母性本能でもくすぐられたのかしら?


 八重子は涼風を受け入れる窓を静かに閉めた。その後、悟の体にタオルケットをかぶせると部屋を出た。テレビを消さなかった理由は、ワイドショーが杉浦玲美の『前を向いて、生きるわ』を流していたからだ。それが玲美の、悟に対する約束と感謝、そして“回答”のように思えたのだ……

 





『わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜』完。






 

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