二年生夏:それは暑い夏の日の出来事

 それは梅雨が明けた夏の暑い日のこと。

 旧校舎で全速力リアルおばけと鬼ごっこした帰りの道。

 厳しいマネージャーである神山にせっつかれ、疲れた足を叱咤して部活動をこなした後の出来事。


「あっついですねぇ」

「暑いな……アイスでも買うか……」

「買い食いは校則違反だって知ってましたぁ?」

「折角奢ってやろうと思った優しい先輩に向かって、その言い草か? ん?」

「せんぱーい、若葉、チョコレートアイスが良いなぁ」

「気色悪っ」

「終いには助けに行かなくなりますよ先輩」

「悪かったって」


 神山と言い合いながら、コンビニへと向かう。

 中に入れば若干寒いくらいの冷気が半袖の肌を刺激する。

 しかし汗が滴る程に出ている俺としては地獄に仏な場所でもある。

 神山は鼻歌を歌いながらアイスコーナーでうきうきとアイスを選んでいた。

 俺もバニラ味のアイスを選んで、神山の分のアイスも手に取りレジに持って行った。


「おいひいれすねぇ」

「食いながらしゃべるな」


 しゃくり、しゃくり、と木の棒が付いたアイスを食べながら神山はアイスを持っていない方の手で、頬を抑える。

 俺は冷たいアイスに心癒されていた。

 このコンビニは、上り坂と下り坂に挟まれた丁度窪地のようなところにある不思議な場所だ。


「ああ、しかし先輩。暑いですねぇ。アイスより先に溶けそうです……!」

「暑いとか言いながら元気いいなお前……つーか早く日陰行こうぜ……」

「公園でいいですかねぇ」

「あー、あの噴水ある公園な。いいんじゃね? あそこ日陰にベンチあったし」

「じゃあ行っきましょー」


 元気良くアイスを食べながら言う神山におお、と頷いて公園に向かう為に坂を上るように少し踏ん張って足をあげた時。

 ――それは起きた。


「……っ、先輩!」

「あ……?」


 ぎゅうっと突然神山に身体を抱きしめられた。

 いや、体格的に抱き着かれた、が正しいのだろうか。

 普段接触の多いほうではない神山がこんなことをしてきたことに驚いて、体勢を崩し、一歩後ずさる。


 ズシャッ


 神山のすぐ後ろ。

 つまりは俺が元居た場所、に、鎌が、そうあれは確かに鎌が、突然降ってきた。


「は、あ?」


驚きのあまり間の抜けたような声が出た。

その次にドッと心臓が高鳴り、バクバクと鼓動が早くなる。


「な、なんだ、よ」

「先輩! 固まってないで走りますよー!」

「いや、いや、ちょ、待てって! なんで鎌!?」

「そんなの後でいいじゃないですか! 幾らでも説明してあげますから、今は走る!」


 神山らしくない焦った声と口調に、俺は動揺しながらも神山に手を引かれるまま走り出す。


 どれくらい走っただろうか?

 本日二度目の全力疾走である。

 息があがってもう走れないと思った時、神山は足を止めた。

 ハァハァと荒い息で肩を上下させていれば、神山は俺の手を離さないままに地面に指で何かを書いていた。


「座って休んでていいですよー」


 それが何かと聞けるまでまだ回復はしていなかったから、神山の言葉にそのまま従う。

 そうしてようやく違和感に気付いた。

 コンビニがあったところから走っていた筈なのに、坂を上った覚えもなければ今居る場所は明らかに何処かの民家の密集地。

 その民家のひとつに入ったのだと気付いたが、古民家というか、かまどや土間があるような昔懐かしい今のご時世、都会で見ることもないだろう民家だった。



「……おい、は、神山……、ここ、どこだ……?」

「分かりません」

「は……? お前が連れて来たんだろ?」

「ここまで連れてきたのは私ですけどー、でも、『此処』に連れていたのは私じゃないですから」

「意味、分かんねぇんだけど」


 整った息で問い返す。じわりと伝う汗を手の甲で拭った。

 そこで更に可笑しいことに気が付いた。

 さっきまでアイスが溶けるほどに暑かったのに、今ではどこか涼しさすら感じられる。

 まるで秋のような気温に、また心臓の鼓動が早まった。

 そんな俺に構うことなく、いや、そんな俺に気付いているからか。

 神山は困ったように微笑むと、「先輩は本当に巻き込まれ体質ですよねぇ」と呟いた。

 その言葉に思わず叫ぶ。


「またかよ!」

「またですねぇ」


 何度も何度も神山と居ると遭遇する怖かったり不思議だったりする事象。

 それに今回も当て嵌まるらしい。


「先輩。大丈夫ですよー。私が居るんですから。先輩には傷ひとつ付けさせません」

「……頼もしい限りだな」


 そう言って、ハッと思い出す。

 あの時、鎌は神山の背後を掠るように落ちてきた。

 神山は怪我を負っていないだろうか?


「神山、お前」


 そう口に出した時、神山は俺の手を繋いでいる方の手で俺の口を塞いだ。

 何すんだ。そう言おうとして、はたと気付く。

 この民家の玄関らしき扉の前。

 そこにナニかが居る気配がすることに。


 キャ、ハハ……アハハ……キャハハハ……


 子供のような甲高い笑い声。

 ビクッと身体が跳ね、声を漏らしそうになった。

 けれども、神山が俺の口を塞いでいるお陰で叫ぶことはなかった。


「これはまた……厄介ですねぇ」


 暢気そうな声で、しかし真剣な眼差しで扉の方を見ながら落とされた言葉に、そんなに危ない奴なのかと聞きたくなった。

 まあ、口を抑えられているから聞けないけれども。


「先輩。気絶しないでくださいね?」


 は、と唇を動かす前に、扉が勝手に開いた。一気に冷気が民家に流れてくる。

 扉の前。そこに立って居たのは、赤茶びた着物を着た幼女。

 その赤茶色が何の色なのか考えたくもない。

 そうしてその目。その目は本当に言葉のまま真っ黒だった。

 瞳孔も白い眼球も何もない、黒しかないその眼窟は気持ちが悪くて、気が狂いそうだと思ったときに、「あんまり見ちゃだめですよー」と神山の声。そうして左手が握られた。

 冷たい神山の手にハッとした。

 固定されたように動かなかった首が動いて、すぐさま幼女から目を背ける。


 「ア、ナタ……欲シイ」

 「あげませんよ」

 「ヤダ……欲シイ、欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ欲シイ」


 狂ったようにそれしか言わない幼女と、あげませんという言葉に俺が欲しいのかと思い至ってしまって内心でヒィッと悲鳴をあげる。


「神崩れ、ですか……。悪霊に取り込まれでもしたんですかねー。……同情はしませんけど」


 それに、と神山は続ける。


「この人はあげません。私の大切な人ですから」


 神山はにやりと笑ってそう言うと、足を上げ地面を揺らすように踏んだ。

 実際には地面なんて揺れなかったが、それでも幼女には効いたらしい。


 「ア、アアアアアアアアアァァアアア」


 幼女が苦しそうに声を上げる。

 神山は冷静にそれを見ていた。


「欲 ジイ……」


 幼女が腕を前に出して、手を招く。

 モノをねだるようなその仕草に、身体が勝手に動き出しそうになった。

 けれど、くん、と引っ張られるように繋がれた左手が熱くなる。



(神山……)



 神山はこの為に俺の手を繋いでいたのかと思って、そう思ったらあれほど寒く感じていた身体が、じん、と暖かくなるのを感じた。


「あげません」


 にっこり、微笑んだ神山はもう一度地面を強く踏み締めた。

 幼女は「ア゛」と腹の底から吐き出すような、呪詛のような声を上げる。

 けれども何かをするでもなく、幼女の姿は掻き消えた。


 同時に戻ってくるうだるような暑さ。

 瞬きをすると見知らぬ民家から見知ったコンクリート。そして坂にコンビニ。

 可笑しなことが起きる前に居た場所に戻っていた。

 それを確認するかのような間のあとに、神山は俺と繋いでいた手を離す。


「じゃ、先輩。このアイスが溶けちゃう前に公園に行きましょー」


 神山は繋いだ左手を離すとへらりといつものようにゆるい笑みを浮かべ、片方の手で持っていたアイスを手に見せた。

 あれだけ走ったというのに、アイスは溶けることなく、可笑しな場所に走っていく前の状態のままそこにあった。

 俺はそれを見て、へにゃりと腰を抜かす。


「先輩ってびびりっていうか、へたれっているか……まあ、悲鳴をあげなかっただけ成長したんですかね?」


 あそこで悲鳴をあげていたら、あの神崩れに取り入られてましたよ?


 いや、悲鳴をあげなかったのはお前が口を抑えていたお陰なんだが。


(いや、それにしたって、一言も声が漏れなかったのは可笑しくないか?)


 もしかして神山があの恐ろしい空間で俺にナニかをしていたのだろうか。

 それとも本当に神山が言う通り。俺が変な方向に成長したのか。

 どちらにせよ、何てことないように話す神山にこそ、俺は恐怖を抱いた。



「っお前、ほんっと……」

「まあまあ、先輩。ほんとにアイス溶けちゃいますから。あとは歩きながら話しましょーね?」

「何も話すな! 俺は何も知りたくない!」

「あ、そうですか? 残念です」

「残念がるな!」


そんなことを話しながら、公園までの道のりを歩いた。

じわりと汗が伝うような、暑い日の出来事だった。

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