第214話 虚構の幸福

「――――はっ。」





 ――ぼーっと、意識を放念していたエリーが、何かをきっかけに我に返る。






「――どしたあ? エリー。急に呆けた顔しやがって。」






 ――傍らにはガイがいる。少し心配そうに、エリーを見遣る。






 ここは、何処かの小さなログハウス。エリーとガイが終の棲家と決めた場所だった。穏やかな雰囲気で満たされている。






「――ううん。何でもない。ちょっと、ぼーっとしただけだから……」






 エリーは穏やかな気持ちで、ソファーに腰掛け、手編み物をしている。ガイは一旦エリーから離れて、台所で料理を作っている。






「――大丈夫か? 何かあったらすぐ医者に伝えるぜ? なんせ――――俺らにとって待望の子供が生まれるんだもんな…………。」






 エリーの腹は、大きく膨れている。ずっと出来なかったが、子供を身籠ることが出来たようだ…………。






「――――そうよね。やっと出来た大事な、大事なあたしたちの子だもん。何が何でも元気に産まなきゃ、ね――――ねえ、ガイ……。」






「――ん? 何だ?」






「――あたしね。今だに夢みたいなの。冒険者から足を洗うことが出来て、2人で暮らすのに充分お金貯めて…………そんで、ずっと出来なかった子供まで授かれるなんて――――ちょっと前までは、本当にイメージとか出来なかったもん。」





「……こうなれる、って……信じられなかったか?」





 ――身重のエリーに代わり、台所で包丁を振るって野菜を切るガイは、伏し目がちに……かつての争気に満ちた鋭い目つきではなく、優しい、伴侶と共に在る夫の顔つきで聞き返す。






「――そういうわけじゃあないの! ずっとこうなるために頑張って来たんだもん。ただ、ね……いざ実現してみると、なんか想像してたよりずっと現実感無くて、夢の中にいるみたいで――――あたし、今幸せ。本当に幸せよ。」






 ――エリーは、いずれ母になる妻の……かつての冒険者の時の強い闘争心は消え、母性愛が育まれつつある女の表情をしながら、不慣れな手編み物の仕事を続ける――――生まれて来る子供の為の服だ。






「――他の奴ら、どうしてるだろうな? あいつらも何か進展あったって聞いた気がするぜ。テイテツにセリーナにイロハに――――グロウ…………?」







 ――そこで、ガイとエリーは何やら違和感を覚える。





「――グロウ。グロウって…………。」





「――あれ。おかしいわね――――グロウって…………誰だっけ――――?」






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 ――創世樹の内側。融合したグロウとアルスリアの精神世界では、まるで箱庭のように空間と仮初めの生命体を用意して仮想現実を創り出すことが可能になっていた。






 アルスリアが念じたのは、現実では存在しなかったエリーとガイが夫婦として幸せに暮らす未来。その偽りの、幻のような架空の世界だった。






「――どうだい、グロウ。ここに出入りすれば、エリーとガイの記憶は補完され、君は2人の弟として暮らすことが出来るよ。ある種のメタバースだ。いつでもやめられるし、2人の記憶も書き換えられる。君は2人にとっての弟分になれるし、遠い親戚になれるし、望むなら敵にだってなれる。どうだい?」






 ――グロウは目の前に展開される幻影ヴィジョンを見て、いたたまれなくなった。






「――――こんなの……こんなの、現実のエリーお姉ちゃんとガイじゃあない。僕にとって都合が良いだけの、嘘の世界じゃあないか。」






 アルスリアは微笑み、首を横に振る。






「――そうかい? 悪くないと思うんだが…………人間を再び生まれさせる訳にはいかない。それでも君が人間との親愛を求めるなら……と思ったんだが。こんなのは、仮想現実を疑似体験出来るビデオゲームなどのフィクション作品とそう変わらない。」






「――そんなの…………良くないよ! 仮初めの生命を弄ぶなんて……!」






「別に悪くはないさ。確かに現実の人間ではないが、むしろ現実の人間なんかより都合が良い。こちらが認知を書き換えれば、彼らは馬鹿な過ちはしないし、ただただ幸福な人生を堪能できる。それも、無限に。私たちはもうこの星の神となったんだよ? これぐらい簡単さ。ほら――――この2人で足りないなら、君が認識する限りの人々の、幸福な仮想現実を用意しよう―――――何が不満なんだい?」





 そう言いながら、アルスリアは一瞬で、無数の人々の穏やかで幸福な人生を生きる幻影を辺りに展開した。






 仲間と共に友好的な関係性を築き、充実した研究に明け暮れるテイテツ。没落しなかったグアテラ家で当主となり、ミラと愛情に満ちた人生を送るセリーナ。病気が治り、両親と共に鍛冶と行商に精を出すイロハ――――そして、蟠りなど存在せず3人で穏やかに談笑するアルスリアとヴォルフガングとリオンハルト…………。






 創世樹を目指すまで、決して手に入りようがなかった幸福な人生、その虚像を見せられるグロウ。こうでもしなければこのような人生は皆手に入らなかったというのが、実に皮肉だ。





「――違う。違うよ、アルスリア。僕が信じたい人間の幸せは、そういうことじゃあないんだ――――今度は、僕の記憶と想いを同期して……君にも理解してもらう。理解出来るはずだ――――!」






 ――グロウは、仮初めの生命が繰り広げる虚構などではなく、己が信じる幸福を念じ、アルスリアの額に手を当てた――――

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