枯れない花
尾岡れき@猫部
枯れない花
それは今はもう失われた国のお伽話。
時代も存在も消え果てたお伽話。
「やれやれ、貴様も素直では無いな」
と言ったのは、白い鷲だった。鋭い目で、前方に目を向ける。
「…………」
相方の少年は、自分の肩に止まっている鷲には何の返答も見せず、対峙すべき相手に目をやる。
それは【花守】と言われている、意志をもった大樹だった。
少年は花守に目を向ける。
『人間ヨ、去レ。此処ハ、貴様ラニハ、意味モナキ、場所』
「…………」
少年は剣を抜く。言葉は必要ない、とその表情が言っていてる。
白い礼拝着に、細身の剣。それが彼の身を守るものの全てだった。他には何も無い。言葉を介する鷲を供にしているが、言葉を理解するのは【花守】とて同様だ。長く生き永らえたモノであれば、それくらい造作の無いこと。
「いきなり剣を抜くヤツがあるか」
と鷲は叱咤した。
「まずは礼を尽くせ。この【静寂の森】の主だ。我らは乱入者にしか過ぎない」
調子が狂うな、と【花守】は思った。
どうも、今まで森を荒しに侵入してきた輩とは趣が違う。
この静寂の森には、ありとあらゆる花が、季節という時間を忘却させて咲く。そこに生命の繁殖戦争は無い。【花守】は全ての花を分け隔たり無く愛する。踏み荒らされることもなく、摘まれることもなく、枯れることもない花の楽園。それは【花守】と大地との接吻があって可能にした事。
この静寂の森には希少な花が数多く存在する。ある花は毒を、ある花は薬に、ある花は絶品の美味を、ある花は魔法を。人間どもはそれを求めて、静寂の森に侵入してこようとする。が、たいていは【花守】の仕掛けた罠が、彼らの体を容赦なく傷つけるのだが、この少年ときたら、悠然とした表情で傷一つ無い。
と鷲が自分達が歩いてきた方を向く。
「いかんな、どうやら我らが来た道を見つけて、他の人間どもがやってきたな」
「道は閉じなかったのか?」
と少年はやっと声を発した。その声は小さいが、強い意志を放ち、透き通るような声だった。
「その時間が何処にあった? 貴様がいきなり剣を抜き放つという失礼千万をしてからに」
「威嚇されたんだ、礼儀には礼儀だろ?」
と【花守】が向けた蔦の刃に目を向ける。
「威嚇ではなく、警戒と言うのだよ、それはな」
と鷲は笑った。
「物は言い様だな」
と言うのと、下卑な男達が侵入してくるのは同時だった。【花守】が彼らに警告するより前に、少年は動いていた。細身の剣が、男の一人の首に突きつけられていた。男達の動きが止まる。
「この場所に流血は似合わない」
と少年は言った。
「しかし――血で染めたいというのなら相手になる」
冷然として言い放つ。男達は言葉を失った。あまりにも早かった。男達は迎撃する暇すら与えられない。
「我欲で花は求めるものではないな。まして、貴殿らはこの場所を踏み荒らすつもりなのか?」
と鷲も鋭く笑んだ。
「お帰り願おう」
鷲の目が金色に輝いた。 風が一瞬吹いて、花弁が散る。その一瞬で、男達はかき消えた。
【花守】は唖然として、少年と鷲を見下ろした。
『何ノツモリダ?』
「花を荒らすつもりは無い」
と少年は言った。どうやら、自分の意志を伝えるのが少し不器用なようだ。鷲は肩で苦笑を浮かべている。
「自分の言葉で言え。我は知らんぞ」
と意地悪く言った。少年は本当に困ったような顔をする。嘆息し、剣を鞘に収める。その表情に初めて年相応の少年の顔を見た気がした。
「この場所の花は枯れないと聞いた」
『イカニモ』
「 枯れない花を頂きたい」
『無理ヲ言ウナ、主モ』
「…………」
『花ハ、コノ場所デ、ダケ、咲ク』
「外では駄目なのか?」
『無理ダ』
と否定すると、少年は心底、落ち込んだような顔になる。【花守】は 少しこの少年に興味が湧いてきた。
『ナゼ、花ヲ、欲スル?』
希少価値の花を求めてきた人間はいたが、枯れない花を求めた人間は少年が初めてだった。 花は枯れるのが宿命。それすら眠った場所が、此処だ。此処を出れば、眠りは醒める。そればかりは、どうしようも無い。
「一人の女性に花をあげたいと思った」
不器用に言う。
成程、と《花守》は微笑をうかべた。微笑は優しい風となって吹き抜ける。【花守】は蔦を伸ばした。蔦は少年の手の平に一粒の種をやる。
『コレヲ、貴様ニ、ヤロウ』
「種?」
『イカニモ』
と笑った。【花守】の微笑が、風を呼ぶ。
花弁が舞う中、少年は狐に化かされたような顔で、【花守】を見上げる。
鷲は小さく礼をして、感謝を示す。
風と花が入り交じった。
「お帰りなさい」
と言った少女の目を少年は合わせる事ができなかった。少女は不思議そうな顔をする。
「貴方に花を摘んできたかったが」
と顔を背ける。
「この種しか持ってくる事ができなかった」
と手の平の種を悔しそう、見せる。少女はにっこりと笑って、その種を見つめた。
「枯れない花を持って帰れると思っていたのに、すまない」
と少年は唇を噛んだ。少女はその手に自分の手を重ねる。
「枯れる花ではないですよ」
彼女はにっこりと笑った。少年は目をパチクリさせた。
「種は花となり、花は種を残します。これは永遠に続くんですよ?」
「…………」
「だから私はとても嬉しいです。春になったら、これを一緒に埋めましょう? どんな花が咲くか、私はとても楽しみです」
「…………」
相変わらず、口下手な少年に少女は小さく微笑んだ。少年も不器用ながら、微笑を浮かべる。
我は邪魔のようだな、と鷲は静かに羽ばたいてその場を辞去する。
その後ろで、少女は少年を優しく抱きしめていた。
一国の姫君とそれを生涯守り通した、騎士と白鷲のお伽話。
雪の降る夜に語った春の日のお伽話。
花は今も昔も、枯れることなく、そんな幸せのお伽話を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます