【05】 忌まわしき逆さ十字 ― Loathsome Inverted Cross ―

ロケット花火

 休憩室に戻ると、灯されていた二本目の蝋燭がその身を溶かし、灯りを消していた。

 窓外に望んでいた月も、雲間に隠れたせいか、懐中電灯で照らさない限り、互いの顔を見分けるのがやっとなくらいの薄闇が包んでいる。


 シュボッ!


 カチリとボタンが押されると、百円ライターが小さく灯った。

 三本目の蝋燭に、その火を点したマキトが、ぼんやりとその輪郭を浮かび上がらせながら、

「これで、ちっとはまともになっただろ」

「ご苦労、闇は人の心も暗くするからな」

 とヒロタが満足げに。

「それにしても、何で死体なんかが、冷蔵庫から出てくるのよ……」

 死体を見てからというもの、ずっと青ざめているココナが嘆くように。

「見た感じ、中年のおっさんで、薄汚れた格好で死んでたから、この廃病院をねぐらにしてたホームレスとかなんだろうけどな」

 そう答えたマキトを含めた他の皆も、死体を前にしたとあって、先程までよりも深刻な面持ちになっている。

 その冷蔵庫から出てきた死体については、調理室の隅に押しやられて、そこでビニールシートの切れ端を頭に被っている。

 その死体を見つけてココナが悲鳴を上げた後、他の部屋部屋を調べて回っていた皆が、何が起きたんだと、急いでその場に駆けつけてくることになった。

 誰もが驚愕におののいた。死体を目の当たりにしたのだから、当然だ。普段から、殺人事件何かを趣味で調べている傍ら、雑誌や動画何かで、事故に遭ったばかりの死体や、腐乱死体何かを見慣れているボクでさえ、直にこの目でそれを目撃させられたのは、これが初めてのことだった。

 ただ騒ぎ立てたところで、この状況では、どうすることもできない。

 どう処理するかは、助けが来た後、警察に任せることにして、とりあえず、現場保存のためにも、あまり触れない方が良いだろうと、ボクが引きずるようにして隅に寄せた後、同じ調理室の床に落ちていたビニールシートの切れ端を、凄惨な傷痕を覗かせる頭部に被せるだけして、その場を離れた。

「その冷蔵庫が稼働していたことを考えると、殺したやつが、この暑さの中腐乱しないように、そうしたんだろうな」

 とボク。

「医者とか警察じゃないから正確なことは言えないけど、見た限り、死んでからそれほど長い時間が経っているとは思えない。殺されたのは、最近のこと――二週間と経っていないはずだ」

「殺人事件オタクの見解、ってやつか」

 マキトは、皮肉めいた言い方をしてから、

「にしても、なんでホームレスが殺されないといけないんだよ」

「それは……」

 ボクは言葉を濁した。

「言えよ」

 はっきりしないでいるのに苛ついたようにして、マキトが厳しく言葉を突きつける。

「四年前の事件の犯人――連続殺人鬼インバ―テッドクロス・キラーがやった以外に考えられねーだろ。あの防火シャッターも、その殺人鬼が、俺達をここに閉じこめるために閉じたんだよ」

 ボクもそう考えてはいたけれど、口にはしないでおいた。

 他の皆もそうだったんじゃないだろうか。

 それを口にしてしまうと、連続殺人鬼インバ―テッドクロス・キラーの存在を肯定してしまうような気がして――。

「あの死体になったホームレスは、その殺人鬼に殺された。死体をバラバラにしたりするようなイカれたサイコ野郎だからな。そいつなら、死体を大事に冷蔵庫に保管してたりするくらいはするだろ。そして、俺達をここに閉じこめておいて、あとから全員殺そうとしてやがるんだよ」

 マキトが、やり場のない怒りを吐きつけるように。

「だけど、なんで我々を狙ったんだ?」

 とヒロタ。

「ここでは、前に肝試しをしていたやつがたくさんいたはずなのに、そいつらは殺されてない」

「そりゃあ、そのブームが終わるのを待ってたんだよ。たくさん押しかけられたら、バレずに殺すのが難しいからな」

 とマキト。

「いや、やっぱり違うと思う」

 とボク。

「殺人鬼の犯行にしては、色々と疑問な点が多い」

「だったら、誰の仕業だってんだよ」

 喧嘩腰に食ってかかるように返すマキト。この最悪な状況と蒸し暑さで、いつもの余裕をなくしているようだ。

「それは分からないけど……」

 と追求を逃れるように、顔を俯かせた。


          *


 それからしばらくの間、重い沈黙が下りていた中で、全部で三本あった内の最後の一本だった、テーブルの上に固定されていた花火用の蝋燭が、その身をすべて溶かして、灯されていた明かりが消えた。

 薄闇に染まる中、ボクは無言で、代わりに、懐中電灯をテーブルの上に置いた。

 頼りないながらも、再びの明るさを取り戻した中で、ココナが不安げに、

「ねえ、やっぱり、呪いとかなんじゃない……?」

「呪いぃ? そんなのあるわけねーだろ」

 マキトが、馬鹿にするように、すぐさま一蹴する。いつもなら、ココナがどんなくだらない話しをしても、ちゃんと耳を傾けてやろうとするこいつだけど、相当苛ついているらしい。

「だって、携帯もつながらなくなってるし……」

 しゅんとしたようにココナが呟く。

「それにしても、あついな。すぐに喉がからからになってしまうよ」

 ヒロタが、額に汗を滲ませながらげんなりしたように言い、手にしたコーラのペットボトルを口へと傾けた。剣呑な雰囲気になりかけているというのに、一人マイペース。

「おい、水分補給はほどほどにしとけよ。水分は限られただけしかないんだからな」

 ボクが注意すると、ヒロタは、ペットボトルを口から離して、ぷはあと息を吐くと、しかつめらしい顔をしながら、

「熱中症対策を怠るわけにはいかないからな」

「お前は飲みすぎなんだよ」

 とマキトが睨みつける。

「ダイエット中なんだったら、少しは我慢しろよな。シュンを見習えよ。まだ一口も飲んでないだろ?」

 ボクたちの食料と水は限られている。打ち上げのために用意していた菓子類やジュースは、何日分という量があるわけじゃない。

 後からやって来たシュンは、ミネラルウォーター入りのペットボトルを一つ持参しているだけ。

 他にあるものと言えば、塩。

 その効果がまだどこにも見られないダイエットに励んでいるというヒロタは、食料品は持参して来ていないけれど、塩ならたくさん持って来ているらしい。なんでも、魔除けのために必要なんだそうだ。葬儀の後に塩を身体に振りかけたりもするし、確かに、古来から塩には魔除けの効果があるとされているのは事実だ。ただ魔除けがどうかはともかく、とりあえず、熱中症対策の塩分補給としては使えそうだ。

 だけど、熱中症にはならずに済んでも、食料や水分が尽きてしまえばアウトだ。

 いつ来るか分からない助けを待つ間、その限られた食料と水分だけで、なんとかしのがないといけない。

 なので、何か良い打開策を早めに打ち出したいところだけれど――。


 ボクが、この重い空気を払拭できるような名案はないかと思索を巡らせていると、

「ねえ、キミたちが打ち上げで使うつもりでいた、ロケット花火を使ってみたらどうかな?」

 代わりに、シュンがそう案を出してきた。

「そうか。それを、発煙筒がわりに使うってことだな?」

 とボクがその意を汲んで。

「うん。ここの窓の外に、ここまでの山道が見えているよね。そこを誰かが車とかで通った時に、ロケット花火をそっちに向けて打ち出せば、気づいてもらえるんじゃないかな?」

「ナイスアイデアだな、それ、採用だ」

 とマキトは片手の人差し指でシュンを指すと、「そうと決まれば――」と病室の片隅に置いておいた、ビニールの巾着袋の紐をいそいそと緩め、その中に収められていた花火セットを手に取った。

「後は、火を点けるライターだな」

 と続けて、七分丈のハーフパンツのポケットから、百円ライターを取り出す。

 けれど、

「……なんだよ、さっきは点いたのに、もう壊れたのか……?」

 カチカチと何度も点火スイッチを押すけれど、いっこうに火が点される気配はない。

 それでも諦めず、マキトは、その操作を繰り返していたけれど、

「くそっ!」

 いい加減頭にきたようで、一向に火を点けようとしない百円ライターを、床へと叩きつけた。

 カラン、コロン、と床をバウンドしながら転げる百円ライターを憎らしげに睨みながら、

「欠陥商品売りつけやがって……」

 と恨めしげに。

「ライターって、一本だけしか買ってないの?」

 不満を募らせるココナ。

「ケチって、一本あれば大丈夫だなんて言ってたのはお前だろ?」

 マキトが言い返す。

 再びの険悪ムードとなり、諍いが始まりそうになったところに、

「これを使って」

 シュンが、ジーンズのポケットから、一本のジッポライターを取り出して、差し出した。凝った装飾がされていて、かなり年季が入っているように見える。

「おっ、ジッポじゃん。お前、そんなの持ってたのか」

 とマキトはその元に寄り、そのジッポライターを受け取ると、試しにフリントホイールを指で回してみた。

 すると、


 シュボッ!


 小気味よい音を立てながら、チムニーの先に、赤々と小さく炎が灯った。

「よし、ちゃんと点くな」

 マキトは満足げに頷くと、シュンに、

「でも、お前、もしかして煙草とか吸ってんの? 見かけによらず不良なのか?」

 シュンは、「あはは」と笑いを上げながら、

「違うよ。そのジッポライターは、ボクが中学生の頃に死んだお祖父ちゃんの遺品の一つ。お祖父ちゃんは、病弱なボクをいつも励ましてくれて、優しくしてくれたんだ。だから、使うことはないけど、お守り代わりに、大事にいつも持ち歩いてるんだ」

「なんだ、そういうことか。そりゃそうだよな。お前、どう見ても大人しい優等生タイプだもんな」

 言われたシュンが、笑いを苦笑に変える。

「あっ、今山道を車が走ってるよ!」

 と開かれた窓の傍で、外に見える景色を眺めていたココナが、そこを指し示す。

 窓外に望む、山を覆うように生い茂る木々の緑の合間から、この廃病院へと続く曲がりくねった山道の一部が覗いている箇所に、煌々とフロントライトを照らしながら疾走する車が一台見えた。地元の走り屋だろうか。

 そうと知ると、マキトはすぐさま、

「よし、ロケット花火を打ち上げて知らせるぞ」

 とビニールの巾着袋の紐を緩め、その中から、ロケット花火一式を取り出すと、その袋をびりびりと乱雑に破り、その内の一本を取りだし、ジッポライターに灯した火で点火した。

 導線の紐が徐々に縮まっていき、


 ボシュッ! ヒュルルルルルルルルル……。


 マキトが手にしたロケット花火は、山道を走る車めがけて、夜の闇の中を、笛を鳴らすような音を立てつつ、一筋の光の尾を引きながら飛んで行った。


 けれど、しばらくそのまま待ってみたものの、山道を疾走する車は、スピードを緩める気配はない。

「……だめか……いや、もう一度だ」

 と諦めずにもう一度、ロケット花火に点火して、山道を走る車めがけて打ち出す。


 ボシュッ! ヒュルルルルルルルルル……。


 しかし、またしても同じ結果に終わり、

「気づいてないのか……」

 とボクは落胆を滲ませた。

「……走りに夢中になってるみたいだな・・・・・・それか、気づいてるかもしれないけど、ここは肝試しスポットで有名だったところだから、悪ガキどもが花火で遊んでるんだろう、くらいにしか思わないのかもな……」

 マキトは嘆きながらも、諦めがつかないらしく、再度試そうと、ジッポライターに火を灯す。

 その様子を見守っていると、後ろから、トンと肩を軽く叩かれた。

 振り返ると、そこにはサキがいた。さっきから、一人離れてボクの顔をちらちらと盗み見るようにしていたのには気づいていたけど、なにか話したいことでもあるらしい。ただ目を合わせようとはせず、顔を俯かせている。

「どうしたんだ? 何か良い案でも考えついたのか?」

 緊張を和らげようと、努めて優しげな口調で尋ねかけると、サキは、もじもじとどうしようか逡巡するような素振りを見せた後、

「これ」

 と、履いたショートパンツのポケットから、重ねられた四枚の写真と、その上に、短めのチェーンネックレス添えて、おずおずながら、それらを差し出した。

「……これは?」

 怪訝に尋ねると、

「……さっき、色々と調べてた時に、あの殺害現場に置かれてたチェストの中にあるのを見つけて……」

 要領を得ない口ぶりなので、とりあえず、その重ねられていた四枚の写真を開いて確認してみることにした。


 !


 再びの凄惨さを突きつけられた。

 写真ではあるものの、冷蔵庫の中から死体が出てきた時よりも、酷いかもしれない。


 そこに写っていたのは、血まみれで床に転がる肉片だった。


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