【06】 陰陽師、見参 ― A Yin-Yang Diviner Arrives ―

魔獣ケルベロス


 もしかして、あいつ、殺人鬼に――。


 そう不安に思いながら、ヒロタの身を案じて、他の皆と一緒に、物音がした通路へと急ぎ出た。

 すると、こちら側にある、両端を閉じた防火シャッターで塞がれている通路から枝分かれして伸びる通路の曲がり角付近で、何かに怯えるように上半身を反らしながら、腰砕けにへたり込んでいるヒロタが見えた。傍には、ペットボトルが床に転げて、小さく泡を吹かせながら、コーラを通路の床に零れさせている。

 そのヒロタの元に近寄ると、その先――まっすぐ伸びる通路の反対側の、元来た通路へと繋がるように直角に折れている辺りに、一匹の野犬がいた。よっぽど腹を減らしているのか、通路に転がっている鼠の死骸らしきものに、その獰猛な牙を突き立てている。

「ま、魔獣……ケルベロスが……」

 ヒロタが、あわあわとしながら救いを求める。

「く、食い殺される……」

「何がケルベロスだよ……どう見てもただの野良犬だろ。ゴーストハンター様が、聞いて呆れるぜ」

 とマキトは、蔑むような目を向けてから、

「でも、どっから入って来たんだ? もしかして、防火シャッターが開いたのか?」

「いや、防火シャッターは、どっちも閉じたままだった」

 とボク。

「だったら、どっからなんだ? さんざん調べ回ったけど、脱出できるような場所なんてなかったろ」

「たぶん、さっき調べた、奥の調理室にあった天井の換気口からでも紛れ込んだんだろ。ボクたちには無理でも、あの痩せ細った野犬だったら、出入りすることはできたはずだ」

「何だ、そういうことか」

 マキトを納得させつつ、ボクの中には、ある懸念が浮かんでいた。

 もしかすると、あの獰猛そうな野犬は、殺人鬼が、ボクたちを襲わせようと、ここへと送りこんだのかもしれない。

 そんな風に不安を感じていると、

「ちょっと、そんな呑気にしてていいの?」

 とココナが焦りを滲ませながら。こいつに呑気者扱いされるとは思わなかった。

「あの野良犬が襲ってきたらどうするのよ」

「大丈夫だって。子供が野良犬に襲われたりする事件は良く聞いたりするけど、高校生でこれだけの人数がいたら、さすがに襲いかかろうなんてしないはずだ」

 ボクは安心させようとそう言ったけれど、それが間違いだってことがすぐに分かった。

 食事を終わらせたのか、野犬は、こちらを向くと、その獰猛な牙に涎をだらだらと垂らしながら、ぎらぎらとした双眸でこちらを睨みつつ、


 グゥルルゥルルウウルルウウゥウウゥ……。


 威嚇するように喉を鳴らしながら、こちらへとにじり寄って来た。

 獰猛さを色濃く滲ませる、その凶暴に歪められた顔に、思わず身体が竦む。

「おい、お前、ゴーストハンターだったら、なんか武器とかもってないのかよ」

 余裕の態度から一転、焦りを滲ませながら、マキトがヒロタに言う。

「よ、よし、ちょ、ちょっと待ってろ、今、なんとかする」

 ヒロタは、よろけながらも何とか立ち上がり、背中に背負ったままでいたデイパックを下ろすと、その中から、あれでもない、これでもない、と、どこかの未来からやって来た青い猫型ロボットがパニクった時のように、「それでどうやって悪霊を刈るんだ?」と突っ込みをいれたくなるようなガラクタを散らばせつつ、「あった!」とその中からボウガンと矢をとりだした。

「このボウガンは、射出スピードを限界まで上げた改良品で、しかもその矢は、鉄でできている。鉄は、悪魔を退治する力をもっている。相手がケルベロスだろうとなんだろうとこいつにかかれば――」

「能書きはいいから、早くそいつでやっつけろよ! 噛み殺されちまうぞ!」

 怒鳴りつけるように急かされたヒロタは、「そ、そうだな」と震える手でボウガンに矢をセットして構えると、にじり寄る野犬に狙いをつけ、その矢を放った。


 バシュッ!


 凄まじい勢いで射出されたボウガンは、虚空を切り裂くようにつきすすみ、そして、狙った獰猛な野良犬を、


 外した。


 ガキン! キン……キン……。


 鉄製の矢が、あらぬ方向の通路の床に、甲高い音を立てながら弾かれ、撥ねるように通路の上をバウンドする。

 危惧していた――いや、予想通りの展開。

 その攻撃が気に触れたらしく、野犬は、


 ウォオオオオオオオオオオオオン!!!


まるで、RPGゲームに登場する魔獣のように、廃病院中に響き渡るような、猛々しい咆哮を上げると、こちらへと駆け出し始めた。

 ヒロタが、焦りながら、慌てて第二撃を放とうとするけど、それも間に合わない。

「きゃーーーーーっ!!!」

 ココナの絶叫が、こだまする。

「ココナ!」

 僕は必死に、その前に立ちはだかった。

 その時、


 ガシャァァアアアアアアアアアン!


 罅の入っていた通路の窓が、大きな音を立てて突然外側から破られたかと思うと、一人の、長髪を後ろで結わえた羽織袴姿の男性が、ボクたちと襲い来る野良犬の前に、ひらりと舞い降りた。


 !?


 突然の出来事に、呆気にとられるボクたちを前に、羽織袴の男性は、続けざまに、背中に提げていた鞘から、一本の怪しく刀身を輝かせる日本刀を、すばやく抜きとり身体の前で構えると、獰猛な牙を突き立てようと、飛びかかってきた野良犬に、

「はぁあああああああああっ!!!」

 気合い一声、その日本刀を振り下ろした。


 キャゥウウウウウウン!


 野良犬が、やけにしおらしい鳴き声を上げながら、弾き飛ばされて通路に転がり、ぴくぴくと痩せ細った身体を痙攣させる。

「……安心しろ、峰打ちだ」

 決め台詞のように言いながら、ちゃきんと背中に提げた鞘に、日本刀を収める。

 そして、おもむろに、その眉間に深い縦皺を刻んだ厳めしい横顔を向けると、低く良く通る声で、

「悪鬼は成敗した。だが、まだ安心はできない。ここには他にも、うようよと魑魅魍魎どもが巣くっているようだからな」

 ヒロタは、まだ震えがとまらないでいるのか、ほうほうのていながらもその傍に近寄ると、

「か、神薙かんなぎカムイさんじゃないですか……?」

「私を、知っているのか……?」

 羽織袴の男性が、一瞥しつつ返す。

「やっぱり! 俺、大河内ヒロタっていいます。ゴーストハンターやってるんですけど、神薙さんの噂をいつも耳にして、ずっと尊敬して憧れてたんです!」

 嬉々としてまとわりついてくるヒロタに、羽織袴の男性――神薙カムイは、顔を背けながら、

「……好きにしろ」

 その低音のトーンを少し上げながら答えた。まんざらでもないらしい。

「ありがたき幸せっ!」

 ヒロタは、さらに喜びを一杯にすると、

「その日本刀、もしかして、噂の『蜻蛉丸かげろうまる』じゃないですか?」

「うむ、いかにも」

 と神薙がその尖った顎を引く。

「平安時代の、ある高名なる刀鍛冶が、長い年月をかけて鍛えた、この世に二つとない、そして、この世で唯一、実体のない魑魅魍魎を斬り裂くことのできる、霊験あらたかな神刀しんとうだ。この神刀であれば――」


「誰なんだ、あのおっさん……?」

 少し距離をおいて、茶番のような二人のやりとりを眺めるマキトが呟く。

「そっか。マキトはここが地元ってわけじゃないから、知らないのも当然だよね」

 先程まで怯えきっていたはずのココナが、危機が去ったとあって、けろりと物知り顔で言う。

「ヨウは知ってるでしょ? あの人のこと」

「いや、知らないな」

 まったく覚えがない。

「えっ、知らないの?」

 ココナは掌を口許に添えて、わざとらしい驚きを示すと、

「まあ、ヨウちゃんだからね。いつも陰気な殺人事件の本ばっかり読んでるから、そうやって、世間から取り残されていっちゃうんだよ」

「余計なお世話だ」

 不服を返しつつ、

「そんなに有名人なのか?」

「ここらあたりじゃ、ね。高名な陰陽師の末裔だとかで、悪霊退治を仕事にしてる人」

 その神薙は、その眉間に深く刻んだ縦皺が、少し老けて見せさせてはいるけれど、実際は、まだ四十前後程度だろう。深い藍色の帯や紐以外は、黒ずくめな羽織袴といういでたちで、確かに、それらしい雰囲気がある――ような気もする。

「陰陽師って、ほんとにいるんだな。オレ、映画とかの中だけだと思ってたよ」

 とマキトが感心したように。

「陰陽師を今でもやってる人は、今でもたくさんいるらしいよ。だけど、あの人が陰陽師かどうかは別」

 ココナが、その神薙に聞こえないようにか、声を落として囁く。

「陰陽師の末裔だとか、凄い霊力を持っているだとかいうのは、全部自分でそう言ってるだけで、ほんとは、実家は八百屋さんで、陰陽師とはまったく関係ない人なんだって。神薙カムイっていかにもな名前も、偽名だって噂」

「……それってもしかして、いわゆる、『アレな人』ってことか?」

 とマキトが、その神薙に胡乱げな眼差しを向けながら問いかける。

 ココナは、いつにない複雑な顔を浮かべて頷きつつ、

「そう、『アレな人』なの」

 二人に悪し様に言われている、 その陰陽師を名乗る『アレな人』な神薙が、なんで、映画のアクションシーンさながらにボクたちの前へと現れたかというと、ヒロタの質問に答えている彼の言葉から察するに、こういうことらしい。

 ここに棲みついた悪霊を成敗するべくやって来て、L字型のこの廃病院の、直角に折れた先の屋上に上がった時、ヒロタの上げた悲鳴を聞いて、すぐ下に見えていた最上階の通路の窓越しに、ボクたちが野犬に襲われそうになっているのを見つけて、これはいかん、助けなければと、その屋上から、こちらの通路の割れている窓へとダイブして来たらしい。両足に履いているのは草鞋だというのに、よくそんな無茶ができたものだ。色々と言われているらしいけれど、ヒロタ以上の変人だってのだけは確かだろう。

 だけど、とりあえず、彼に窮地を救われたのは事実だし、ふがいないゴーストハンター様よりは幾分頼りになる存在が現れてくれたおかげで、ボクは、少しだけ安堵することができていた。


 いつその凶手が及ぶかもわからない、殺人鬼の陰に怯えつつも――。

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