終章2:道満の処遇

 彼・道満の登場に、一番大きく反応したのは晴明だった。彼は目つきを鋭くすると、道満を射抜くように睨みつける。


「お前、何しに来た? 何故ここにいる」


 言いながら、晴明は立ち上がって軽く身構える。昨日、一時は敵対して術比べをした相手だけに、晴明は彼の登場に警鐘を鳴らす。何故彼が賀茂邸にいるのか、という疑問を覚えると共に、彼が妙な行動を起こさないかについて警戒した。

 二人の間に一瞬で険悪な空気が立ち込める中、間に挟まれた保憲と忠行は特にその空気に表情を変えず、静観する。

 一方で、道満は晴明に対して鼻を鳴らした。


「別にここへ赴いた訳ではない。昨日の事件の後、保憲殿に招かれてここへやってきたのだ。強制ではなく、任意的にな」

「なに?」


 道満の言葉に、晴明は保憲へと目を向ける。そこには、確認と同時になぜこの男を屋敷に招いたというのかという詰問の意思もこもっていた。

 彼からの視線に、保憲は苦笑する。


「今回の件では、彼にもいろいろと尽力してもらったからな。その感謝の意を込め、当宅へ招き入れたわけだ。ただ、ただ感謝というだけでなく、少なからず警戒という意味もあるがな」

「……なるほど。警戒、ですか」


 保憲の言葉に、晴明は少しだけ納得した。

 その確認に、保憲は頷く。


「そうだ。呪術を悪用した道士の退治に協力してもらったことは確かだが、一方で陰陽寮としては見逃せない危険な戦闘用の術の行使を行なっていたのも事実だ。その存在を軽視できないということで、身柄を我が邸宅で確保させてもらっている、という訳さ」

「御高名な賀茂家にお招きいただき、恐悦至極でございます」


 説明をした保憲の後で、道満は恭しく頭を下げる。晴明とは違い慇懃なその態度からは敬意のような物も感じ取れることから、決してそれが言葉面だけのものではないだろう。ただし、晴明はそれを素直に受け取らない。あくまでその態度は化けの皮であると、少し辛辣しんらつではあるがそう受け取っていた。

 実際に昨日の樹神に関する一件で彼の本性に触れているだけに、晴明は苛立った様子で道満を見つめている。

 邪険なその目の光に、保憲は依然として苦笑を浮かべたままだ。


「まぁ、個人的には道満殿の実力とその人となりに興味があった、というのもあるがな。出来れば数日滞留していただき、その本性を見極めたい」

「それは不要でしょう。そいつは、どうしようもない悪人です」

「無意味な侮辱、とても失礼で心が痛みますね」


 憮然とした晴明の言葉に、道満は鼻で笑う様に言葉を返す。

 そのために、二人は再び視線をぶつけて睨み合う。ぶつかる眼光は小さな火花を散らし、場の空気を再び険悪な物へと変える。

 それに、忠行が呆れたように口を挟む。


「個人での争いはまた別でやってくれ。ところで道満殿。そなたの言葉で聞きたいことがある」


 二人を宥めつつ、忠行は話題を別のものに、というより元の話題へと戻す。


「そなたは樹神殿が人の身でいることを耐えられないと言ったが、それは何故じゃ? 根拠を聞かせてもらおうか」

「単純なこと。鬼とは、所詮利己的な生物であるがゆえです」


 忠行からの問いかけに、道満は半ば呆れも感じさせる声色で答えを返す。その声に晴明はこめかみのあたりを震わすが、とりあえず今は彼の話に口を挟まないで耐える。

 そんな晴明の反応を気に留めることなく、道満は続けた。


「私は今まで様々な鬼を退治してきましたが、鬼とは総じて欲深く、自分本位で、獣と変わらず、本能を優先して生きているものです。どんな鬼でも、最終的には己が欲望に負け堕落するもの――ゆえに、最後には鬼として身を再び落とすものだと確信しているわけです」

「それは、お前が今まで会った鬼の話だろう。樹神殿は――」

「晴明。お前の意見も分かるが、少し儂に喋らせてくれ」


 我慢できずに口を挟んだ晴明に対し、忠行が制止をかける。その言葉に晴明は口を噤むと、忠行は言葉通りに自ら話し始める。


「道満殿。そなたは、鬼が利己的で欲深いものだといったな?」

「えぇ。言いました」

「それは、鬼に限ったことではない。それは人間も同じじゃよ」


 そう言って、忠行は湯呑みの白湯を啜る。

 道満がその言葉に眉根を寄せる中で、忠行は続ける。


「いや、むしろ人間の方が欲深いかもしれない。儂はこれまで宮中や庶政で様々な人間を見てきたが、欲のない人間より欲深い人間の方が圧倒的に多くいる。人間は、それを少し隠し通すのが上手いだけの話じゃ。現に、今回の頬白とか言う青年の一件を省みてみよ」


 努めて淡々と語りながら、忠行は具体例として昨日の一件について言及する。


彼奴きゃつは話に聞く限り、己が欲望のために人を殺し続ける罪人じゃった。それに対し、樹神殿は己が欲を極力制するのが上手い元・鬼神である。二人を見比べても、どちらがより邪悪な存在であったかは、そなたでも分かるじゃろう? よりどちらが強欲であったかもな」


 確認のように問いかけられると、道満は口を閉じる。樹神嫌い、というより鬼嫌いの彼をもってしても、流石にその事に関しては反論の余地がない事実であった。

 しばらく、道満は沈黙する。そして、思考をまとめてから、返答を口にした。


「しかし、それでも鬼が危険なことに変わりはないでしょう」


 忠行に諭されてもなお、道満は自分の考えを折ろうとしなかった。目を細める忠行に、道満は続けて言う。


「頬白の方が危険な存在はそうかもしれませんが、毒の強弱を言いあったところでどちらも毒であることには変わりありません。あの女も、きっといずれは堕落します」

「それは、少し論点がずれておると思うがな」


 道満が絞り出した理論に、忠行は微苦笑を浮かべた。それはどこか、駄々をこねる子供を注意するような、温かさもある表情である。


「まぁ、その気持ちは分からなくもない。陰陽寮にも、同じような考え方をする者もおる。そなたの意見だけが尖っているわけではない。ただ……」


 途中で言葉を切ると、忠行はすっと目を細めた。


「そなたは、危ういな。自らの意思をしっかり持っているからこそ、その刺々しさでやがてその身を自ら傷つけかねん。そうじゃ!」


 落ち着いて言葉を与える忠行だったが、途中で何か思いついたように膝をパンと叩く。その音に、晴明や保憲が目を向ける中、忠行は笑顔で道満を見る。


「そなた、数日とはいわずにしばらくここに滞在せよ。自分の考えを見直し、間違っていないかどうか、考えてみるとよい」

「なっ、師匠? こいつをここに滞留させるお考えですか?」


 忠行の提案に、一番驚いたのは晴明だった。予想だにしていなかった話の展開に、彼は表情を固くする。


「こんなろくでもない奴、ここにいてはよろしいことではありませんよ? 俺のような身分の低いもの以上に、正体の知れない者を滞在させるということは!」

「どさくさまぎれに酷い言い様だな、貴様」

「ははは。そうかもしれぬがな、しかしこの男の尖った部分を放置する方がまずかろう」


 反対する晴明とその言葉に苛立ちを見せる道満の前で、忠行は呵呵かかと笑う。


「この尖った男は、行く先々で黒でないものも黒として退治しかねん。そういった危険性を放置する方が危険じゃろう。少し、矯正出来るものなら矯正するように努めるのも我等の役目じゃ」

「なるほど。それは確かに一理ありますな」


 顎に指を当て、保憲が忠行の意見に納得の反応を示す。彼も内心は、道満の危うい思想や信念を気に掛けていたのだろう。忠行の提案はまさに妙案と思った様子であった。


「ならば、世話役は保胤に任せましょう。保胤にも、今のうちにいろいろと経験させるべきでしょうから」

「そうじゃな。指導は儂が行なおう。お前は宮廷の雑事で多忙じゃし、儂の方がいくらか余裕はあるからな」

「……かの御高名な賀茂忠行殿に師事できるとは、この道満、望外の喜びです」


 段取りよく、保憲と忠行は道満滞在の手筈を整えていくのを、道満は表情こそ変えぬまま頭を下げる。彼らの案は、道満にとっても魅力的なものだったのだろう。賀茂家といえば現在の京ではもっとも有名な陰陽道の家元であり、そこに滞在して教えを受けられるというのは、在野の道士にとっても大変ありがたい誘いであった。

 それに、道満も特に反発することはしない。

 ただ、この会話の流れに不満を持つ者がいた。晴明だ。彼は、道満が親愛なる師匠や兄弟子の世話になるということに、不快感を覚えていたし、何より面白いことではなかった。

 そのため、彼はぼやく。


「さっさと播磨に帰れ、はぐれ陰陽師」

「黙れ、陰陽師もどき。貴様はさっさと貧困でのたれ死ね」


 呟きに反応して、道満も言葉を返し、両者は再び視線をぶつけて睨み合う。露骨に敵意をむき出しの表情をする晴明に対し、道満は表面こそ穏やかに保っている。もっとも、その目は相変わらず鋭利なままで、心の奥底では彼とて晴明を疎んでいることを容易に窺がえさせた。

 そんな二人の眼光の衝突に、それを見た保憲は額に手をやって嘆息する。


「お前たち、いがみ合ってばかりいないで、少しは譲歩することもしないか……」

「いいや、無理じゃろう。人間、決して相入れられない者もいる。そういうものじゃからな、くくく」


 一触即発の空気にもかかわらず、忠行は忍び笑いを溢して面白がる。そんな父に、保憲は「困ったものだ」と口の中だけで呟いた。

 そんな二人を尻目に、晴明と道満の睨み合いは続く。

 その衝突は、やがて保憲が「いい加減にしろ」と止めに入るまで続くのだった。

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