第28話 使者と、その使命

 ミツコは険しい表情を少し緩めて、

「涼介、ありがとう」と言いました。

 しかし、私はアキちゃんの行方や、瑞歩の母親といった、ミツコに確かめたいことがあまりにも多すぎて、今にも頭の中が破裂しそうに感じて、本当にこれから先、ミツコから真実を突きつけられたときに、上手く整理して処理する能力が、果たして自分に残っているのかと、先ほど覚悟を決めたにもかかわらず、言葉にできないほど、とても不安になりました。

 ミツコは隣の椅子の上に置いていた白い紙袋を手に取り、それをテーブルの上に置いて、

「じゃあ、今からが本当の辛い作業になるんだけど、この紙袋の中には、私がアキから、あなたに渡してほしいって頼まれた小説が入っているのよ」と言いました。

「しょうせつ?・・・」

「そう、瑞歩から聞いてると思うけど、あの子が必死に探していた、野間陽子がこの別荘の書斎で書いていた小説よ」

「!・・・」 

 なぜ、野間会長の小説を私に?と思いながら、

「それは、アキちゃんが僕に渡してほしいって言ったんですか?」と訊ねました。

「そうよ。野間陽子はこの小説をアキに渡して、アキに全ての真実を打ち明けたのよ。そしてアキはこの小説を、今度はあなたに託して、この小説に書かれた全ての真実を、あなたに打ち明けるのよ」

「・・・・・」

 私は白い紙袋を見つめながら、そこにはいったい、何が書かれているのだろうと想像しました。

「あのね、瑞歩があなたにどこまで話しているのか知らないけど、あの子が雇った探偵は、石本加代のことを含めて、もう色んなことを調べ上げていて、野間陽子が瑞歩に隠していた真実を、薄々気付き始めているのよ」

「えっ!・・・ 野間会長が隠してたことって・・・」と言ったあと、今までの流れを振り返り、「それは、瑞歩の母親のことを隠してて、アキちゃんはそれを会長から聞き出そうとしてたんでしょう?」と言いました。

「それは違うわ。アキは瑞歩の母親のことを聞き出そうとしていたんじゃなくて・・・ アキは、自分と愛子の本当の母親のことを、野間陽子と話し合っていたのよ」

「アキちゃんと愛子の本当の母親って・・・ 交通事故で亡くなったお母さんのことですか?」

「違うわ・・・ アキと愛子の、双子の兄と妹を産んだ女性は、今も生きているのよ・・・」


「!」


 私は一瞬、頭の中が真っ白な状態になり、まるで自分の意思とは無関係であるかのように、

「アキちゃんと愛子って・・・ 双子やったんですか?・・・」という言葉を口にしました。

 するとミツコは、私の問いかけを無視するかのように、

「涼介、この小説が書かれた書斎に行きましょう」と言って、紙袋を手に取り、椅子から立ち上がりましたので、私も続いて立ち上がったとき、二口しかビールを飲んでいないのに、まるで酔っ払っているかのように、頭の中がぐるぐると回り始め、よろめき、倒れそうになるのを何とか椅子の背もたれをつかんで凌ぎました。

「涼介、大丈夫?!」と言って、ミツコが駆け寄ろうとしましたが、

「大丈夫です」と言って、何とか歩き出し、ミツコと一緒にリビングを抜けて、書斎へ辿り着きました。

 ミツコは書斎に入ると、紙袋の中から大凡500枚、10冊分ほどの原稿用紙を取り出し、迷わずオークの机の前に行き、私と瑞歩が小説を書いている原稿用紙を机の引き出しに仕舞ったあと、野間陽子が書いた小説を、生まれ故郷の机の上に置きました。

 ミツコは書斎の入り口に立っていた私に向かって、とても悲しそうな表情を浮かべながら、

「涼介、あなたが訊きたいことは、すべてこの小説に書かれているけど、野間陽子はこの小説を、最後まで書き上げることができなかったのよ」と言いました。

「えっ?・・・ それって、どういう意味ですか?」

「今から説明するから、とにかくここに座って」

 私は不安定な足取りでオークの机に辿り着き、椅子に座って一番上の原稿用紙に目をやりました。

 そこには、『白鳥しろとりのさと』という、小説のタイトルが書かれておりました。

「おそらく、野間陽子は最後まで書き上げる前に、病気で気力と体力を奪われて、限界が来たんだと思うけど・・・・」

「じゃあ、この中に、全ての真実が書かれてないってことですか?」

「いいえ、それは大丈夫よ。この小説を読めば、全ての真実を知ることができるんだけど、最後のほうは走り書きっていうか・・・

 この小説の3分の2を過ぎたあたりから、急に文体が変わるっていうか、文章がとても簡略化されているのよ」

「簡略化?」

「そう。おそらく野間陽子は、自分が生きている間に、完成させることができないって判断したから、過去に起こった事実を簡潔にまとめて、書き記したんだと思うわ」

「・・・・・」 

 ミツコが言っている、簡略化や、簡潔にまとめるという意味がよく分かりませんでした。

「それとも・・・ もしかしたら野間陽子は、自分で書いていて、あまりにも辛くなりすぎて、文字をつなげて文章にしていくことができなくなったのかもしれないわ・・・」

 瑞歩が言っていた、野間会長の態度が急に変わったということを思い出しました。ミツコが言うように、おそらく野間会長は、顔の表情や人格まで変わるほどの辛い思いで、この小説を書いていたのでしょう。

「もし、私が野間陽子だったら、罪の意識に苛まれて、一行も書くことなんてできないわ・・・」と言ったあと、ミツコは私の肩にそっと手を置いて、

「あなたと瑞歩の過去に、何が起こったのかを、今から自分の目で確かめなさい」と言いました。

 この小説を読み終わったとき、私はいったい何を失い、その代償として何を受け取ることになるのでしょう?・・・

「涼介、私は和室かリビングにいるから、全部読み終わったら私のところに来て」と言って、ミツコは書斎から出て行きました。

 真実が記された小説、『白鳥の里』を読み始める前に、深く目蓋を閉じました。

 世の中には決して知られてはいけない真実や、知らないほうが幸せという真実などがありますが、私が手にしている真実は、たとえ私が逃げ回ったとしても、決して避けて通ることができない真実であり、私の理解や納得など必要としない性質のもので、私が38年間かき集めてきた、わずかに人知と呼べるものなど及ばない次元で、私は知るべくして知るということが、既に決まっていたのでしょう。

 おそらく、もうこれで、すべての疑問から解放されると同時に、私に残されたすべての逃げ道を失うことになるかもしれません・・・

 しかし、私は自分自身のために、そして何よりも瑞歩のために、その逃げ道を自ら封鎖しなければならないでしょう・・・


 ゆっくりと目蓋を開いて、『白鳥の里』を読み始めました。

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