第49話 誓いのピアスとヒマワリ畑
――とうとう、貴族の家での暮らしに耐えかねたセリーナ。密かに旅支度をし、旅装束に身を纏い、大槍を携える。ある夏の夜明け前の時だった。
「――セリーナ様……とうとう家を出るのですね…………」
「……ああ……私はやはり武人の子。戦いの中から生き方を見出して見せる――――さあ、ミラも一緒に行こう。」
「――私は、ここに残ります。」
「――えっ…………何だと!?」
――当然一緒に旅立つ、と思っていたセリーナは驚き声を上げる。
「しっ……声を立てると屋敷の人に見つかります…………それに旅立つなら、これを――――」
ミラは、まるでこうなることがわかっていたように、重そうにトランクを運んでくる。
「――何故だ、ミラ。私と一緒に行かないのか…………もしかして、もう私のことが嫌に――」
「そんなわけ、ないに決まってるでしょう。私は、セリーナ様。貴女様だけを愛しております。それは変わりません……ただ、貴女様が屋敷を密かに出るには、私のような人間がお助けせねばなりません。つまりは、戦で言う、しんがり……屋敷の人が貴女様を追うのを遅らせ、時間稼ぎをします。」
「ミラ…………」
ファラリクス家がどれほどセリーナに執着しているかわからないが、少なくとも追手がかかるものと考え、ミラが家中の情報を混乱させるため、残ると言う。
ただそれだけのことなのだが…………。
「嫌だ、ミラ…………私は君と共に旅に出たいのだ。一緒にいて欲しい。あの日…………グアテラ家が侵略されたあの日から、何にも負けない強さが欲しいと願ったんだ。君無しでの旅なんて、寂し過ぎる…………」
セリーナはミラの両肩に手を置き、首を横に振っている。
「――今更、そのように甘ったれたことを仰るのですか。1人より2人の人生。それもありでしょうが、自分の生きる道は自分で決め、切り拓かねばなりません。少なくとも、貴女様はこの屋敷に留まることを拒みました。そして私はセリーナ様の幸せを願っております。だから……一度は離れてでも、お互いの活路を開く。それにはこうするしかありません。」
ミラは、セリーナの手に自らの手を置き、強い眼差しでセリーナを見つめて言う。
「これは今生の別れではありません。そうはしません。生きてさえいれば、幸せへと至る道を見つけるならば、このまま別れて終わりではありません。必ず、また会いましょう。そして、自分の望む強さを得た時…………その時初めて機が熟すのです。私とセリーナ様の平穏な日々が…………」
「望む……強さ…………」
セリーナとミラが見つめ合うひと時。ふとミラは外の景色を見る。
「――もう、ヒマワリの花が咲く時期ですね…………グアテラ家もヒマワリ畑が綺麗だった……私、ヒマワリが好きだって昔にも言いましたよね。例え貴族の家でも花は好きです…………セリーナ様。いつか共に暮らすことが出来る機が熟したのなら、ヒマワリ畑に囲まれて暮らしたいものですね。そうだ、これを――――」
ミラは、おもむろに自らの左耳に付けていたピアスを外した。黄色いガラス質の飾りが付いた、素朴なピアスだ。
「……どうしてもおつらい時は、これを身に付けていることを思い出してください。私が傍にいると思って――――」
「………………」
差し出されたピアスを受け取り、すぐにセリーナは自らの左耳のピアスホールに留めた。
「――――行くよ。ミラ…………また会おう。必ず…………必ず、真の強さを勝ち取って、君のもとへ戻ってくる。」
「――――セリーナ様…………私も……いつまでも、貴女様とまた会う日を心よりお待ちしております――――さあ、このトランクも持って行ってください……よいしょっと。」
ミラが重そうにトランクをセリーナへ差し出す。
「……これは?」
「――――金庫から、少々、失敬してきました。旅に出られるなら先立つものが必要でしょう? あはは……」
「なっ…………危ないことをするなあ……君まで追い出されるぞ…………」
ミラはほんの少し俯いて、答える。
「……私もいっそ、そうなった方が良いのかもしれませんね。偉そうなことを色々言いましたが、私にもセリーナ様と私の幸せについて何が最善なのか、実のところそんなにわかっているわけではないです。ですが、今、出来うる限りのことはやっておくべきだと思うのです――――案外、再会するのはすぐかもしれませんよ?」
セリーナは少し呆気に取られたが、すぐに表情が緩んだ。
「は……はっはは…………そうだといいな…………」
トランクを受け取り、互いに憂いは帯びつつも笑顔で別れを告げた。
「じゃあな、ミラ。必ず君のもとへ戻ってくる。」
「ええ。私もその時を楽しみにしています――――」
暁空の下、恋する2人は約束を交わし合い、抱擁し…………そして旅立った。
セリーナ=エイブラム19歳、ミラ=ルビネック18歳の時の約束だった――――
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だが、元々の強さへの執着心が武力の方へ向いていたセリーナは、危険な冒険稼業や賞金稼ぎを続けるうちに、段々と当初の清冽な想いが霧散しかけていった。
薬物中毒の感覚を基に五感を研ぎ澄ませる知覚鋭敏化などの強力な能力をも編み出したが、己の精神を削るその戦い方は、やがて彼女を闘争の歓喜、強者との死合いに傾けていった。
「くそっ……どうすれば……どうすればミラと幸せになる強さが得られるんだ…………このまま戦闘の腕を磨き続ければいいのか? 本当にこれが正しい道なのか…………?」
加えて、同じように戦闘狂に堕してしまった者たちと渡り合ううちに、やがてセリーナ自身も歪みが生じ、心はただただ争気に濁っていった。
「――闘いは……好きだ…………自分が自分であれる…………私は武門の子なんだ…………ははっ――――」
――そうして、セリーナは一度大切な想い人との約束さえ遠い記憶の片隅へと、知らず知らずのうちに押しやってしまったのだ――――
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「――――そうだった。そんな約束を交わしたんだった…………この左耳のピアスに誓ったはずだった。ミラとの想いを…………」
「――――思い出して、いただけましたか…………?」
ミラも、これまでの切望に満ちた想いを返し、目元に溢れる涙をハンカチで拭った。
「――悲しい話だね。家を攻められただけじゃあなくて、そんな大切な思い出まで失ってたなんて……」
「全くだぜ…………ガラテアの畜生共め。どこまでも俺たちやセリーナみてえな人間の人生に不幸をばら撒きやがる。」
エリーとガイは、セリーナとミラの過去を聴いて自分たち自身の被害者意識をより深めた。と同時に、なお自分たちなりの幸福の在り方へ意識を向けたくなった。
「――ミラ。ところで、どうして君はここ……セフィラの街に居たんだ? ファラリクス家は……?」
「……実はですね…………やはりセリーナ様が出奔なされたと聞いて、ファラリクス家の人たちも一度は貴女様を捜そうとしました。無論、同じグアテラ家出身の私も何かと詰問されました。なるべくセリーナ様が遠くへ行かれるまで時間を稼ごうと粘ったのですが……私自身も『セリーナ様出奔に加担した』と咎を追われ、あまり間もなく追い出されてしまいました。また、後から聞いた話でセリーナ様が既に賞金稼ぎとして名を上げた時点で、捜索はぷっつりと打ち切られました。貴族の家から冒険者稼業の者が出たとなると貴族社会で格好がつかないと判断したのでしょう」
ミラは、一度路頭に迷った辛苦を微塵も感じさせない爽やかな笑顔を向けてきた。
「――でも、それで良かったのだと思います。ひとつの家で勤め上げることも大事だと思ってはいましたが…………やはりセリーナ様同様、私自身も非常に居心地の悪い冷たい家でしたからね…………帰る場所は確かに失いました――――ですが帰る場所を新たに作ることもまた出来るはすです。」
――グアテラ家にファラリクス家。人は帰る場所を失っても、また作ればいい。
そのひたすら前向きな未来への展望に、セリーナだけでなく、エリーもガイもグロウも胸にすとん、と心地よく落ちるものがあった。
「……そうか…………そうだな。私とミラの新しい居場所……帰る場所…………また作り直せばいいだけだったのか。だが…………君と誓い合った『強さ』……私は未だに武力に固執してばかりだ。戦闘狂にまで身を落としてしまったのだからぐうの音も出ない…………こんなことで、本当に真の『強さ』など見つかるのだろうか…………」
ミラの明るい言葉に膝を打ちつつも、自分の意識がまだ求めるところへ定まっていない事実に、セリーナは俯いてしまう。
「……お解りになられませんか?」
「……済まない、ミラ。エリーたちと旅をするうちに学べればと思ったが、まるでわからないんだ…………」
ミラは、一旦背筋を正して、毅然とこう答えた。
「本当の強さ、本当の幸せが何なのか。それは――――私にも解りません。」
「え……!?」
全てお見通し、と思えたミラだったが、彼女自身の口からは意外な言葉を発し、セリーナは驚く。
「人の生きる数だけ、幸せの数も……またそれに必要な『強さ』も全く違うと思うのです。旅をしながら生きるのだって武力は身を守ることに欠かせませんし、またグロウさんのように優しい心で他者に接する余裕も必要です。『強さ』への追及と探求。それを怠らずに模索し続けることそのものが、それこそ旅のようなものだと私は思います。
ミラはふと宙に目を向ける。ここまで生きてきた長い道のりを思い返しているようだ。
「――私は、ファラリクス家を出てから、まずは生活の基盤を築くことに奔走しました。福祉関係や栄養士などの他人との共生生活に関するスキルを持っていれば、必要としてくださる場所もあるかと思い、努めて習得し、そして探しました。そうしてこの街に流れ着き、ここに暮らす人たちと協力しながらの牧歌的な暮らしを過ごすうちに、自分なりに思いつきました。」
セリーナはもちろんエリーたちも、自然と前屈みになって真剣に話を聞く。この話は決して他人事ではない、と。
「――私にはセリーナ様のように危険な武の道に生きることは出来ない。でも、そんな人が立ち寄ったり帰ってきた時に支えることはきっと出来る。ならば、いずれ帰ってくるセリーナ様と連絡が取れた時には、帰って来るべき居場所を作っておこう。疲れたら安らかに休める寝床を。お腹が空いたならバランスの取れた美味しいお食事を。悩める時は共に分かち合う話し相手を。そういったものを用意しておこうと決めました。」
――想い人が自分のもとへ帰ってくるまでに、せめて自分は居場所を作り、守っておく。ここセフィラの街でのミラの貢献と人徳を見れば頷けるものだった。思えば、あのガラテア軍人特殊部隊4人が町人を盾に決闘を始めた時に率先して避難の準備をしたのも彼女だった。
「――そうだったのか、ミラ…………私が帰ってくる場所を作るために。本当に…………本当に、君には頭が上がらないな…………」
「当然ですとも! 私はセリーナ様の伴侶となる者ですよ? これくらいしておかなくてどうします! あはは!」
――己が、想い人が生きていくために必要なものを確実に確保し、守り抜く。戦闘の有事とはまた違うその覚悟。その胆力。
それこそが、ミラ=ルビネックという人間の生きる道だったのだ――――
「――さあ! お話はこのくらいにしましょう。皆さんも病院にお戻りになって? まだ本調子ではないのでしょう?」
ミラに促され、4人は病院へと戻ることにした。
(――ねえ、さあ……セリーナ、ミラさんと再会出来たわけだし……無理に私たちと一緒に旅する必要、もう無くね?)
(――それだよな。危険な旅を続ける中で奇跡的と言っていい再会だぜ。2人の気持ちを考えりゃあ……まあ、ここでセリーナは離脱してもおかしくねえよな……戦力は大幅に下がっちまうけどよ)
(そんな……セリーナとはここでお別れなの? ……でも、それがセリーナの幸せなら――――)
病院への帰り道、エリーとガイとグロウはセリーナとミラに聴こえぬよう耳打ちしていた。
セリーナにとって目的は達成されたと言えるのかもしれない。ミラも離れ離れになっていた心境を考えれば、一緒に居たいと思うのが自然だろう。
2人はこの先、どんな決断を下すのであろうか――――?
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