わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 12
二階建ての建造物の玄関に“社会福祉法人愛顕会 被憑者支援施設 やさしさの里”と書かれた看板があった。無機質な外観にそぐわない名前である。
「ここは小児被憑者の支援施設なのさ」
悟は言った。
「でも、事務所を通さずに慰問なんて……」
横に立つ玲美は渋った。
「あれ? 君は芸能人を辞めるって言って飛び出して来たんだろ?」
「それは、そうですけど……」
「大丈夫さ、ここの連中は口が堅いから」
ウインクした悟は玲美を促し、中へと入った。
中は静かで薄暗い。入り口の受付に人はいなかった。外観同様に無機質な廊下の電気はついておらず、何者の気配もない。ただ、スリッパに履き替えたふたりの足音のみが響く。部屋がいくつかあるが、素通りして先へゆく。
玲美は不安そうな表情である。いきなり被憑者の慰問と言われれば当然だろう。
「ここだ」
悟はドアの前で立ち止まった。“教室”と書かれた札がかけられている。
「“ゲスト”は君だ。開けてみな」
彼は言って引手を指差した。玲美はしたがって、ゆっくりとドアを開けた。
中はカーテンが閉まっているのか真っ暗だった。そして、しんと静まり返っている。彼女は一歩、中に入った……
そのとき突然、灯りがついた。ついで、数発のクラッカーが鳴り響いた。
「わあっ……!」
紙テープが舞う中、すでに立ち上がっている子供たちが歓声をあげた。
「玲美ちゃんだ! 玲美ちゃんだ!」
「本物だ!」
「サインして!」
「握手して!」
女子も男子も全員が集まってきた。皆に囲まれ、困惑気味の玲美。
「はいはい、みんな席に着いて! せっかく来てくださった杉浦玲美さんに失礼でしょ」
若いエプロン姿の女性が手を叩いた。ここの職員で
彼らは皆、人外に取り憑かれたのち病院で霊的治療を受け、現在ここでリハビリしている小児被憑者である。
「握手握手!」
「あ、おれが先!」
「わたしが先でしょ!」
群がる子供たちに笑顔を見せる玲美はさすが芸能人である。さきほどまでの陰鬱な表情の一片も見せない。
「あー、ほらほら並んで、順番順番」
彼らを制するため、悟は両手をあげて前に出た。すると……
“ぐはっ……!”
数人の元気な子供たちから肘打ちと膝蹴りと正拳突きを受け、悟はうずくまった。クリーンヒットである。
「誰だよ、オッサン!」
「引っ込んでろよ!」
悟をおしのけて、またも玲美に握手を求める彼ら。剣聖スピーディア・リズナーは子供に弱い。
二十人ほどの子供たちのほとんどは見た目“正常”である。だが、中には“回復”しきっていない異形の子もいる。頭に角が生えたままの女の子や牙を生やしている男の子だ。獣化の後遺症であり、このまま治らなかった場合、外科手術で取り除くことになる。
一番最後に握手を求めた男の子は遠慮しているのだろうか? 俯きながら鱗に覆われた右手を差し出した。奇異なせいで応じてもらえるか不安に違いない。
「あなたが最後ね、こんにちは」
玲美は笑顔を崩さず、その手を両手でしかと握った。男の子は嬉しそうに微笑んだ……
この“やさしさの里”を運営している公益法人愛顕会には藤代グループが多額出資している。悟は会長の藤代隆信に口利きしてもらい、今回の慰問にこぎつけたのだった。
「では、杉浦玲美さんに質問ありますか?」
教壇に立つ光子が言った。職員の彼女は普段、ここで子供たちの世話の他、勉強を教えることもしている。
「はい! はい!」
大柄な男の子が大きな声で手をあげた。
「はい、じゃあ、つとむくん」
「彼氏いますかぁ?」
光子からつとむと呼ばれた子は黒板の前に立つ玲美に対し遠慮ない質問を浴びせた。すると、教室の後ろに立つ悟が両手で大きくバツマークを作った。
「はい、その質問は“付き人”の方からNGが出ました。次!」
光子が言った。付き人とは悟のことらしい。子供たちからブーイングがおこる。
「今は、いません……事務所が厳しいんです」
悟の仕草がおかしいのか、それとも子供たちの様子が微笑ましいのか。玲美は笑いながら答えた。すると男子たちから歓声がわいた。
「なによ男子、彼氏くらいいてもいいじゃない!」
「ほんと、男ってバカねぇ」
「女子ども、うるせぇ」
「アイドルなんだから、いなくて当然だろ」
男子と女子が言い争いをはじめた。
「はいはい静かに。玲美さんが困ってるでしょ」
手を叩き、光子が沈静を促した。すると、ショートヘアの女の子が手をあげた。
「はい、さくらちゃん」
「玲美さんのお給料って、いくらくらいですか?」
さくらと呼ばれた女の子が訊いた。すると、またも悟はバツマークを作った。
「はい、それは企業秘密だそうです」
と、光子。横で玲美は、またも笑っている。
「つーか、付き人超うぜえ」
「なんなんだよ、こいつ」
「オッサン、黙ってろよ」
男子の突き刺すような視線に悟はしょぼくれた。世界的スーパースター、剣聖スピーディア・リズナーも形無しである。
「じゃあ、玲美さんって一年のうち何日くらいお休みがあるんですか?」
さくらが訊きなおした。
「うーん、ドラマの撮影があるときは三、四ヶ月くらい休みなしかな。ちなみに去年のお休みは全部で二十日くらいでした」
と、玲美。
「わー、ブラックじゃん」
「芸能界こえー」
「きつそー」
トップアイドルの過酷な現実を知った子供たちの驚愕の声が響く。
「はい、じゃあ次の質問は?」
光子が言うと、おさげ髪の女の子が手をあげた。
「はい、“まゆ子”ちゃん」
「玲美ちゃんみたいなアイドルになるにはどうすればいいですか?」
まゆ子と呼ばれた女の子は真面目な表情で訊いた。
「あなたは、アイドルになりたいの?」
訊き返す玲美。まゆ子は頷いた。
「無理無理、お前みたいなブスがなれるわけねーだろ」
「身の程を知れよ」
「男子何様? あんたたちこそブサイクの極致でしょ」
「マジで男共うっとうしいんだけど」
またも険悪になった男子と女子が舌戦を繰り広げる。だが、まゆ子はその中に加わらず真剣な様子を崩さない。どうやら本気でアイドルになりたいらしい。
「なれる、って信じることかしら? あとは、そう……気力体力!」
玲美は輝く笑顔で、そう答えた……
昼休み、子供たちは全員、庭でボール遊びをしていた。こうやって見ると被憑者とは思えないほどに皆、元気である。
「アイドルになりたい、か……わたしも、あれくらいの年のころ、いつもそう思っていたものです」
さきほど、その質問をしたまゆ子が、ボールを持って男子を追いかける姿を遠目に見ながら玲美は言った。トップアイドルたる彼女にも華やかな世界に憧れた少女時代があったらしい。母親からの虐待を受け続けた日々の中、将来の夢にひたることで心身の正常を維持していたのかもしれない。
「でも、まゆ子ちゃんのその夢が叶うことはないんです」
隣に立つ光子が言った。ここの職員である彼女もまた、そばかすが残る顔を子供らに向けている。
「なぜですか?」
訝しげに玲美は訊いた。すると、光子はこう答えた。
「あの子は、あと一年も生きられない体なんです……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます