第4話アルトシュタット

○あなたはもう忘れたかもしれないが


毎日はがきを出しました。仕事が見つかりそうにないことは

はじめから感じてました。ついに敗北宣言コペンに戻りました。


あなたは東京館に復帰。悔しかったですね。

懐かしくもつらく苦しい一冬でした。


トーマスペンションのあの部屋。青春のすべてがそこにはありました。

暗いうちにノアポップに行き暗いうちに帰ってくる。


ほんとに暗い半年間でした。いろんな人が出入りしましたね。

部屋だけはいつもにぎやかで。操さん。小林君。佐藤君。ETC.

操さんと人魚の像の前で『枯葉』をフランス語で憶えたりしました。


○あなたはもう忘れたかもしれないが


操さんの下宿のおじいさん憶えてますか?

操さんを養女にしたいとかいった感じでしたね。


日本人コミュニティーにどっぷり。

私はあなたの影に隠れて、ひっそりむっつり。


長い髪にあごひげ口ひげかかとの高い木靴を履いて

白いパンタロンに袖の長いカーデガン。

まるでキリストみたいでしたね。


○あなたはもう忘れたかもしれないが


春になって私だけ先にデュッセルへ旅立ちました。

ここから何か突破口を開くつもりでした。


東京からもと彼があなたを追ってストックに来ましたね。

私が針金細工を知った直後に、

あなたはデュッセルへとやってきました。


一大決心でしたね。デュッセルドルフの中央駅での再会。

映画のシーンのようにはいきませんでしたが、

一生忘れることのできない名シーンです。


○あなたはもう忘れたかもしれないが


あなたはおお泣きになきました。

「私はこんなことをするためにここに来たんじゃない!」


ほんとに申し訳ありません。当時、この針金にすべてを

掛けてみようという時期で、私は必死でした。


とにかく一度売ってみて、それからよく考えようと

涙ながらに説得したと思います。


○あなたはもう忘れたかもしれないが


初めて販売した夜のこと憶えてますか?かなり

アルト(旧市街)の雑踏から離れた銀行の脇で


小さな別珍を広げ、”アンバランスの調和”という

テーマで作ったへんてこな針金首輪。

あっという間に売り切れてびっくりしましたね。


○あなたはもう忘れたかもしれないが


これで決まり!あなたを絶対に幸せにしてみせる。

心底そう思いました。ほんとです。


『全ヨーロッパを制覇するよ!この二人でOK?』

てな感じでした。


○あなたはもう忘れたかもしれないが


それからアルトシュタットの一番角を取るまでは

そう時間はかかりませんでした。


あなたは10kgもやせて、とてもスリムになりました。

ほんとに大変な日々でしたね、申し訳ありません。


憶えてますか?縁日、石松、よれよれ、獣医、日本館,

キプロスetc。太陽の大ヒット。


○あなたはもう忘れたかもしれないが


ラインの広い川床にメッセという移動遊園地がやってきて

シンカンセンが回ってました。


「ポリツァイ!」毎日ワンタッチでしまって逃げまくりました。

ユースでトンカチ作り続け、なぜか大声で怒られたり、

いまだに何故だか分かりません。



アパートのエレベータで住人のおばさんがケッテを持ってたり。

禿げの中国人コックがあなたに抱きついたり。


アルトではクリームチーズ。ピザ屋のピザ回しを眺めたり。

小さなバーで女の人がかつらを取られたり。


ドイツ銀行にお金を預けにいったら何か聞かれて、

「ブラートブルストミトポンフリ」(ポテトと焼きソーセージ)

と答えて大笑いされたことがありました。これもいまだに分からない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る