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「さっさと告白すればよかったのに」
バイト中、奈保さんはテーブルを拭きながら言った。
「私が紗耶香ちゃんぐらい若くて綺麗で頭の良い子だったら、好きな人ができた先から告白してまわってるよ」
「してたって無駄でしたよ。向こうは友達としか思ってなかったんですから。今回できた彼女にも、自分の方からいってたみたいだし」
「わからんってそんなの。今からだって言っちゃえばいいのに。私が紗耶香ちゃんぐらい――」
「若くて、って、四つしか変わらないでしょ」
奈保さんは今二十五歳で、二歳になる子供もいる。大学に入った直後からここで働き始めた私と、ほとんど同じ時期に入ってきたスタッフだ。歳は違うし学生と主婦という違いはあるが、なんとなく話が合って、スタッフの中では一番仲が良い。
この店は、出しているものは大体スペイン料理だけれど、ほとんど居酒屋だ。店名には一応『スペインバル』という文句が入っている。丸テーブル用のスツールが三十脚ほどあって、足りなくなったらあとは立ち飲み、という感じ。ワインの他にビールや日本酒、カクテルもかなり揃っていて、常連さんも多い。スタッフの数は多くなく、学生なんて私ともう一人しかいないので大事にされていて、融通も利くし、結構自由に楽しくやっている。時給が低いことを除けば、かなり条件の良いアルバイトだと思う。
「こちとら主婦だからね。女子大生には敵いませんよ。んで、諦めるの?」
「彼女いる人には興味無いんです。浮気とか二股とかそういうの勘弁だし」
「じゃあもう、新しい人にいくしかないやつだね。なるほどここで星野くんの登場か」
「勝手に登場させないでください」
星野くんとは、もう一人の学生アルバイトで、最近入ってきた新人である。一つ下の大学一回生。やつは、なかなかに見た目が良い。しかも高身長だ。学生どころか二十代の男性が一人もいなかったこの店にそんなのが突然やってきたものだから、女性スタッフの中では唯一独身の私と、奈保さんは何かとセットにしたがる。
「あんなハイスペに彼女いないタイミングなんて、なかなかないよ。狙い目だよ」
「逆に怪しいんじゃないですか。それに、星野くんは――」
「僕が何ですか?」
後ろから声が聞こえてぎょっとする。噂をすれば、というか、入りの時間が私と同じなのだから当然といえば当然なのだが、星野くんが出勤していた。
「おっはよう。星野くんが、ハイスペって話」
「おはようございます。ハイスペックなんて、そんなふうに言えること、何にもないですけど」
「いやもう逆に嫌味だよねー。あ、そうだ、紗耶香ちゃんさ、失恋したんだって」
「へぇ」
楽器の音か何かと思うほど抑揚のない一言を発し、星野くんの視線が私の方に流れてくる。その動きを視界の端で捉えつつ、私は奈保さんに不満げな表情を向ける。
「紗耶香さんでも失恋とかするんですね」
「どういう意味よ。しますけど。何度も何度もしてますけど」
「まあほら紗耶香ちゃんもスペックは良いけど可愛げ無いからね。致命的だったりすんだよね」
「奈保さん、さっさとあがってください」
昼のスタッフがあがり夜のスタッフが出勤してくる、入れ替わりの時間が大体いつも五時だ。この時間は大抵客の入りも少ない。奈保さんははいはいと言いながら支度をし、五時ゼロ分になったのを確認してタイムカードを押すと、手をひらひら振りながらあがっていった。一組しか入っていないお客にサービスの不足がないのを確認してから、溜まっていたグラスを洗う。
「……さっきの、本当ですか」
キッチンに挨拶をしに行った星野くんは、ホールに戻って来ると、当たり前みたいに私の隣に立った。
「失恋なら本当。奈保さんの調子見たらわかる通り、そこまで深刻な傷ってわけでもないので、ご心配なく」
「それもですけど、何度も何度もって」
「奈保さんじゃないけど、君が言うと嫌味っぽいよね」
返事がなくなったので様子を伺うと、星野くんは私が洗い終わったグラスを黙って拭いていた。黒シャツからのぞく腕はすらりと長く、血管が浮き出ている。ベストと前かけだけの至ってシンプルな制服も、まるで彼のためにあつらえられたかのように似合っていた。綺麗な肌にすっきりと整えられた頭髪は文句のつけようもないが、顔はあっさりと特徴が無い。雰囲気イケメンかと思いきや、まじまじと見ても全体的にバランスが悪くないので、何度も顔を合わせているうちに正真正銘のイケメンと言っても差し支えないような気がしてきているというのが本当のところ。ただ、私がこのハイスペック男に対して素直にかっこいいと言えないのは、全体的に漂う人生イージーモードな雰囲気に私の卑屈精神が猛反発しているからだった。
「そっちは、無さそう。失恋とか」
「振ったも振られたも、ないかもしれません。いつも自然消滅みたいな感じです。高校の時も、大学入ってからも。何が駄目なんですかね?」
そういうところなんじゃないすか、と皮肉を言いかけて呑み込む。可愛げがないなんて、奈保さんに言われなくても嫌と言うほど自覚していた。伝えはしないけど、そういうところなんじゃないですか。固執して必死になってはくれないところ。何の自覚もないまま自然消滅を起こしてしまうようなところ。
星野くんは私の大学からも近い有名私立大に通っているが、付属の中学校から通っていた内部進学の口らしい。親がそこそこの金持ちで甘やかされて育った一人っ子なので、挫折した経験がほとんどない、というのは本人の言である。見るからに育ちの良さそうなところなどそれを聞いて納得したところもあった。ただ、「わざわざ苦労する道を選ぶ心情はよくわからない」というようなことを聞いた時には、軽く、ほんの軽く、腸がくつっと煮え立つ気配を覚えた。私は行きたかった大学に入るため浪人した上、その時の予備校代を出してもらったため現在奨学金で大学に通っている。卒業と同時に四百万の借金持ちだ。そんなこともあって、という理由が言い訳なのは自覚しているがとにかく、こういうチート野郎に対しては素直に好意を向けられないのが私の厄介なところだった。
「自然消滅ってよく言うけど、理由がないわけじゃないんだろうと思うわ。消滅させちゃう人は何度も同じこと繰り返したりするよね」
「何が駄目なんだろうって言ってはみたけど、まあほとんど確実に俺が連絡不精なせいですよ。重い女に限って大していい女でもないの、なんでですかね」
「いい女じゃないから自信持てなくて重くなるんでしょう」
「なるほど。お前ら努力の方向間違ってるぞってことですか」
「別にそんな偉そうなこと言ってませんけど……つーか星野くんさ、奈保さんとかの前ではちょっと猫かぶってるよね。ハイスペックって言えることは何も無い、なんて、実際思ってないでしょ」
「ばれました?」
手に持っていたワイングラスを逆さにしてカウンターの上に引っ掛ける。隣のグラスとぶつかり、ちりん、と涼やかな音色が響いた。星野くんはそのまま右手を口の前にもってきて、「しーっ」というジェスチャーをする。同時にすっと目を細め、軽く笑みを浮かべた。
「黙っておいてください」
「そのポスター撮影みたいなポーズをやめてくれたら考えましょう」
サムいからじゃない。あまりにも自然に似合っているから腹が立つのだ。そしてそんなことを思う自分の可愛げの無さに。こいつはいろいろと持ってる上に世渡り上手な性質らしく、そんなところも私とは決定的に違った。こういう男と幸せになるのは、絵になる表情を見せられた途端、頬を赤らめて視線を逸らしてしまうような女の子だ。少なくとも、冷ややかな言葉で相手を苦笑させてしまう女ではないだろう。
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