鍵 二
わたしが考え込んでいる間に、さわちゃんの眠りは浅くなっていたらしい。何度か目蓋をひくつかせたあとで、ふっと目を開けた。最初に天井の灯りを見て、目を細めて、それから頭を動かして周りを見た。
「さわちゃん、気ぃついた?」
さわちゃんは、わたしが横に座っているのを見てちょっと辛そうな顔をした。絞り出すような、声にならない声。
「わ たし。助かった の ね」
「そうよ。それをさわちゃんが望んだから」
「うう」
さわちゃんは、自ら死を選ぶことすらできないほど自分が弱いってことに打ちのめされてる。
「まだ何も考えないで、休んでた方がいいよ」
わたしが額に手を置いたのを確かめるようにして、さわちゃんは再び目を閉じた。そして、また寝息を立て始めた。
◇ ◇ ◇
わたしはさわちゃんの額に置いた手をそのままにして、また自分の深淵の水鏡を見つめ出す。規則正しいさわちゃんの寝息が波のようにわたしに打ち寄せてくる。わたしの視界から全てのものが消えた。
わたしには……悲しいっていう感情がずっと欠けていた。それは最初からなかったんじゃなくて、会話と同じようにどこかの時点で封印されたと考えるのが自然だと思う。なんで鍵をかけてまで封印する必要があったんだろう? それも、お父さんお母さんのことを考えてみれば、すぐに分かることだった。
わたしは、自分のわがままで両親を死に追いやった。それを悲しんでしまうことは、わたしにとって堪え難いことだったから。自分をどうしても許せなかったから。
きれいな花があったから摘んでくる。手に持って人に見せようとしたら、もう萎れてる。なんて可哀想なことを。人にそう言われたら、わたしは萎れた花を悲しんで泣くことができない。だって、摘んだのはわたしなんだもの。
カナシンデハイケナイ。オマエニソンナシカクハナイ。
でも。素直な感情に鍵をかけて閉じ込めてしまったら、わたしは息が出来なくなる。耐えられなくなる。だから、わたしは会話と抱き合わせてそれを封印しようとした。悲しいってことをコトバで表現出来ないことにして、自分を納得させようとしたんだ。だけど、そんなのどうやっても無理なこと。だって、悲しみを表すにはコトバなんか要らないもの。素直に泣けば、涙を流せばいいのだから。
その矛盾につじつまを合わせるために。そして、封印を解き放たない理由をこじつけるために。わたしは、伯父のところでの軟禁生活を利用したんだ。自分にとって辛い出来事や状況を嘆き悲しむんじゃなくて、それを薄情な伯父や伯母への怒りにすり替えた。わたしは泣いてなんかいられない。誰がこんな仕打ちに屈して、涙なんか流すもんか、と。
わたしは伯父のところを出られなかったんじゃない。いつでも出られたのに、閉じこもっていたんだ。言い訳を取り上げられるのが怖くて。鍵が外れてしまうのが恐ろしくて。わたしは……さわちゃんと同じだ。自分のココロの穴を人で埋めたんだ。
わたしはズルい。とんでもなくズルい。そうやって、自分にウソをつき続けて、周囲を騙して。つらっと生きてきたんだ……。
◇ ◇ ◇
ゆっくりと視界が戻ってきた。病室の床のタイルが、ぼんやりと歪んだ光をたたえている。
自分はもう変わったんだ。新しい未来に向かってるんだ。前を向いているんだ。わたしはもう過去には囚われない。わたしは自分にそういう暗示をかけて、新しい鍵を再び自分にかけようとしていた。それまでの歪みきった自分をそのままに。闇の奥底深くに閉じ込めて。
わたしが思い出した自分。長い間隠し通していた、自分にすら見せたくなかった自分。美月さんはそれを見破ったんだ。そして、わたしがまだ過去の監獄の中に閉じこもっているってことも。
確かに、会話を縛っていた鍵は外れたように見える。でも、会話することに怯えていること自体、それが見せかけだってことを示してる。それに、わたしはまだ一番大事な鍵を外していない。
わたしのコトバをせき止めていた
わたしは、さわちゃんの額に置いていた手をそっと離した。そして、眠っているさわちゃんに小声で話しかけた。
「ねえ、さわちゃん。みんなキツいこと言うって、思ってるかもね。でもキツいこと言うのは、その人を想ってくれる人だけなの。わたしみたいにならないでね。わたしは、言って欲しくても言ってもらえなくなっちゃった。わたしを親身に叱ってくれる人は、もうこの世には誰もいないの」
わたしは、全てを失って初めて両親がわたしをどれほど愛してくれていたか分かってしまった。だから、どこにも想いの出口がない。ふーっと長嘆息して、天井を見上げた。涙は一滴も出てこない。わたしの最後の鍵が本当に外れるには、まだまだ時間がかかる。
わたしにとっての鍵。それは全部わたしの中にあった。そして、わたしは鍵を外そうとしてる。そのことを……いつか美月さんに伝えよう。
◇ ◇ ◇
さわちゃんの病室で、壁にもたれかかって眠っている間に。夢を見た。
何もない漆黒の闇の中に、ぽっかり月が浮いている。わたしはそれをじっと見上げている。わたしの口が動いた。
「月の光はとても優しい。でも想いは届かない」
わたしの両目から涙が溢れる。とめどなく。
それは……悲しいけれど、優しい夢。
◇ ◇ ◇
明け方。卓ちゃんに支えられるようにして、美月さんがさわちゃんの病室にやってきた。そうして、卓ちゃんとわたしがいる前でさわちゃんの手を取って話しかけた。
「さわちゃん、戻ってきてくれて良かったわ。幸福の形は一つじゃないの。月にいろいろな形があるみたいに。だからそれを探してちょうだい。あきらめずに。あなたが闇に隠れてしまう前に」
さわちゃんは、弱々しく頷いた。
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