10
マクシミリアン達が待つ王宮に三人が戻って来てしばらく時が経った頃。
国王への辞去の挨拶も不敬がない程度にそこそこに済ませ、王宮から足早に立ち去ろうとしている男が正面エントランスの前階段の最後の一段を降りた。エントランスを出た先には前もって準備させていた馬車がつけられているのが見える。
(よし! もう準備ができているぞ! さっさとここから離れなければ。……まったく。冗談じゃない! どうしてこう逃げ帰るような真似をこの私がしなければいけないんだ! クソッ!)
もう少しあと少しと心ばかり逸ってもつれそうになる足を交互に動かし、駆け出してしまいそうになるのをなんとかこらえて歩みを進めていた。
「おや、もうお帰りですか? ラフィール候」
「……っ!」
背後から聞こえてきた足音とともに酷く冴えた空気が辺りを包み込み始める。
それはともすると肌に突き刺さる程で、幼いころより縦三割横七割の速度で成長してきたラフィール候にとっては感じる体面積的に許容できる範囲のものではなかった。
そして、その声の主こそ彼がこの場で最も会いたくない者に他ならないこともそれに余計な拍車をかけていた。
それでも彼はなんとか息を整え、後ろを振り返った。振り返るしかなかった。
「こ、これはこれはブラッドフォードの宰相代理殿ではないですか。姿が見えぬと騒ぎになっておりましたが」
「あぁ、少々この国の方々と交流を深めておりまして」
「そ、れはなにより」
引きつる顔を無理矢理にでもつくろい、笑みを浮かべることで誤魔化したラフィール候はあともう少しのところに見える馬車を指さした。
「申し訳ございません。領地で問題が起きたらしく、すぐに帰って処理をしなければならないのです」
「おや、大丈夫ですよ。……貴殿にはもはや戻る領地も治める領地もなくなるのですから」
「……え?」
国の内のみならず外の人間にさえ魔性の顔の造りと言われるクリスはそれはそれは美しく笑った。
同性であるラフィール候もその言葉の意味するところを頭が理解するほんの数舜、その笑みに見惚れるほど。
だがしかし、その言葉の意味を理解するや僅かに赤らめた頬は先程よりも遥かに青褪め、最早死人のように白くなっていると言っても過言ではないくらいと成り果てた。
「な、なにをおっしゃっているのですか?」
「ですから、貴殿は領地がなくなるのですから、領地で問題が起ころうとどうしようと貴方が急いで帰る必要はないということです。頭の弱い貴方でもお分かりになられましたか?」
「なっ!? 領地がないとはどういうことですか!? 私は何もしていませんよ!?」
「御冗談を。交流を深める場を設けてくださったのは貴方ではありませんか。ご招待頂き、ありがとうございました」
ポンと肩に触れて耳元で囁くクリスに、ラフィール候の身体はガクガクと震えを見せ始めた。
戦慄く口元を見て、クリスは酷薄な笑みを浮かべている。
傍目から見るとどちらが悪者なのか分からない程だ。
「わ、私は何も知らない!」
「知らない? そんなはずはありません。親切な方が色々と教えてくれましたよ。貴方が私の地位や力を利用して色々と画策しようとしていることを。えぇ、色々と、ね。少々精神状態がよろしくなかったので、いつもよりも聞き方が荒くなってしまいましたが」
「……ひっ!」
「随分とまどろっこしいことをするんだね」
「あっ! ……貴方は……アレクシス殿下」
「なんですか。邪魔をしに来たんですか?」
「邪魔なんてしないよ。ミヤが君のところに行ってくれって言うからさ。僕は見てるだけ。好きにしてくれていいよ」
「ふん」
階段の上の手すりにもたれかかって二人を見下ろすアランはその言葉通り全く口出しするつもりはなさそうだ。だるそうに二人をボゥッと見ている。
クリスの様子に不安に覚えたということもあるが、なにしろここは他所の国、せめてこの国の王族であるアランがいればまだマシかとアランを送り出した美夜の考えは全く功を奏していなかった。
「ブラッドフォードの国王陛下並びに王太子殿下にはこの件、報告が済んでおります。もうじき正式な抗議が行くでしょう。もちろん、証拠もきちんと押さえておりますので、言い逃れは無用ですよ」
「……あ、あぁっ!」
崩れ落ちるラフィール候は絶望に顔を染めている。
アランは何を思ったのかゆっくり階段を降り、ラフィール候の前に立った。
「久しぶりだね。ラフィール前外務大臣。ズラも相変わらずずれているよ」
「アレクシス殿下……お願いでございますっ! 私は嵌められてしまったのです!! どうか、どうか領地没収だけはっ!!」
「うーん。ヤダね。だって、君みたいに会議中にズラを気にしてロクに使い物にならない者が領地を治めるより、もっと使える人間はいるだろうし。それに、面倒だし」
最後にボソッと付け加えた言葉こそ違わぬアランの本心だろう。
(……どうしてだ。直接宰相代理を攫うのではなく、人質を、あの娘を捕らえておけば良かったのか!?)
「あっ! いたぞ!」
「アレクシス殿下とクリストファー様もご一緒だ!」
王の命を受けたのだろう王宮の衛兵がこちらへ駆け寄ってくる。
「もし」
クリスが衛兵へと声をかけている中、アランが未だ地面に崩れ落ちているラフィール候へ視線を落とした。
「今考えていることを実行していたら君、領地どころか自分の命すら失っていたよ。良かったね。そこまで愚かな頭していなくて。まぁ、ブラッドフォードの宰相代理の噂をきちんと把握していたらそんなバカなことすら本来は思いつかないはずなんだけどね」
「ま、時間はたっぷりあるんだし、ゆっくり考えなよ」
「牢獄の中で、ね」
次の瞬間にはとどめを刺したアランの頭の中にはもうラフィール候のことなどなかった。
頬肉の赤ワインプレゼ、金目鯛のルーロー、鴨肉のコンフィ。
美夜にリクエストする料理を自分の頭の引き出しから取り出し、羅列していくことに勤しんでいる。
「私はっ! 国のためにっ! おいっ! 離せっ!」
屈強な衛兵達に脇を抱えられ、ズリズリと引きずられていくラフィール候を見送る者などこの場に一人としていなかった。
もちろん、その喚きを受け止める者も。
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