入学編 [Lost Memory Preserver]

序章 

いつかの記憶

 八丈島。ユーラシア大陸のさらに東、極東の列島の南東に位置するこの島は堅牢な要塞と化し、東の海から這い上がってくる化け物たちから背後の国を守る番人の役割を果たしている。

 背後の国、否、現在では各都市の分権が進み傀儡政府と化している。それは過去に大東亜共栄圏を実現し、東アジア一帯を席巻した巨大帝国の抜け殻。

 ここはかつて八丈島が要塞でなかった頃に埋立地として人間の生活が営まれていた場所だ。今ではその全てが深い森に覆い尽くされ、文明の名残しか残っていない。

 見える限り全ての窓ガラスが割れ、ちょうど十階前後、いやこの場合は上下か。とにかく、その辺りで左右斜めに亀裂が入り、倒壊しかけている廃ビルの向こうから緑色の頭が僕を捉える。周囲の、軒並み崩れ去ったビルの壁は、二十一世紀年代のレトロなムービーが描く、荒廃した世界のビルのように茶色く錆びている。その中にあって彼らの恐ろしいほどに美しい新緑や深緑は生えていた。

 彼ら体は恐竜のようで、しかしその構成はひどく狂っている。その体は全て葉緑体、小学生になっていない僕にでもわかるそれの生み出す緑色だった。

 体には彼らの一部なのか、それとも別の彼らにひっついているだけなのかもわからないツタが彼らの体躯に見合った太さをもって巻きついている。

 彼らの虚ろな眼窩には眼球はなく、ただこちらをどうやって把握しているのかさえわからない。しかし、それでも彼らは僕を睨む。

 その生き物の、やはり肉食の恐竜のように退化した小さな左腕がすでに瀕死のビル、正確にはもう死んでいるのだろうビルをさらに破壊した。もちろん、ビルに命はないが、今まさに死地にいる僕には崩れゆくビルが自分の数分後、いや数十秒後の未来に思えた。

 今朝、城郭都市を出てからすでに十二時間以上経っている。六歳の僕が今もここに立っていられるのは奇跡以外の何物でもなかった。

 どうやら僕が全く信じていなかっら蛇様はそれでも僕に助力してくれていたらしい。いや、それも全て兄のおかげだろうか。兄はとても熱心な蛇様の信者だった。蛇様さえもが兄に免じて僕の存在を肯定するというのだろうか。

 そんなはずはないと僕は理解している。しかしそれでも心は納得しなかった。

 僕が存在を許されるのは兄が活躍しているから。兄が彼の EGO超能力によって彼らを守る立場にあるからだ。

 僕はそして逃げ出した。僕を責め、脅し、殴り、蹴り、痛めつけるあの場所から。

 力がないと誰もが僕を責める。

 力がないと何も成すことはできない。

 力がないと僕は存在を許されない。

 力がないと僕に生きる価値はない。

 力がないと誰も僕を必要としてくれない。

 怖い。

 足はガクガクに震えているし、もしかすると漏らしていたかもしれない。当然、死は怖い。

 そして、緑色の顎が迫り来る中で僕は彼らに手を伸ばす。

 首に装着された金属の首輪から電流が脳へと走り、人格を強制的に置換する。

 僕には置換されるべきアルター・パーソナリティは存在しない。

 それが僕の最悪の欠落だ。



「EGOistっていうのは結局、自分の見たい世界だけを望む傲慢な利己主義者なんだろうな。現実から逃避したいだけの弱い生き物なんだ。

 シンヤにはそれがない。望みがないんだ。それは別段悪いことでもないし、人間として間違っているわけでもないよ。

 お前はこのクソみたいな世界で現実を見失ってない。現実から目をそらしたりしない。理想に逃げたりしていないんだ。

 必死に足掻いて、未来の可能性を探ってる。もし、神がシンヤなら神の定める運命はこんな酷いものじゃなかったんだろうけど、それを言っても仕方がないよな。今日もせいぜい夢を見てくる。

 シンヤ、お前は、見たい世界がないなら見なくていいんだよ」

 昨日の、死が彼に訪れる前に、兄はそう言っていた。



「実験は失敗だ。それは使えん。

 どんなに『高慢』を与えても本人が何も望まなくては意味がない。

 夢も見れない人間に生きる資格などない。

 サンプルとして残してもらえることを感謝しておけ」

 白衣の大人たちがそう言った。僕には生きる価値などない。

 「高慢」でも何も望まないゴミに用はない、と。



 この世界の現代において、実験隊となった後も人格を引き裂くことができなかった希少な少年は願う。

 傲慢にも神を排し、運命を捻じ曲げてまで、自分の願う世界を見てみたいと。

 幻想に過ぎない世界の、幻想に迫害された少年は、最後の最後で彼の『自己秩序の庭』を発現し、その能力もって自身の望みを叶えるはずだった。

 彼の存在した世界が幻想でなかったのならば。


「変われ! 代われ! こんな世界は消え失せろ!

 Alterアルター……、PersonalityパーソナリティEGOistエゴイスト…………、Replaceリプレイス !」


 そして彼は、彼の精神を、彼という存在を、彼だけの人格を、傲慢なる願いによって強制的に置換し、異なる世界への器の中へと縫い付ける。

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