第32話 手当て
「痛たたた!痛い痛い!」
「男ならがーまーん」
神社に帰ってきた俺は、事情を説明した。
靄は離れた状態であったが、憑りつかれた犬に触ってしまったのだから靄がつかないとは限らない。
そう意見を述べたところ了承してもらって、瀬田さんが祓ってくれることになった。
俺は社務所で噛まれた傷を平沢さんに手当てしてもらっている。
「くくっ、それにしても恰好つけたな、犀葉」
「……笑わないでくださいよ」
渚さんを庇って犬にかまれたとは言っていないのだが、話しの流れから察したらしい。
先程からずっと笑いを堪えながら、俺の手当てをしてくれている。
簡単な消毒し、ガーゼを傷口に当てて包帯を巻いてくれた。
「はい、終わった。とりあえず、今から病院な。終わったら報告書」
「ありがとうございます。すいません。行ってきます」
平沢さんは手先が器用な方だと思う。
傷口はしみて痛かったが、包帯はとても丁寧に巻かれていた。
平沢さんに一礼をして、俺は財布と携帯電話を持って神社を出た。
「……はぁ」
噛まれた傷はそんな大きなものではなかったようだ。
大型犬だと手術が必要にもある場合があるので気を付けてくださいと医者に言われてしまった。
もしかしたら、腫れたり炎症したりもするので、傷口はなるべく清潔になるように保ってくださいとも言われた。
これからは気を付けようと思い、帰路につく。
(……ああいう人には、初めて出会ったな)
邪気祓いをする神主、という前提で出会うのではなく―――知らない側の人。
見えない、信じていない人の前で、祓うなんて初めてだから緊張した。
終わってからも、奇異の目で見られているのが耐えきれずに、逃げるように去ってしまったのでちゃんと会話をしていない。
ああ、3ヶ月前は俺もあんな瞳をして、みんなのことを見ていたのだろうか。
(塩水を最低限に、式神のみで祓う方法はないのかな)
できれば、あまり不信感を持たれない方法が良い。
俺の神力である「木」のエネルギーを使った方法で、できないだろうか。
何かいい方法はないのか、と腕を組みながら歩いていると、ふと道中の公園が目に入った。
(……中学生かな?)
1人の学生服を着た男の子が公園のベンチに座っていた。
本を読むために俯いている為に、表情はわからない。
まあ、それはよくある光景なのだが、気になったのはその後ろだ。
そこにいたのは、少年の姿をした『此の世ならざるモノ』。
嫌な感じはせず、靄を纏っている気配のないため、害はないと思う。
祓うことはしなくてもいいだろう、と気づけばそう判断をしていた。
「……昔は、気づかなかったふりをしていたのになぁ」
どんな人に憑りついて、どんな影響をもたらそうとしているのか、そんなことを考えようとしなかった。
環境によって、人は変わるのか、とどこか他人事のように考えて、再度止めていた足を進ませた。
「ただいま、戻りました」
神社に戻った後、まず結果を宮司さんに報告した。
そして、他の神主にも報告し、抜けてしまってすいません、と謝罪をしてまわった。
渚さんは清めた後に、そのまま帰ったらしい。
「 あきら! 」
すると、神社内を歩いていたら、前方から璃音がやってきた。
「璃音?」
「 あきら!大丈夫?大怪我をしたって 」
俺に抱き付き、涙目で俺を見上げる。
その様子を見て、俺は小さく笑った。
「大怪我じゃないよ」
「 血もいっぱい出たって 」
みるみる瞳にいっぱいの涙を溜めて、俺を見つめる璃音。
俺の作務衣を握る手の力も少しずつ強くなっていく。
その泣きそうな表情に、驚きと焦りで一瞬どうしたらいいのかわからなくなった。
とりあえず、流れそうな涙をポケットに入っていたハンカチで拭ってやる。
「り、璃音?」
ふと、璃音が俺の左腕に視線を向けた。
そこには先程病院で巻いてもらった包帯がある。
それをじっと見て、再度俺に視線を向けた。
いつもと明らかに様子がおかしい。
「璃音、どうした……ッ」
そのまま璃音の頭を撫でると、突如頭の中に映像が流れてきた。
古びた小さい民家。
煌々と燃える室内
倒れる女性
流れる赤い水たまり
泣く少女
一瞬の光景であったが、この映像は見たことがある。
以前、見た璃音の記憶の一部だ。
生前のトラウマの1つに、今回俺が触れてしまったわけだ。
こんなに肩を震わせて泣く理由が、やっと理解できた。
「璃音、心配させてごめん。気を付けるよ」
「 次は必ず私の名前を呼んでね! 」
「ああ、必ず約束するよ」
「 ぜったい!ぜーったいだからね! 」
母を目の前で殺され、姉と火事によって亡くなってしまった少女――璃音。
確かに今回は璃音を呼ぶのを躊躇った。
自分だけでなんとかしたいと思ってしまったのだ。
いつも璃音の力を借りていたら、いつまでもこの少女を護れない。
そう思ってしまったのだ。
(……そうだ、璃音も俺を護りたい、って思ってくれてたんだった)
「 約束。指切りげんまん! 」
そっと出された小指に、俺も小指を重ねる。
その小さな細い指に、俺も誓いを立てた。
璃音の前で強くなること、そう心の中で誓った。
「あ、犀葉!おかえり」
「平沢さん、すいません。ありがとうございました」
お詫びの挨拶回り、最後の1人の平沢さんは賽銭箱のところで見つかった。
どうやら、本日のお賽銭を集めているようだ。
あれ、今日の締め作業は平沢さんだったっけ?
そう首を傾げていると、後方から1つの走る足音が聞こえてきた。
「悪ィな、平沢」
「ああ、いいよ。他に手伝いは?」
「ああ、これで全部だ。犀葉もサンキュー」
やってきたのは山中さんだった。
そういえば、今日は山中さんが担当だった、と納得する。
俺も手伝い、賽銭箱の中身を袋に入れて山中さんに渡すと、再度お礼を言って山中さんは社務所に戻っていった。
俺も戻ろうかと考えていると、平沢さんに手招きをされて、賽銭箱の横に腰かけた。
「今日は大変だったな」
「俺の不注意ですいません」
「いや、責めてるわけじゃないんだよ。怪我をしたことはよくないけど、よく1人で冷静に対処できたと褒めないとな」
「……いや、冷静では、」
なかったと思います、そう苦笑する。
確かに『此の世ならざるモノ』には何とか対処はできたと思う。
俺は噛まれてしまったが、その牙が渚さんに向かなくて、良かったとは思うのだ。
だけど、その後だ。何の説明もできず、気の利いた言葉も言えなかった。
昼のご祈祷も含み、ただ祓うだけではいけない。その後のフォローの言葉かけも必要だとわかってはいるのに、言葉が出なかったのだ。
そう話すと、平沢さんは視線を地面に落として「そうか」と呟いた。
「どうだった?初めてだったもんな、"知らない側の人"」
「正直、ビビリました。終わった後は目も合わせられませんでした。彼女の……驚いた表情の中に、俺への恐怖心がないか、とか考えて、純粋に怖かったです」
「……そっか」
何か言葉をかけられる前に、強く非難される前に、俺が言葉をかけないと。
あの時に、俺の脳がそう判断を下した。
混乱した俺の脳から出された言葉に従った結果、なにも説明できずに終わってしまったのだ。
そもそも説明できることなのかさえ、わからない。
理解してもらえる自信もない。
「まあ、いろんな人がいるから、一概にこれだとは言えないけど……犀葉が思ってるよりも、悪く思う人はいないと思うよ」
「ありがとうございます」
ぽんと肩に触れた手が温かった。
慰められているのだとわかり、素直に俺はお礼を言った。
そして、視線を空に向ける。
時刻は18時。空は茜色に輝いていた。
「俺は、もっとうまく邪気祓いをできるようになりたいです。そして、式神もうまく使えるようになりたいです。できれば、"知らない側の人"にも不審がられないように」
「よし、よく言った」
「いてっ」
平沢さんは誉め言葉と共に背中を強く叩き、平沢さんは立ち上がる。
その痛みに呻きながらも平沢さんを見上げると、にっと微笑みながら俺を見下していた。
以前同じ表情をしていた時に、祿郷さんが「この表情をした時は、何か企んでいるから気を付けろ」って言われたっけ。
「急なんだけどさ、犀葉、今週の金曜って休みだよな?予定ある?」
「……休みですけど、予定はないです」
なんだろうか、そう思って首を傾げる。
すると、平沢さんはにんまりと笑みを深めながら言った。
「じゃあ。その1日、俺に付き合ってくれ!」
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