Home, come home

有沢ゆう

第1話

まるで罪人のようだった。


 見知らぬ土地、見知らぬ人々にようやく馴染んできたころに彼らは来た。甲冑と言うのか鎧と言うのか、マツリには分からないが、全身を金属で覆った5人の男たちは、寂れた寒村の入り口で居丈高に呼ばう。


「界渡《かいわた》りが起こったと通報があった! 以後にこの辺に現れた人間はここへ!」


 村人の視線は正直だ。狭い村のこと、マツリがそれにあたることを、全員が知っている。

 そっと、あるいは的確に飛んでくる視線を受けて、マツリは手に持っていた籠を地面に置くと立ちあがった。


「……私です」


 口から出る言葉は、果たして自分が今まで話していた言葉なのかどうか。吟味する間もなく、久方ぶりの声は男たちに届いたようだ。彼らはやや斜に構え、あきらかな緊張を宿して足を開く姿勢をとった。戦う姿勢、かもしれない。


「前へ出よ」


 歓迎はされていないと分かるものの、断る道はない。マツリは男たちの前に進み出た。


「名前は」

榊茉莉さかきまつり


 問われて答えたと言うのに、中央に立つ男はたじろいだように肩を揺らした。彼だけは、顔を覆う仮面のてっぺんに赤い羽根をふさふさとつけてる。


「和名か。お前が界渡りだな?」


 マツリは知らず、眉を寄せた。それが不機嫌の表明とでも思ったのか、指揮を執るらしいその羽根男は手に持っていた棒状のものをマツリの首に突き付け、


「しらを切るならば、村人全員に証言をとるまでだ! 逃げられんぞ!」


 恫喝するように叫ぶ。

 警棒、という言葉が浮かぶ。首に突き付けられたものは、そのような役割なのだろう。ならば彼らは警察で、そしてマツリは。


「まるで罪人のようですね」


思わず問う。


「なにッ」

「いえ……。おそらく私がそうです。気付いたらここにいましたが、ここの生まれでも、おそらく近辺の生まれでもありません」


 答えた途端に、マツリの腕は背後できつくねじあげられていた。


「い……ッ」

「抵抗するな! お前を王都へ連行する!」


 抵抗などいつしたのか、と問うより前に、痛みに耐えかねて地面に膝をつく。髪を掴まれ、痛みよりも屈辱を感じるが、両腕は寄って来た男たちによって粗雑な肌触りの縄で縛りあげられてしまった。

 無駄に力を込めるせいで、マツリの額は地面に押し付けられる。無理やりに顔を横に向けると、男たちの靴が慌てたように動いていた。


 靴とは言わないか。グリーブ、だったか。かつて自分の部屋で夢中になったゲームの記憶をたどる。あの世界でなら、マツリは強い魔法使いだった。攻撃魔力も高く、詠唱だってとても速い。けれどここは虚構ではなかった。縄を打たれ、積み荷のように荷馬車に放り込まれる痛みがそれを教える。

 出発する幌の隙間から、村人たちが見えた。まるで何もなかったかのように、彼らはそそくさと今日の仕事を始めていた。










 降りろ、と言われたが、荷馬車の中で駄目押しとばかりに足首を縛られたマツリは、その術がない。


「降りろと言ってる!」

「だったら縄を外してください」


 指摘すると、羽根男は面白いようにうろたえた。冷静ではない、と言っているようなものだ。そのことでマツリは自分の立場をなんとなく推察する。

 彼らはマツリをあまり見ない。目をそらし、いない者のようにふるまう。ここまで馬車で2週間かかったが、最低限の水とパンも、マツリの口に押し込むようにして短時間しか接しないようにしていた。風呂などもってのほか。自分の臭いに酔いそうだ。それらは嫌悪が理由というよりもどこか恐れに見えた。

 格下らしい男が縄を解く。その間も、ちらちらとマツリを見ては何かに警戒していた。

 警戒。恐れ。

 なぜかは分からないが、それはここが日本ではないことに関係あるのだろう。


「降りろ!」


 縄の跡が真っ赤についた足首の肌をさするマツリに、焦れたようにまた怒鳴る。馬車の出口に仁王立ちしているその羽根男の、頭部全体を覆う仮面から、黒髪がはみ出していた。薄暗い幌布の中では男の様子も、ましてやはっきりした時間も分からなかったが、外はどうやら快晴の昼間だ。村の人間はみな茶色っぽい頭髪だったが、みながみな同じ髪色ではないらしい。よく見れば、縄を解いたほうの男はやや赤っぽい金髪だ。多民族国家なのだろう。


 満足に栄養をとっていない体はややふらつくが、それでもなんとか馬車のステップから地面に降りた。風が、潮のにおいを運んだ。


「海沿いなのね……。貿易都市? 帝国が海に面しているなんて珍しい」


 地面、は地面ではなかった。石畳だ。綺麗にならされ、おうとつは少ない。アスファルトはないようだが、サスペンションのない馬車で走っても飛び跳ねない程度には舗装されている。

 背後の馬車を透かすと、その向こうに長く広い石橋が見えた。左右は深い堀が切ってあり、そして目の前にはそびえたつような石塀がある。奥に城があるのだろうが、マツリの位置からは見えなかった。見えるのは、関所のような門番の詰め所だけだ。

 どん、と背を押される。


「何をぶつぶつ言っている。歩け」


 手縄を引かれ、つんのめるようにたたらを踏んだ。身動きのとれない二週間でやや萎えた足は、踏ん張り切れない。マツリはそのまま石畳に倒れ、したたかに膝を打った。

 村人に与えられた簡素なワンピースは、最初に地面に押し付けられた時に土に汚れた。二週間も風呂に入らない体は垢じみて、喉には警棒を押し付けられた擦り傷。足には縄を巻きつけた赤い痕と、たったいま新たに血のにじむ切り傷がついた。

 ため息をつく。泣くまい、と思うが、さすがに鼻の奥がつんとした。


「立て!」


 怒鳴る以外の話し方を知らないのだろうか。頭の中でだけ皮肉を言い、マツリはのろのろと立ちあがる。痛みをこらえて門扉をくぐると、左右に3人ずつばかり詰めていた兵士がじろじろとマツリを無遠慮に眺めた。皮脂に固まった髪が潮風に吹かれると、露骨に顔をしかめてそらす。


「……最悪」


 これでもマツリは、お嬢さんと呼ばれてしかるべき名家の子女だった。髪も爪も、いつも綺麗に手入れをしていた。怪我など、人生で一度か二度しかしたことがない。二十年間そうやって生きてきた。

婚約者だっていた。


『茉莉』


 ふ、とその声が耳の奥に蘇る。低く優しい声だ。たぶんもう聞くことはないけれど。


 愛する者の声が忘れ難く。



「遅かったではないか!」


 小突かれながら歩くマツリの前から、鎧を着ない男が一人、走り寄って来た。やや年を召した禿頭の男は、この国のものらしい長いローブに身を固めている。派手だ。おそらく地位が高いのだろう。

 それを裏付けるように、ここまでマツリを連れてきた五人は、素早く腕を引きつけ頭を下げた。騎士の礼に、禿頭は礼を返さない。


「急げ、王がお待ち……うっ、なんたる臭いだ……」


 ローブの袖で鼻を抑える仕草に、騎士たちは言い訳をするように、


「命令通り急いだもので、その」

「ええい、仕方がない、急がせたのは王だ、我慢してもらおう」


 風呂に入れてもらえるかもしれない、という望みは即座に断たれ、マツリはそのままの姿で城に引きずり込まれた。











 映画で見るような豪奢な謁見室ではなかった。

 どちらかといえば、会議室に近い。いや、事実会議室なのだろう、長い卓の両側にはずらりと偉そうな男たちがついてる。上座には、壮年の男。冠は戴いていないが、あれが王だろう。マツリが禿頭の男によって下座に立たされると、軽く指を払って、ここまで着いてきた騎士たちを壁際に下がらせた。

 最初に口火を切ったのは、しかし王ではなかった。


「なぜ縄を?」


 上座に近い位置にいた、若い男だった。軍服らしき白い詰襟に、濃紺のマントをはおっている。

 彼は驚いたようにそう言うと、下座に近い人々が露骨に鼻を押さえているにも関わらず、表情一つ変えずマツリに近づき手縄を解いた。

 近くで見ると、いや、遠くにいる時から気付いていたが、彼はとても整った顔立ちをしていた。金色の髪と、やや暗い碧眼は、絵本に出てくる王子様のようだ。甘い顔立ちはしかし、もう数年経てば、大人らしい精悍さを身につけ、ますます魅力的になるだろうと思わせた。


「どういうこと?」


 形の良い眉を寄せ、壁際に並ぶ騎士たちに問う。問われたほうはといえば、戸惑うように目線をお互いに合わせている。


「おそれながら……どう、とは?」

「私は、異界人をお連れして、と言ったよね? なぜ罪人のように連行してきた? 怪我までさせて、清潔にも気を配らず。彼ら、彼女らの世界はこちらより公衆衛生に厳しい、変な病原菌にやられたらすぐに弱るというのに」

「いや、しかし……しかし」


 言い訳するにも言葉が出ない風の彼らを舌打ちひとつで完全に沈黙させ、彼はマツリに一転して微笑みかけた。


「すまない、話が行き違っていたようだ。疲れているだろうが、まずは」


 手近な椅子を引き寄せると、


「少し話を聞かせて欲しい。どうぞ、座って」


 まるでレディをエスコートする紳士のように、掌で椅子を指し示す。しかしマツリはそれを無視した。長い間縛られ、皮が破れて血の出た手首を、ワンピースの袖で押さえる。


 そして、彼に負けない舌打ちをした。


 会議室全体に戸惑いが広がる。


「ええと……立ったままでいいのかな? まずは名前を」


 苦笑するような綺麗な顔を、マツリは、ありったけの不機嫌を込めて一瞥した。そして子どもの頃から出し慣れた、命じるものの声を張る。


「ずいぶんと程度が低いのね、この国は」


 ぴくり、と、男のこめかみが動く。それでも表情は穏やかなままだ。男の自制心は高いようだが、他の面々は一様に目に怒りを浮かべていた。壁際の騎士など、剣の柄に手がかかっている。


「罪人かどうかは問題ではありません。罪人ならば、このようにいきなり縄をかけて荷馬車に放り込んで連れてくるのかしら? それが許されるの? それがこの国の司法?」


 マツリは微笑んだ。


「あら……ごめんなさい。後進国のみなさまには少し難しい概念だったかしら?」


 べったりと束になった髪を払う。汚いなりをして、貴族のようなふるまいをするなんて、我ながら滑稽だ。だが誰も笑わない。


「貴様……我が国を愚弄するのか! 異界人といえども、許される発言ではないぞ!」


 例によって羽根男が怒鳴る。そうすれば、いままでのようにマツリが委縮すると思っている。


「怒鳴らないで。大声で相手を抑え込もうとするのは、持論のない証拠。反論も反証も持たないならお黙りなさい。あなたの振る舞いが、この国の程度の低さを証明しているとなぜ分からないの?」

「なっ……」


 喉を詰まらせ、それでもなおいい募ろうとする男を止めたのは、王の指だった。視界の端で軽く振られたそれに、男は面白いように沈黙した。


「異界人よ」


 初めて王が口を開く。威厳がある、と思えばそう思えるような、はっきりとした低い声だ。父親の声の出し方に似ている、とマツリは思う。上に立つ者の声だ。


「そちのために場を改めよう。身を清め、食事をとるがいい。いまさら急がぬ。明朝ふたたびここへ参られよ」


 謝罪はなかったが、マツリはそれを引き出そうとは思っていなかった。軽々しく謝れない立場と言うものがあるなら、それが王だろうと思うからだ。不満も苛立ちも収まったわけではなかったが、引き際は心得ている。


「ご配慮、感謝いたします」


 明らかに言葉だけ、頭を下げないその態度に再び羽根男が肩をいからせる。マツリは彼を見て鼻で笑った。


「それ以上、うちの騎士たちを煽らないでくれ。君にはそうは見えないかもしれないが、王のため国のため、手早く命を奪うのが彼らの仕事なんだから」


 王子然とした青年は、困ったような顔でマツリと騎士の間にするりと入る。

 マツリはその顔を見上げた。青い目に自分の汚れた顔が映っている。その顔が唇をひしゃげるように曲げた。


「欲しいならあげるわ」


 囁くように言った言葉は、しかし王まで届くほど強かった。









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